※写真上=昭和35年4月3日、兵庫県三田市の巡業地でホープ大鵬に稽古をつける横綱初代若乃花
写真:別冊相撲『昭和の名横綱シリーズ12初代若乃花幹士』(昭和57年)

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの“一枚”というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な“一枚”をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

日本伝統競技の、偉大さ奥深さに感動

 私は長年相撲教習所で新弟子諸君を相手に相撲史を講じさせてもらっているが、一方で大の相撲ファンである。そんな私だから、教習所の講師冥利に尽きることにもたびたび出くわす。その中でも昭和35年(1960)春場所千秋楽、史上初の全勝横綱対決となった、栃・若の大一番にまつわる記憶は、長い人生の中でも忘れ得ぬ誇り高きものである。

 戦後初の相撲黄金時代を築いた栃錦・若乃花が、春日野理事長、二子山副理事長として再びコンビを組み、両国に新国技館を建てたころの話である。

 相撲教習所の卒業式を終え協会幹部と講師連で行われた簡単な打ち上げ会の席上、あこがれの栃・若を前にした私は、この機会を逃してなるものかと、あの全勝対決に話題を振った。お二人がざっくばらんに答えてくれた中でも二子山親方の話には、深く感動した。

「あの前夜、ワシはどうやったら勝てるかと考えていたら、まるで眠れなくなって、ふらりと近くの映画館に出掛けたんだよ。暗い中しばらくして目が慣れてくると、前の方にやけに大きな男が座っている。よく見たら栃関じゃないか。ああ、この人でさえ同じように眠れないでいるんだ。そう分かった瞬間、ああ、この勝負、ワシがもらった! と感じたね」

 この大勝負は前夜から始まっていたのである。

 隣で苦笑いしている春日野理事長に、私は調子に乗ってとんでもなく失礼な疑問をぶつけた。あの左で廻しを切りに出た有名なシーンについてである。「なんで、あんな無謀な取り口に出たんですか」と。

 かつての栃錦は「そりゃね、惨めな負け方をしたくなかったからだよ」。あれ以上長く取っても、若乃花の若さに太刀打ちできなくなる。だから思い切って一か八かの勝負に出た。横綱としてのプライドが惨めな負け方を許さなかったというのだ。さすがは栃錦である。翌夏場所3日目、初場所10度目の優勝をしたばかりのこの大横綱は突如引退、見事な散り際を見せた。

 さて、ようやく本題。私の“奇跡の一枚”は、大勝負の余韻も覚めやらぬ春場所直後の巡業中の、この写真である。なんと当の若乃花が、次代を担うホープ、のちに大横綱となる大鵬に、自分が栃錦となってあの上手を切りに出た場面をしっかり伝えている姿が写っているではないか!

 これを見た瞬間、あの打ち上げの席の思い出が甦るとともに、相撲に向き合う大横綱たちの真剣さ、国技伝承に燃える姿をここにも発見し、私はさらに揺るがぬ相撲ファンとなった。

語り部=江戸東京博物館館長 相撲教習所講師 竹内 誠

画像: 35年春場所千秋楽、栃錦が左差し手を抜いて相手の上手を切りにいった名シーン。 若乃花はこの機をとらえてモロ差しとなりそのまま寄り切り、8度目の優勝を初めての全勝で飾った 写真:月刊相撲

35年春場所千秋楽、栃錦が左差し手を抜いて相手の上手を切りにいった名シーン。
若乃花はこの機をとらえてモロ差しとなりそのまま寄り切り、8度目の優勝を初めての全勝で飾った
写真:月刊相撲

月刊『相撲』平成24年3月号掲載


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