ソフトボール・マガジンで連載中の『さゆ先生のピッチングクリニック』。元日本代表の山根佐由里さんによる、ピッチングの技術紹介企画です。ソフトボール・マガジンWEBでは、過去に掲載した記事を順々に紹介してきます。今回は、その5回目。ピッチング技術を紹介する前に、山根さんのソフトボール人生を振り返っていただきました。

高校時代の思い出
(1)活躍の場を求めて

 高校の進路を決めるとき、最初は3つ上の姉が三重県内の私立高校に行っていたこともあり、そこと県外の私立高校との間で迷いました。強豪校へのあこがれもありましたが、行っても投げられるか分からない。それで最終的には、県内の宇治山田商業高(以下、山商)に決めました。母からの「商業高校だったら資格が取れるよ。ソフトボールのことだけじゃなくて、もっと長い目で見て考えなさい」とのアドバイスも、山商に決める一つのきっかけになりました。

 結果、山商に行って本当に良かったです。資格も取れましたし、野球部、陸上部、サッカー部といろいろな部活動が全国区で活躍している学校だったので、違う競技の子からたくさんの刺激を受けました。

 ソフトボール部では、1個上の先輩と私と同級生の3人でピッチング練習をしていて、先輩が毎日その日の課題を与えてくれました。今日は基礎練をしよう、今日は変化球を練習してみようとか。変化球と言っても当時はまだ遊び感覚で、監督に「この握りで投げてみて」と言われて、それを試してみるといった感じでした。

 高校1年の夏は、エースとしてインターハイ予選を投げさせてもらいましたが、1回戦敗退。しかし、その悔しさを糧に秋の新人戦では県大会優勝を果たして、センバツ出場を決めました。センバツ本番直前に足をくじくというアクシデントもありましたが(苦笑)、何とか治して開催地である佐賀県の伊万里市へ。1回戦は笠田高に1対0(11回タイブレーカー)で勝ち、2回戦は大分西高に1対0で勝利。そして、3回戦で強豪・厚木商業高と対戦。伝統の紫のユニフォームを見たときに、こんな人たちと戦える全国大会ってすごいなって興奮したことを覚えています(笑)。結果は0対1で負けましたが、すごく悔しかったですね。ここで絶対優勝したい、そう強く思いました。

 でも、当時の三重県は山商と、伊勢女子高(現伊勢学園高)、三重高、津商業高の四強時代だったので、県大会で勝つのが簡単ではありませんでした。結局、山商として全国大会に行けたのは1回きりでした。ただ、2年生のときに兵庫国体に出場することができました。決勝まで勝ち進んで埼玉と対戦。同級生の森田千晶(星野高→トヨタ自動車ほか)と投げ合って0対1で負けました。準優勝はできたけど、優勝できなかったことが悔しかったですし、同級生に負けたことも悔しかった。そんな大会でした。1年生の3月にセンバツを経験し、2年生の秋に国体で準優勝。振り返ってみても得ることの多いシーズンになりました。(ソフトボール・マガジン2018年11月号掲載記事)

講師プロフィール

山根佐由里(元トヨタ自動車)
やまね・さゆり/1990年1月24日、三重県出身。右投右打。投手。宇治山田商業高-レオパレス21(2008年~09年)-トヨタ自動車(10年~17年)。高校3年時に世界ジュニア選手権で準優勝。レオパレス21時代の実業団1年目に新人賞に輝く。トヨタ自動車移籍後、12年から16年までの5年間でリーグ記録の42連勝を打ち立て、14年には最優秀投手賞を受賞。日本代表では10年、14年、16年と世界選手権出場。17年限りで現役引退。

画像: 講師プロフィール

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