試合会場を出ると、外はすっかり暗くなり、いつの間にか雨になっていた。2012年9月23日、記憶の中の金沢の雨は、どこまでも冷たい。傷ついた敗者を厳しく打ちつけるようだった——。

写真上=元WBA&IBF世界ライトフライ級統一王者の田口良一(左)と5月4日(日本時間5日)、アメリカ・カリフォルニア州ストックトンで世界初挑戦に臨む船井龍一。普段は柔らかな表情を浮かべるふたりだが、後輩の田口がリングで見せる“殺し屋の目”が船井のきっかけになった。《3月28日・大泉謙也撮影》

7年前のロリー戦
あの完敗が意識を変えた

 5月4日(日本時間5日)、アメリカ・カリフォルニア州ストックトンでIBF世界スーパーフライ級王者のサウスポー、ジェルウィン・アンカハス(27歳/30勝20KO1敗2分/フィリピン)に挑む同級1位の船井龍一(33歳/31勝22KO7敗/ワタナベ)。7年前、23戦目のタイトル初挑戦は完敗だった。

 敵地に乗り込んでの東洋太平洋バンタム級タイトルマッチ。初回開始早々、金沢のカシミジムと契約するロリー松下こと、フィリピン出身のロリー・ルナスの強烈な右で腰砕けになり、いきなり大きなダメージを負った。そればかりか、その先制攻撃で船井の意識は完全に飛び、「気がついたら、8回だった」と試合後に振り返っている。本能で戦い続けたものの、ラウンドを追うごとにダメージを溜め、のちに眼窩底骨折が判明する右目の周囲の腫れが視界を狭めていく。

 8回にはバッティングで左目上をカット。ドクターチェックからの再開後、ここぞと手厳しく攻める王者に追い込まれた。迎えた9回、挑戦者は勝負に打って出るが、打ち返され、左フックで体を泳がせたところでレフェリーが割って入り、ここで試合は終わった。

「チャンピオンのほうが1枚も2枚も上でした……」。試合直後の控え室で声を絞り出した船井は「これから、もっといろんなことを追求して、強くなっていくしかない」と気丈に前を向いた。

 プロデビューから15年目。ついにたどり着いた世界初挑戦の発表会見で「長いキャリアの中で辞めようと思ったことは?」と尋ねられた船井が挙げていたのが、このロリー戦だった。

「練習でやってきたことを何も出せずにボコボコにされて。手術もめちゃくちゃ痛くて。こんなに痛い思いをするならと思って」

 そんな受け答えを聞きながら、思い出したのが試合後の雨の光景だった。

 傘をさしかけるジムのトレーナー、スタッフに囲まれ、暗闇の中、抱えられるようにしてタクシーを待つ船井の姿。市街地から離れた場所にある会場近くには、手配したタクシーもなかなかやってこない。後輩の応援にかけつけていた当時のWBA世界スーパーフェザー級王者、内山高志さんの「経験が違ったし、現時点では実力の開きがありすぎましたね」の言葉が、降りしきる雨とともに重くのしかかった。

 日本ランカー対決を重ね、着実に力を蓄えてきた船井だったが、世界挑戦経験もあり、2階級にわたって通算3度の東洋太平洋王座を制しているロリーとの差は歴然としていた。

 再び立ち上がった船井が初めてベルトを巻くまでには、それから4年半かかった。2016年4月には、大阪で石田匠(井岡)の日本スーパーフライ級王座に挑み、0−2の判定負け。勝負どころで攻めきれず、敵地で接戦を落とした。

「ロリー選手には、チャンピオンの強さ、偉大さ、それに自分の弱さを思い知らされました。そこから意識を変えて、石田選手とやったときは、実力では劣ってなかったと思うんですけど、気迫が足りなかったんだと思います」

迷いを断ち切った
田口の“目”

 ターニングポイントになるのは2017年3月の“親友対決”、石田が返上した王座に就いた中川健太(当時・レイスポーツ、現・三迫)に挑戦した一戦だった。31歳になり、34戦目で迎えた3度目のタイトル挑戦は、キャリアの崖っぷち。それは同じ高校の同級生で、一緒にボクシング部をつくった仲間のひとり、中川にしても同じことだった。

 親友の夢を奪い合うような残酷な試合を前に船井の迷いを断ち切ったのが、ひとつ年下の後輩で元WBA&IBF世界ライトフライ級統一王者、田口良一の“目”だったことは、現在発売中の『ボクシング・マガジン5月号』で紹介している。

