平成25(2013)年納めの九州場所、37代庄之助、40代伊之助が誕生し、立行司の空位が埋まった。行司はあくまで力士の引き立て役でしかないのだが、長年の習慣で、やはりおさまるところにおさまっていると、安心して相撲を観戦できる気がする。

※写真上=白い髭がトレードマークだった19代式守伊之助。その姿を結びの一番を担当する22代木村庄之助が見守る。行司の登場とともに、取組も盛り上がった栃若時代の「これより三役」……
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

土俵を支える「立行司コンビ」

 私は、栃若時代に“ヒゲの伊之助”として有名だった19代式守伊之助の最後の弟子(14歳で入門、東京都高円寺のお宅に住み込み)だが、いま振り返ると、やはり22代庄之助親方と好対照の妙があったからこそあの時代、あれだけの相撲ファンを沸かせたのだと思う。

 片や、厳かな風情と凛とした声や動きで結びの一番を裁き名行司と評判の高い庄之助。こなた、その前を裁く小さくてどこか愛嬌があり、カナリアとも評されるようなよく通る甲高い声で動き回る、水戸黄門的風貌の伊之助――。

 作家の久保田万太郎さんは大の相撲ファンとしてよく知られたお方で、折々の俳句でもその見識を披瀝なさっているが、19代伊之助もご贔屓だったようで、「初場所やかの伊之助の白い髭」という句を詠んでくださっている。「その白き髭」に我が師匠の純粋さを見、勝負を裁く心を象徴してくださったのだろう。

 ※余談だが、この髭は、実際付け人として日常間近で生活し、卵の白身でもみ洗いなど手伝っている少年(つまり私)の目から見ても本当に美しかった。

その気骨と優しさと

 また、この洒脱な作家は、相撲史に残る昭和33(1958)年秋場所初日の北の洋-栃錦戦の判定を巡る“伊之助涙の抗議”事件の際には、思いっ切り肩入れして、「正直に物言ひて秋深きかな」と詠んでくださったと聞いている。

 栃錦・若乃花の名勝負に胸をときめかせる一方、これほどまでに行司の存在を楽しみ、その心理までも読んでいた当時のファンは、ほんとうに通だったんだなあ、大相撲をこよなく愛していてくださったのだなあ、と今さらのように思わずにいられない。

 停年制実施に伴い、昭和34年を限りに、現役最高齢72歳の記録を遺して土俵を去った親方だが、亡くなる80歳までその精神の若々しさと、信念、心の優しさは変わらなかった。辞めた後も、兄弟子の言うことを素直に聞くこと、力を出し惜しみせず勉強、努力すること、折に触れ寄せてくださったはがきは、私の宝物である。

 一ファンに戻ったいま、私は時折大事なはがきを手に、半世紀前のこの写真を眺めながら、テレビ桟敷で、相撲界にもかつてのような興奮と賑わいを、と念じつつ力士にはもちろん、新立行司コンビをはじめ、協会を支える裏方にも「君たちの役割は大きいんだよ」と陰ながら大きな声援を送っているのである。

 それにしても、やっぱり見事な髭じゃありませんか。

語り部=阿部正夫 元31代木村庄之助(立浪部屋。平成7年11月退職)

月刊『相撲』平成26年3月号掲載

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