会場のボルテージが一気に最高潮に達するのが「選手入場」。彼ら彼女らは、その日のために用意したお気に入りのコスチュームに身を包み、ぽっかりと光に照らし出された決闘場へと、一歩また一歩とゆっくり進んでいく。
「闘争心をかきたてるため」という者もいれば、「逃げ出したくなる気持ちを抑えるため」という者もきっといるだろう。
 1対1の戦いの場に向かう背中を後押ししてくれる──。選手たちは、それぞれの感性をフル稼働して、ふさわしい入場曲を選んでいる。
 曲調も多彩、歌詞のある曲であれば、その歌詞に込められたメッセージも。選手のセンスがあふれ、戦士たちの心情をなおいっそう理解する上では、入場曲はわれわれ第三者にとっても欠かせないアイテムだ。 
 入場曲に込められた想いを選手自身に語ってもらう。第4回は、ふたたび日本タイトルを獲得し、困難極める階級での世界戦線浮上を期す小原佳太(33歳=三迫)の登場だ。

文_船橋真二郎
写真_菊田義久

『ありがとう』yaszen

《ありがとう ありがとう 何度言えば 伝わるのかな》

《幸せが生んだ言葉 最上級のありがとう》

 シンプルなフレーズから始まる軽やかな前奏に引き込まれる。

「今から戦いに行くぞ、みたいな感じじゃないところが、自分らしくていいなと思って」

 11月で34歳になる国内中量級きっての実力者は、いたずらっぽく笑った。

リングイン直前、東洋大の同期で、元東洋太平洋バンタム級王者の椎野大輝トレーナーからひと言もらう

 入場曲に選んだのは、日本ランカー時代。この試合から、とは正確には思い出せない。岩手の強豪校・黒沢尻工業高校時代はインターハイ・ベスト4、東洋大学では2度の国体優勝の実績があり、2010年8月にB級(6回戦)でデビュー。スーパーライト級で日本、東洋太平洋王者となり、2016年には世界にも挑戦した。28戦(23勝21KO4敗1分)のキャリアのほとんどを『ありがとう』とともにリングに上がってきた。

 アーティストのyaszenは、東洋大学の先輩。相撲部OBの高村泰弘さん、そして、ボクシング部OBの長谷川禅さん(元・高校選抜ウェルター王者)によるアコースティックデュオで現WBA世界ミドル級王者の村田諒太(帝拳)の2学年上、小原の3学年上にあたる。ただ、その縁が決め手ではないという。

 ボクサーの入場曲とは「ボクシングと同じで自己表現」と考える小原にとって、「自分がどんなボクサーか、どういう人間か、表れている」のが、ごく自然なこと。23勝21KOの高いKO勝率を誇るが、根底にあるのは「考えるボクシング」。スタイルは正統派ながら、対戦相手の「裏をかく」、「タイミングをずらす」、攻防のなかに「意外性」を織り込むことを意識している。

 この選曲も「変化球(笑)」。といって、あえて奇をてらったというわけでもない。小原自身がストレートに「いい曲だな」と感じ、フィーリングが合った。

「(入場曲としても)キャッチーな曲だなと思ったので。ゴリゴリのロックとか、ヒップホップより、こういうポップなほうが僕らしいのかな、と」

 小原の話を聞いていて、思い出したのがデビュー当時。試合用のトランクスに大きく《楽》の一字をあしらっていた。見ようによっては禅問答のようにも思われ、意味ありげに感じられる。実際のところは、デザイナーから「ワンポイントになるフレーズを何か入れたい」と言われ、ふと思い浮かんだものだった。

 特に意味づけすることもなく、いわば“直感”だった《楽》は、プロとして試合を重ねるごとにぴたりとハマっていく。リングで観客を「楽しませる」こと、自分自身が「楽しむ」こと。《楽》の心持ちが、小原の「考えるボクシング」を伸びやかにした。

 そんな瞬間は『ありがとう』にもあった。2013年4月に迎えた日本スーパーライト級王座決定戦。プロ初のタイトルが懸かったリングに向かう小原を大声援が包んだ。

「それまでで一番だったんですよ。会場に入った瞬間、ものすごい歓声で。ボクシングはひとりの力ではできないって、感謝の気持ちになって。これを伝えるには一番の曲だなと思ったし、これからも使い続けていこうと思いました」

 2016年9月にロシア・モスクワで世界挑戦が決まったときは、凱旋防衛戦のリングで「2人に生で歌ってもらいたい」とイメージしていた。結果は当時24戦全勝21KO、14連続KO中だった地元の王者に2回TKOの完敗。再び上を目指す闘いが始まった。この間にyaszenは解散し、願いを果たすことはできなかったが、感謝を表したいと変わらず『ありがとう』をバックにリングへの花道を進んできた。

