ソフトボール・マガジンで連載中の『さゆ先生のピッチングクリニック』。元日本代表の山根佐由里さんによる、ピッチングの技術紹介企画です。ソフトボール・マガジンWEBでは、過去に掲載した記事を順々に紹介してきます。今回は、その1回目。ピッチング技術を紹介していただく前に、山根さんのソフトボール人生を振り返っていただきました。

小学校時代の思い出
(1)縄跳び好きな女の子

 私がソフトボールを始めたのは小学2年生のときです。きっかけは3つ上の姉が、小学4年生で地元のスポーツ少年団に入ったことでした。姉が5年生のときに父がチームのコーチを頼まれて、そのタイミングで小学2年生だった私も練習についていくようになりました。

 小さいころは縄跳びが好きで、足も速かったですし、どちらかというと運動は得意なほうだったと思います。ただ、チームには4年生からしか入れなかったので、最初はソフトボールの練習をしに行くというよりも、遊びに行く感覚でした。

 ポジションも分からなかった私に、小学6年生のお姉さんたちが優しく教えてくれたのを覚えています。「ショートはショートケーキ」「セカンドはさしすせ、セカンド」というふうに(笑)。そうやって、新しいことを覚えていくのがすごく楽しかったです。

 チームの練習は、基本的に土日だったので、学校が早く終わる日は家でも姉と自主練をしていました。でも、私が下手だから怒られるんです……それが嫌でしたね~(苦笑)。

 そして、姉が小学5、6年生のころにピッチャーを始めたので、私も見よう見まねでピッチングの練習をするようになりました。家にはバッティング練習用に設置したネットがあったので、そこにテープでストライクゾーンを作って投げていました。

 父がいるときは、父がキャッチャーをやってくれて、試合を想定しながらゲーム感覚で投げていました。ルールは三振かフォアボールしかなくて、3つストライクを取ったらワンアウトでした。「今日はツーアウト満塁までいっちゃった」とか、母に報告しながらやっていました(笑)。

 チームで最初に守ったのはサード。ノックを受けても全然捕れないから最初はつまらなくて、でもできないことが悔しいからだんだんと努力することを覚えました。高学年になってからは外部コーチの方が来られて、そこからはその方にピッチングを見てもらうようになりました。

 エースで投げるようになったのは小学6年生のとき。ただ、当時の身長は138cmほどで小学6年生にしては小さかったので、身体を使って投げるように指導を受けていました。

 その方が来てから、ソフトボールノートもつけるようになりました。その日の練習内容や感想を書いて、提出していましたね。宿題もすぐに取り組むタイプだったので、ソフトボールノートも苦じゃなくて、毎回きちんと書いていました。(ソフトボール・マガジン2018年10月号掲載記事)

講師プロフィール

山根佐由里(元トヨタ自動車)
やまね・さゆり/1990年1月24日、三重県出身。右投右打。投手。宇治山田商業高-レオパレス21(2008年~09年)-トヨタ自動車(10年~17年)。高校3年時に世界ジュニア選手権で準優勝。レオパレス21時代の実業団1年目に新人賞に輝く。トヨタ自動車移籍後、12年から16年までの5年間でリーグ記録の42連勝を打ち立て、14年には最優秀投手賞を受賞。日本代表では10年、14年、16年と世界選手権出場。17年限りで現役引退。

画像: 講師プロフィール

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