東京生まれの東京育ちの私。両親もほとんど東京のありふれた家庭で育っている。

※写真上=私の人生の転機となった「相撲趣味の会」の諸先生方。「相撲趣味の会」の重鎮のお歴々による『大砲から大鵬まで』の座談会(昭和35年)。前列左から3人目が「相撲の殿さま」酒井忠正氏。5人目が「趣味の会生みの親」中尾方一氏。両氏の人柄・人望・人脈によって今日まで「相撲趣味の会」が存続しているといっても過言ではない。
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

相撲好きとなる原点

 男2人兄弟で、ワンパク盛りのころは、大きな掘りごたつの上でよく弟と相撲を取り、たびたびこたつを壊しては怒られたのも、懐かしい思い出となっている。

 このころ(昭和32年ごろ)、我が家にテレビがあった。まだそれほど一般に普及していない時期だったが、父親の野球と相撲好きが、薄給の身ながら購入を早めさせたと聞き及んでいる。加えて兄弟2人して夕方まで街角のテレビを見に行っていた、いわゆる“テレビジプシー”であったことも関係している。

 父親の影響もあってか、幼少のころから大相撲、プロ野球、プロレスに親しみ、日常生活の中に、その「三大娯楽」が身に染み付いていたと思う。いま「大相撲史研究家」となっている自分の原点は、この辺にあると思う次第だ。

 そんな中、当時流行していた少年向けの月刊誌(『少年画報』『ぼくら』『少年クラブ』『冒険王』……)には各種の相撲漫画が連載されて、大いに楽しませてくれた。「金星金太」「あめんぼう」などは特に印象深い。また実在の力士を描いた漫画本は特に人気を集め、貸本屋の目玉商品となっていた。

相撲趣味の会に入会

 中学生となって月刊『相撲』『大相撲』の愛読者となった。当時は相撲の人気が不況の時代で、観戦客も非常に少なく、母親の知り合いの方が切符を無料で回してくれ観戦していた。

 高校へと進み、相撲熱はさらに熱を帯びていった。当然、学業の成績は下がっていった。高校2年生の夏、ご縁があって運良く「相撲趣味の会」に入会させていただくことができた。当時から「相撲趣味の会」は高名、著名な相撲研究家の方々の所属する文化人のサロン的な集まりと承知していたので、一介の高校生が入会を許されたことは大きな喜びであり、人生の転機となった。

 勉強嫌いなため、浪人生活の中でも相撲は生活の一部としてあり、学生時代も、就職してからも生活のサイクルは変わりなかった。

「相撲趣味の会」入会後しばらくして、個人的に先輩方の教えを受け、地方在住、同好の方々との交流、交際は頻繁に行い、現在に至っている。

「運」と「縁」に恵まれて

 自分は相撲趣味に関連して「運」「縁」「めぐり逢い」というものに恵まれてきたように思う。たぶんそういう“星”の下に生まれた――と思うことがある。

 資料を集め、研究を進め、工夫を重ねていく過程で、「運」と「縁」に恵まれ、単行本を10冊あまり発行・編集責任者とさせていただいた。月刊『相撲』では「年寄名跡の代々」連載を19年余り受け持つことができ、各種の連載、講演依頼などで少なからず相撲史研究発展に微力を注がせていただいた。

 これもひとえに「良き相撲仲間に恵まれて」現実化したものだ。先人の研究、先輩の教え、同年代、後輩との交際は“私の宝物”と言っても過言ではない。相撲に限らず皆さんから教わり学び得たことは数え切れず、生涯大切にしていき、次世代にも伝えていきたいと念じている。

 ともあれ、自分にとって相撲は趣味・仕事を超えた憩いであり、安らぎでもある。趣味には「退職」も「停年」もない――と自分は確信している。

語り部=小池謙一(大相撲史研究家)

月刊『相撲』平成26年2月号掲載

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