11月20日、北の湖理事長が突然亡くなったとき、親方衆や力士など直接の関係者から寄せられたコメントで、吾輩が大いにうなずかされたのは、「男の中の男」「こちらのいうことを何でもちゃんと受け止めてくれた」「『責任はおれが持つから、思い切ってやれ』と言われてうれしかった」といった言葉だった。

※写真上=憧れと思い出の大横綱を前に心踊る吾輩と一緒に、笑顔でカメラに収まってくれた理事長。相撲鑑賞眼のルーツが「輪・湖激突」観戦にある吾輩にとって何よりも貴重な一枚となったのであった
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

北の湖理事長の器の大きさ

 広い意味で吾輩も同じように理事長の益を受けたものである。今日、吾輩が元力士でないにもかかわらず、全国放送で、しかも悪魔姿のすっぴんのまま相撲評論ができているのも、ひとえに北の湖理事長の英断よるところが大きい。

 今から二昔前、吾輩はかの名雑誌『VANVAN相撲界』に10年間以上連載ページを持ち、大の相撲ファンであるという認知を得てはいたが、顔見知りの激しいプロの世界では、いまだ市民権を得てはいなかった。

 しかし、北の湖第1次政権は、何よりも伝統を重んじつつも、新時代に向かって対応すべきところは敢然と切り開いていこうという信念のもと、総合企画部等を新設、数々の改革を打ち出していた。いまや国技館での観戦に欠かせぬアイテム「どすこいFM」もそのひとつ。

 企画部、広報部はこれを使って人気低迷の原因であった旧弊を払い去る方法を模索し始めていた。そして平成17年初場所、それまでの常識からすればとんでもないゲストを呼ぶ快挙(今からすれば)に出たのだ。

本場所中の国技館に初GO!

 つまり、協会の意に反して相撲界を離れてプロレスに転向していた天龍源一郎氏、マンガ家のやくみつる氏、そして吾輩を悪魔の素顔のままで招致したのであった。

 もちろん吾輩に異存があるはずはない。逆に「本当にいいの?」という感じで、スケジュールを調整、協会の申し出を受けた。

 さて、その当日(吾輩は9日目)、協会に出向くと、丁寧に迎え入れられ、まずは理事長がご挨拶申し上げますと、理事長室に通された。

 するとそこには、吾輩が世をしのぶ仮の姿の中高生時代より憧れ続けた北の湖の姿があるではないか。しかもあの「にくらしいほど強くてふてぶてしい」と言われた男が、優しい笑みさえ浮かべ、「今日はよろしくお願いします」と丁重に。さすがの吾輩も心の中で歓喜の声をあげてしまった。

 写真はこのときの一枚である。これこそが吾輩が悪魔姿のままで本場所開催中の国技館入場を果たした歴史的瞬間であった。

 吾輩の「どすこいFM」出演を見て、それまで吾輩を遠巻きにしていたNHKは「デーモンの国技館解禁」と判断し、ここから一気に相撲番組に呼ばれる機会が増えた。それもこれもあの日北の湖理事長が大きな決断のもと快く吾輩を迎えてくれたことに帰するものである。

語り部=デーモン閣下(アーティスト)

月刊『相撲』平成28年1月号掲載

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