ソフトボール・マガジンで連載中の『さゆ先生のピッチングクリニック』。元日本代表の山根佐由里さんによる、ピッチングの技術紹介企画です。ソフトボール・マガジンWEBでは、過去に掲載した記事を順々に紹介してきます。今回は、その6回目。ピッチング技術を紹介する前に、山根さんのソフトボール人生を振り返っていただきました。

高校時代の思い出
(2)初めての大きな試練

 順調に高校での部活生活を送っていた私ですが、2年生の3月にいきなり試練が訪れます。守備練習中に前十字靭帯を断裂してしまったんです。手術が必要なレベルで、競技復帰は半年から1年かかると言われました。5月にはインターハイ予選を控えていましたし、6月に行なわれる世界ジュニア選手権のメンバーにも選ばれていました。

 難しい決断になりましたが、手術を先延ばしして大会に臨むことにしました。そこからはリハビリに励みました。春の県大会決勝で実戦復帰して、5月の県予選に臨みましたが、決勝で伊勢女子高(現伊勢学園高)に敗れて、インターハイ出場はかないませんでした。

 とうとう、インターハイには一度も出られなかったとしばらく落ち込みましたが、そのあとに世界ジュニア選手権を控えていたので、そこに向けて気持ちを切り替えました。しかし、晴れの舞台ではイリーガルを取られてしまい、ほとんど投げることができず……。

 そんなこともあって、私にとっては世界ジュニア選手権は印象が薄い大会ではあるんですが、初めてジャパンのユニフォームをもらったときはうれしかったですね。同級生で一緒に選ばれた(佐藤)みなみ(星野高-太陽誘電)と写真を撮ったことを覚えています(笑)。そして、初めて日の丸を付けて国歌を歌ったときは、すごく感動しました。

 断裂していた前十字靭帯は、大会が終わってからすぐに手術して、翌年の2月にはレパレス21の寮に入寮。ありがたいことにたくさんのチームからお話をいただきましたが、進路を決めるときに重要視したのは、高校を決めたときと同じようにそこで投げられる可能性があるかどうか。

 いくら強いチームに行っても、投げられなければ意味がありません。当時のレオパレス21には(メラニー・)ローチ(元SGホールディングスコーチ)、秋元(理紗、現伊予銀行監督)さんがいましたが、二人ともベテラン投手。ほかにもピッチャーはいましたが、ほぼ二人で投げていたのでチャンスはあるかな、と。(ソフトボール・マガジン2018年11月号掲載記事)

講師プロフィール

山根佐由里(元トヨタ自動車)
やまね・さゆり/1990年1月24日、三重県出身。右投右打。投手。宇治山田商業高-レオパレス21(2008年~09年)-トヨタ自動車(10年~17年)。高校3年時に世界ジュニア選手権で準優勝。レオパレス21時代の実業団1年目に新人賞に輝く。トヨタ自動車移籍後、12年から16年までの5年間でリーグ記録の42連勝を打ち立て、14年には最優秀投手賞を受賞。日本代表では10年、14年、16年と世界選手権出場。17年限りで現役引退。

画像: 講師プロフィール

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