7月25日に開会式が行なわれるインターハイの男子サッカー競技。翌26日から1回戦が始まる。今大会の静岡県代表は4年ぶり2回目の出場となった清水桜が丘高校。全国優勝を12回も成し遂げ、名選手を何人も輩出してきた清水商業高校が2013年に庵原高校と統合してできた高校だ。17年度の『全国高校サッカー選手権大会』には現在の高校となって初めての出場を果たしている。名門の名を受け継ごうと戦う者たちの思いを聞いた。その前編をお送りする。

(出典:『サッカークリニック』2018年8月号)

上のメイン写真=コーチとして長年、選手たちの指導にあたってきた片瀬晴城氏が熱心に選手たちに話し掛ける。2018年から監督としてチームを率いている ©吉田太郎

新しい校名で戻ってきた選手権
響き渡った『清桜サンバ』

画像: 全国優勝に何度も導いた上、のちの日本代表選手を数多く育ててきた大瀧雅良・総監督(写真中央) ©吉田太郎

全国優勝に何度も導いた上、のちの日本代表選手を数多く育ててきた大瀧雅良・総監督(写真中央) ©吉田太郎

 2017年度『全国高校サッカー選手権大会(以下、選手権)』の静岡県大会決勝。清水桜が丘高校は、先制されながらも前半終了間際に当時の1年生FW松永颯太のゴールで同点に追いついた。テクニシャンぞろいの静岡学園高校にボールを保持される時間帯が長かったものの、清水桜が丘の選手たちは相手の得意なドリブルに置き去りにされないように徹底的について行く。そして縦パスのコースを切り、入って来たボールに対して厳しく当たって攻撃の起点をほとんどつくらせなかった。ボランチの2人がセカンド・ボールを献身的に拾い続けたこともあり、静岡学園の攻撃を100分間しのいだ。清水桜が丘は同点のまま迎えたPK戦を4 -3で制し、全国大会への出場を初めて決めた。

 選手権優勝3回、インターハイ優勝4回、高円宮杯全日本ユース(U -18)選手権優勝5回の歴史を持ち、GK川口能活、MF小野伸二(現在は北海道コンサドーレ札幌)、名波浩、藤田俊哉、風間八宏(現在は名古屋グランパスの監督)ら、数々の名手を輩出した清水商業高校が、13年に庵原高校と統合してから初めてとなる、選手権出場だった。

 決勝の会場であるエコパスタジアムに鳴り響く清水桜が丘の校歌を聞いた大瀧雅良・総監督(当時は監督)は「後ろを振り返っても仕方がないですから。前を向いていかなければいけません。校歌も変わって、いつまでも以前の校歌を歌っているわけにもいきません。『前へどう進むか』が大切なのです」と語っていた。

 迎えた17年12月31日の選手権1回戦、清水桜が丘は高川学園高校(山口県)にPK戦の末に敗れてしまう。それでも、スタンドではかつて選手権の会場を沸かせた『清商サンバ』を受け継ぐ『清桜サンバ』が何度も響き渡り、清商時代からのファンが選手たちの勇姿を目に焼きつけていた。

前向きな気持ちを感じた
2002年のインターハイ

画像: 『全国サッカー選手権大会』の優勝チームに贈られる金色の『民放杯』。このトロフィーは返還しないもので、清水桜が丘高校には清水商業高校時代に獲得(85年度、88年度、93年度)した3個が飾られている ©吉田太郎

『全国サッカー選手権大会』の優勝チームに贈られる金色の『民放杯』。このトロフィーは返還しないもので、清水桜が丘高校には清水商業高校時代に獲得(85年度、88年度、93年度)した3個が飾られている ©吉田太郎

 清水商業から清水桜が丘となり、グラウンドは土から人工芝へ、そして校舎も変わった。時代が移り変わる中、続けてきた取り組みが清水桜が丘を「全国の匂いを嗅げる」チームであり続けさせている。

 1985年度の選手権初優勝から計12回の日本一に輝いている清水商業だが、選手権は00年度に11回目の出場をしてから11年度まで出場することができなかった。90年代末には1学年8クラスだったが、13年4月に新しい学校としてスタートを切ることが決まると4クラスまで減少した。清水商業という学校の存在が徐々に薄れていく中、新設校準備のために校舎が改築され、グラウンドも使用できなくなっていった。

 どれだけ強さを誇っていても、強さを維持することは簡単ではない。指導体制と学校方針の変更、他の強豪校の台頭……。清水商業、清水東高校、そして東海大学第一高校(現在は東海大学付属静岡翔洋高校)と、3校の選手権優勝校を出している静岡県清水地域は、他に先んじて若年層からの強化を図ったことが一時代を築く要因になった。だが、他地域が同様の取り組みを行なってきたこと、才能ある中学生がJクラブのユース・チームへ行ったりすることなどもあって、清水商業も圧倒的な強さを維持することができなくなった。そして生徒数が減り、清商の名前がなくなることも決まった。衰退してもおかしくない状況だった。

 清水商業と清水桜が丘での指導が今年で22年目となり、数年前から実質的にチームの指揮を執ってきた片瀬晴城・監督は、「弱くなるのは簡単です。あのとき(13年)が最もつらかったです」と振り返った。その中で、清水出身であり、清水東高校時代に選手権優勝も経験した片瀬監督がこだわってきた部分がある。

「『清商が終わる。桜が丘になる』となったときに思ったのは、『ここに全国の匂いを嗅げるチームを残さないといけない』ということです。私にはサッカーに育ててもらった思いがあります。この地域に『全国の匂いを嗅げるチームを残さないといけない』と思ったのです」(片瀬監督)

 静岡県外から有力選手が加入してくる静岡学園や藤枝東高校といった名門校や中高一貫指導で力をつけた浜松開誠館高校、常葉大学附属橘高校、ほかにも清水東、藤枝明誠高校などが覇権を争う静岡で勝ち続けることは簡単ではない。

 00年代に入って取り巻く環境が変わる中、清水商業、及び清水桜が丘は苦しい戦いを強いられるようになった。それでも静岡県の決勝や準決勝に進み続け、00年、02 年、09年、15年にはインターハイ出場も果たしている。年代別日本代表や静岡県選抜の選手が多数いた時代とは違うが、それでも今も、清水桜が丘は「全国の匂いを嗅げるチーム」であり続けている。

 チームが前向きな考えを持つきっかけになったのは、02年のインターハイだ。当時、チームの静岡県選抜はMFの菊地直哉(現在はアビスパ福岡)のみだったが、清水商業は3位に入った。片瀬監督は「(以前のように)日の丸(をつける選手)はたくさんいないかもしれませんが、『来てくれる子たちでやれるんじゃないか』という気持ちになりました」。

※後編に続く→https://www.bbm-japan.com/soccerclinic/17288770

(取材・構成/吉田太郎)

後編はこちら

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