辛抱してやっていれば、まるでこの世が自分のためにあるような、摩訶不思議な現象に遭遇することがある。十両と幕内を往復すること13回というエレベーターの史上最多記録を持っている大潮が、この神か仏かにでも見入られたような思いを味わったのは、10回目の入幕から11場所目の昭和52(1977)年九州場所のことである。

※写真上=昭和52年九州場所2日目、大関旭國を鋭い出足で電光石火に送り出す
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】北九州市の八幡から上京し7年目を迎えたが、優し過ぎる性格からか幕下の壁を破れないでいた。殻を破ったのは大阪準場所での、幕下5人抜き。そこで5人抜きを達成し、大化けさせる自信に巡り合えたのだった――

10回目の入幕で見せた輝き

 大潮のいびき、と言えば、いまも大相撲界の語り草になっているほど、超ド級で有名だ。佐渡巡業中、たまたま泊まっていた宿舎のすぐ近くにあった豚小屋の豚が夜中にこの大潮のいびきでブーブー騒ぎ出した。それに驚いて隣の豚小屋の豚が起き出し、さらにまた隣の豚が起き出す、という連鎖反応が起こり、とうとう佐渡の島中の豚が騒ぎ出した。というウソとも本当ともつかないエピソードも残っている。

 このいびきのため、この年の大潮は、ほかの力士たちに遠慮して福岡市内の知人宅に夜だけ泊まっていた。そのお宅には5人の子どもがいたが、その中で一人だけいつもみんなの輪の中に入らず、ポツンと一人でいる小学4、5年の男の子がいた。

 なぜこの子はこんなに一人ぼっちでいるのか。気になって仕方なかった大潮は、仲間に引き入れるためにいろいろ手を尽くしたがどうやっても成功しない。そのため、ガラリと発想を変え、この子と同じような駆け引きのない純粋な目で世の中を眺めることに努めることにした。身も心も汚れきっている大人にとっては至難のワザだったが、視線の高さを同じにすれば、ひょっとするとこの子が抱えている病巣が見えてくるかもしれない、と大潮は考えたのである。

 すると、どうだ。急に世の中がキラキラと明るく輝いて見えだし、と同時に大潮の身の周りに信じられないような出来事が次々と起こり始めたのだ。

「たとえばその当時の部屋の宿舎の入り口は急な坂になっており、しかも街灯がなくて真っ暗だったんですよ。夜、遅く帰ってきたときなど、ああ、こんなとき月でも出ていたら助かるのになあ、と思うでしょう。するとホントに、月が雲間からパッと出てくるんですよ」

 と、63年に引退し、年寄「錣山」を経て「式秀」を襲名した大潮改め式秀親方は、17年前を振り返ってこう話す。

 大潮がこの身辺の異常現象をはっきりと意識したのは、この場所の9日目、大関若三杉(のち横綱2代若乃花)戦のときだった。この当時の若三杉は横綱を目指してひた走っていたころで、まともに行ってはとても大潮の歯が立つ相手ではなかった。

 ――さて、どうしたものか。

 土俵に上がってもまだ迷っていた大潮は、仕切りながら何気なく目を上げて若三杉の後ろの花道を見た。奥の方で、出番前の福の花が付け人に向かって何かしきりに話している。それを見ているうち、大潮は思わず「アッ」と叫んだ。なんと福の花が右手で、こうやれ、と言わんばかりに何度も腕を横に振るゼスチャーをしているのだ。

 ――よし、そんなに言うんだったら、そうしてみるか。

 この場所、子どもの素直さをモットーにし、疑うことをやめた大潮は、なんのちゅうちょもなくこの天啓に従うことに。そして立ち合い、若三杉がモロ差し狙いできたところを思い切って右から小手に振った。

 すると、若三杉の左ヒジがものの見事に決まってしまう。大潮は前に大きくのめるところをピタッと体を寄せ、一気に寄るとこの元気いっぱいの大関があっけなく土俵を割ってしまったのである。

 この若三杉戦以外にも、2日目の旭國戦、7日目の貴ノ花戦と、大潮の作戦が怖いぐらいに的中する相撲がそれこそ何番も。

 この夜、テレビで「大相撲ダイジェスト」を見ていた大潮は、若三杉の師匠の二子山親方(横綱初代若乃花)が、

「今場所の大潮は、なにかが乗り移っているみたいですねえ」

 と解説しているのを聞いて、思わず大きくうなずいた。まったくそのとおりだったのである。

 こうして大潮は東の三枚目というこれまで勝ち越したことがない幕内上位で、12日目に早々と勝ち越しを決めた。翌場所の小結昇進を確実にするとともに、初の三賞である技能賞もモノにした。

 しかし、13日目に播竜山に勝って9勝目を挙げたのを最後に、その神通力が突然消滅を。大詰めの2日間、大潮の相撲はあと一歩というところまで攻め込むものの逆転負けする、という、それまでの粘りのない相撲に戻ってしまったのだ。

「原因? 勝ち込むにつれて、オレがこんなに一生懸命やっているんだからみんなもうちょっと協力してくれていいんじゃないかとか、どうだ、オレは大関に勝ったんだぞ、すごいだろうとか、邪心や慢心が出始めたんですね。するとだんだん素直さがなくなって。あの一人ぼっちの子は、場所の後半にようやく心を開いてくれましたが、自分はそれっきり天に見放されてしまいました」

 と式秀親方は苦笑いする。

 翌場所、30歳で待望の小結に昇進した大潮は3勝12敗と大敗。このとき、先場所逃した魚の大きさを改めて痛感したのだった。(続)

PROFILE
大潮憲司◎本名・波多野憲二。昭和23年1月4日、福岡県北九州市八幡東区出身。時津風部屋。186cm134kg。昭和37年初場所、本名の波多野で初土俵。44年夏場所、大潮に改名。同年九州場所新十両。46年秋場所新入幕。最高位小結。幕内通算51場所、335勝413敗17休。敢闘賞1回、技能賞1回。63年初場所に引退し、年寄錣山から式秀を襲名。平成4年独立し、茨城県龍ケ崎市に式秀部屋を創設。平成25年1月、停年退職。

『VANVAN相撲界』平成7年1月号掲載

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