 田口の目を見ろよ。“殺し屋”の目をしてるだろ。普段と全然違うよな——。

 一緒に田口の世界戦を観戦していた共通の応援者の何気ない一言に、自分に足りなかったものを突きつけられた思いだったという。非情な自分をつくり上げ、親友をKOしてベルトを奪ったことで殻を打ち破ったのである。

「ロリー戦があって、石田戦があって、中川との試合があって。やっと揃ったっていう感じがします」

 2018年6月には、ワルリト・パレナス(森岡)との激闘を制し、WBOアジア・パシフィック王座を獲得。続く11月、初のメキシカンとのIBF挑戦者決定戦では、2回に右一撃で鮮やかに倒した末にストップした。「勝手にロリー選手を意識して、リベンジと思ってやっていた」という同じフィリピン出身のパレナスとの一戦では、強打を浴び、何度も窮地に立たされながら、劇的な8回逆転KO勝ち。自身の中で「ロリー戦より成長していることは証明できたと思う」と胸を張った。

成長を実感できることが
ボクシングの面白さ

「僕は1戦1戦、一生懸命やってきて、その結果が今回の世界戦に結びついたと思っているので。1戦1戦、戦った相手に感謝して、絶対に世界チャンピオンにならないといけない」

 高校1年でワタナベジムに入門し、ボクシングを始めてから18年。ここまで7敗の戦績が示すとおり、「世界を狙うホープ」と大きな注目を集めたことはない。何度も挫折を味わい、何度も悔しい思いをしてきた。その一つひとつをしっかり受け止め、成長し続けてきたからこそ、つながった道である。

「ボクシングって、弱ければ、殴られて、痛い思いをする。そこで成長しなければ、たとえばスパーリングでも同じ相手にやられ続けるんです。でも、成長すれば、それが逆になる。自分のやってきたことが100%自分に返ってきて、成長を実感できることが、僕にとってのボクシングの面白さ。いろんなものを身に着けながら、やっとここまで来て。だから、その期間が僕には重要で。長かったな、とは思わないですし、今がベストだと思っています」

 田口とは、2007年の新人王の同期。ともにトーナメントを勝ち上がり、東日本新人王決勝に進出したが、田口は勝利し、船井は敗れた。以来、大事なところで勝てない自分をどこかで引きずっていたかもしれないという。

 だが、アマチュアの実績もなく、プロのリングで1戦1戦、成長してきたのは田口も同じ。デビュー当初を振り返り、田口が「リングに上がっても心臓がドキドキしていて。自分の心臓の音がお客さんとか、相手に聞こえているんじゃないかと心配になるぐらい緊張してました」と言っていたことがある。

 田口にとってのターニングポイントのひとつが新人王戦だった。

 東日本新人王準決勝の前だった。田口は腰の椎間板ヘルニアを発症する。それでも痛みを押して戦い抜き、東日本新人王から全日本新人王に輝いた。その後、手術で1年近いブランクをつくるほどだったが、逆境に打ち克ち、何かを成し遂げた経験が、一段上へと田口を引き上げるのである。

 一歩一歩、一段ずつ上へ、その歩みを間近で見てきたからこそ、「船井さんは、強いし、巧いし、何よりパンチもある。人としても素晴らしくて、世界を獲れる器だと信じているので」と田口は言う。

「だから、これは応援に行かないといけないと思ったし、アメリカに見届けに行ってきます」

 船井の世界初挑戦に向けた取材の日、たまたまジムに用事のあった田口が顔を見せた。田中恒成(畑中)との“宿命の一戦”に敗れてから10日余り。お互いの試合には一言も触れることなく、いつものようにただにこやかに談笑するだけだった。言葉にしなくても、それぞれの道を理解し合い、お互いを認め合っていることが伝わってきた。

 25日、後輩の前東洋太平洋フライ級王者、中山佳祐との4ラウンドのスパーリングで実戦練習を打ち上げ。150ラウンドに及ぶサウスポーとの手合わせで、自信を深めてきた船井は「あとは練習でやってきたことを本番のリングで出すだけです」と笑顔を見せた。いよいよ明日28日、決戦の地、ストックトンへと旅立つ。

文◎船橋真二郎
写真◎大泉謙也


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