画像: 今年2月、永野を破って日本王座2階級制覇を果たした 写真_馬場高志

今年2月、永野を破って日本王座2階級制覇を果たした 写真_馬場高志

 現在、IBF世界ウェルター級4位と上位に位置する。新型コロナウイルス禍で国内の興行が自粛になる前の2月1日には、日本ウェルター級王者の永野祐樹(帝拳)を7回TKOで下し、2階級目となる日本のベルトを巻いた。が、もちろん目指している場所はここではない。

 昨年3月、アメリカ・フィラデルフィアのトップランク興行でIBF世界ウェルター級挑戦者決定戦を戦った。アマ戦歴豊富な当時15戦全勝9KOの25歳、クドラティロ・アブドカハロフ(ウズベキスタン)に判定で敗れ、2度目の世界挑戦は遠ざかった。それでもIBFランキングに踏みとどまり、再起を決断した小原が掲げたのは「世界ランカーに勝つこと」。
 
 スーパーライト級時代の2015年11月には、マイアミで同じくIBFの挑戦者権を懸けて戦い、分のいい引き分け。現地でも「小原勝利」の見方が大勢を占める内容だった。結局、IBFの再戦指令を受けた交渉がまとまらず、挑戦権は小原に。翌年の世界挑戦につながった。勝ちに等しいと言ってもいい試合だが、現実にまだ世界挑戦者決定戦に勝っていないことを踏まえ、自らに課した目標だった。

 ウェルター級は、長い歴史のなかで日本人王者がひとりも誕生していない階級。現在の世界王座にも、WBOは36戦全勝27KOで世界3階級制覇のテレンス・クロフォード(アメリカ)、WBCとIBFは26戦全勝21KOの“次代のスター”エロール・スペンス・ジュニア(アメリカ)、そしてWBA(スーパー王座)には6階級を制した“レジェンド”マニー・パッキャオ(フィリピン)と、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。

「メンツを見ても、挑戦が決まるだけで素晴らしいことなので。決まらないことには、そこ(世界チャンピオン)は言えない」と、現状を冷静に見つめている。

日本のベルトは伝統も価値もある。がしかし、ここで満足するわけにはいかない 写真_馬場高志

 大学卒業後、就職して一度はグローブを吊るした。自分を生かせる道はボクシングと程なくプロ入りを決めて、リングに戻ったが、「日本チャンピオンになれるとも思ってなかった」と“甘い夢”を見たことはない。

 デビュー戦は、キャリア32戦の元日本ランカーとの冒険マッチ。いきなりダウンを奪いながら、終盤5ラウンドに逆転TKO負けを喫した。そこから日本ランカー、次は日本タイトルと、段階を踏んでクリアし、ひとつ上、またひとつ上と、目指す場所を自分の手で引き上げてきた。その着実な歩みとともに小原を取り巻く輪も確実に広がった。

 やるべきことをやってきた自負もある。それだけの練習環境があるのもスポンサー、応援者の存在があったからこそ。フィジカル、コンディショニング、バンデージ巻きと、長年タッグを組んできたパーソナルトレーナーの永末貴之さん、マッチメークを担う三迫貴志・三迫ジム会長など、たくさんの人たちに支えられてきた。この3月には第一子となる長女が生まれたが、「好きなだけ、やればいいよ」と妻も後押ししてくれている。

 状況が許すなら、「すぐにでもアメリカに行きたい気持ち」だという。昨夏には、ジムの後輩でライト級3冠(日本、東洋太平洋、WBOアジアパシフィック)王者の吉野修一郎と、ロサンゼルスで何度目かのスパーリング合宿を行なった。「死に物狂いでやらないと」渡り合えないパートナーは、国内にはいない。

 三迫会長が奔走するものの、この階級で世界ランカーとの試合を組むのは簡単なことではない。“格下との調整試合”で時間を浪費するのではなく、昨年から今年にかけて、自ら日本タイトル最強挑戦者決定戦から日本タイトルマッチの道を選んだのは、実績のある小原を食ってやろうと挑んでくる相手に“勝負の緊張感”を持続するためだった。

三迫会長(右)、加藤健太トレーナーと。信頼できるスタッフに囲まれ、感謝の気持ちにあふれている 写真_馬場高志

 だが、世界トップの“感覚”を味わうには、十分ではないことも確かだった。年齢的に今年が最後の年かもしれない、と見定めてきた。体力の衰えなどは感じないが、この“感覚”のキープこそが最も不安だという。

 アメリカでは少しずつ興行が再開され、国内でも7月から再開の見込み。それでも難しい状況は、しばらく続く。時間との闘いも自覚するなか、日本タイトルの防衛戦も視野に入れながら、「僕は、ボクシングだけが人生だと思っていないので」と、きっぱり言いきってみせたあと、「……って、言い聞かせてます」と笑った。

 23歳のデビューから間もなく10年。『ありがとう』に込めてきた想いは、どこに着地するのか。この状況下、ベストではなくとも、最良の道が開けることを願ってやまない。

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