この長谷川の力士生活の中で欠かすことのできない昭和47(1972)年春場所の優勝も、ある意味でこの4つの幸運につながる際どさが生んだ一大ハイライトだった。

※写真上=昭和47年春場所、12勝3敗で初優勝を遂げた長谷川。旗手は大関琴櫻(のち横綱)
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】十両2場所目の直前、左足首を骨折し、幕下に陥落。十両に返り咲くまで1年も費やす道草を食う。入幕後は順調に出世を続け、幕内在位69場所中半分近くも三役の座を維持した。そしていよいよ力士人生のハイライトを迎える――

幸運が幸運を呼んだ一大ハイライト

 不思議なことに、不運は不運を呼ぶし、幸運は幸運を呼ぶ。この年の長谷川は、この幸運を司る女神がいっぺんに微笑んだ年だった。

 まず初場所後の1月29日、その前の年の9月に婚約した“名古屋美人”の史子さんと晴れて結婚式を挙げている。2人は同じ年齢、長谷川が入門した年に、名古屋に集団就職していた元上美流渡の同級生の紹介で知り合い、11年の長い付き合いの末にやっとゴールインしたのだった。

 こうして結婚して初めて迎えた春場所は、平幕の栃東(元関脇、前玉ノ井親方)が優勝した初場所に続いて、またまた大波乱、一人横綱の北の富士をはじめ、琴櫻、清國、前の山、大麒麟の4大関が早々に崩れ、だれが優勝するのか、まるで分からない戦国レースになったのだ。

 12日目を終えた時点で、トップは2敗の西前頭7枚目の魁傑(元大関)で、これを1差で関脇長谷川と、前頭11枚目の長浜(2代目豊山)、前頭13枚目の北瀬海(元関脇)の3人が追いかけていた。魁傑と長谷川の1差は、9日目の直接対決で負けてついたものだった。

 ところが、ここからレースは急激な変化を。兄弟子の琴櫻が13日目に長浜、14日目に魁傑を引きずり下ろし、弟弟子の長谷川をトップ並走に押し上げてくれたのだ。

 千秋楽の長谷川の本割の相手は、新鋭の輪島だった。すでに目の前でライバルの魁傑は三重ノ海を破り、先に12勝目を挙げている。もし長谷川が負けると、スンナリと魁傑の優勝決定だ。まず長谷川は、頭の芯までしびれるようなプレッシャーの中で、兄弟弟子の魁傑のためにも、と意気込むこの輪島を右からの上手投げに仕留めた。

 これでいよいよ優勝決定戦。同じような展開が2度続くことを、まるでビデオテープを見ているような、と表現する。この魁傑との初の賜盃をかけた決定戦は、まさにそれだった。

 6日目に対戦したときの長谷川の敗因は、左四つがっぷりになり、右から吊り気味に振ったところを、魁傑の外掛けをタイミングよく食って引っくり返ったものだった。この決定戦でも、立ち合いの当たりで圧倒し、左の掬い投げで泳がせて寄る、という長谷川の速攻が不発に終わり、またもや左四つがっぷりになってしまったのだ。

 こうなると、9日目のときのように右から動くと、魁傑の長い足を生かした左の外掛けが飛んでくるだけに、安易には動けない。

 しかし、強力なキック力を持つ足首に弱点のアキレス腱がついているように、長所と短所は常に紙一重。このとき、長谷川は、この魁傑の外掛けを逆用する策を温めていた。あえて右から動き、魁傑が得意の外掛けにきたところを思い切り跳ね上げ、上手投げを打つ、というものである。

 もう少しで水入り、というとき、長谷川は、この一つ間違えば命取りになる作戦を思い切って決行した。そして、これが頭の中で描いていたとおりにズバリ成功を。ただ、青写真と違っていたところは、決まり手が「上手投げ」ではなく、これでバランスを崩したところを寄った「寄り切り」だったことだけだった。

画像: 昭和47年春場所千秋楽、優勝決定戦で魁傑を寄り切りで破り、優勝を決めた 写真:月刊相撲

昭和47年春場所千秋楽、優勝決定戦で魁傑を寄り切りで破り、優勝を決めた
写真:月刊相撲

「まさかの優勝だけに、あのときはうれしかったですね。特に、あまりよくない、と言われている結婚直後の場所ですから。女房がものすごく喜んでくれましえ。我が人生、最高の一瞬ですね」

 と秀ノ山親方は、この感激の初優勝を振り返る。それはひらめきと勇気でもぎとった会心の“勲章”だった。

 しかし、この翌場所は8勝しかできず、とうとう大関昇進の最大のチャンスは絵に描いた餅に終わった。引退は、この5年後の51年夏場所。三役が多かったことが大きなハンデになっているが、それでも長谷川の実力者ぶりを裏付けるように金星獲得数は8個。三賞も8回受賞している。

「今や、私の北海道の故郷、上美流渡はゴーストタウン同然。そのせいもあるんでしょうが、一度、生まれ故郷の樺太に行ってみたいと思っているんです。もう向こうの記憶はほとんど残ってないんですが、引き上げ船で小樽に着いて食べたアイスキャンデーの甘くて冷たい味だけは、今でもよく覚えているんですよ。どういうワケですか」

 これが「大関」という力士の夢をものにできなかった秀ノ山親方(元関脇長谷川)の次なる夢である。(終。次回からは小結・大潮憲司編です)

PROFILE
長谷川戡洋 ◎本名・長谷川勝敏。昭和19年7月20日、北海道岩見沢市出身。佐渡ケ嶽部屋。184cm127kg。昭和35年春場所、本名の長谷川で初土俵。38年初場所新十両。40年初場所新入幕。最高位関脇。幕内通算69場所、523勝502敗。優勝1回、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞2回。51年夏場所に引退し、年寄秀ノ山を襲名。佐渡ケ嶽部屋で後進の指導にあたる。平成21年7月、停年退職。

『VANVAN相撲界』平成6年9月号掲載

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