十両と幕下では待遇に大きな段差があり、たとえ幕内経験者でも幕下に落ちると、関取の特権はすべてはく奪される。

※写真上=足のケガで幕下落ちしたがその後幕内に復活、40歳まで土俵に上がり続けた
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】11回目の入幕を果たした昭和54年春場所2日目、青葉山戦で負傷したが、誤診がもとで公傷が認められなかった。それから2場所後の名古屋場所、10年守った関取の地位から陥落。とうとう幕下まで滑り落ちてしまう――

復帰にかける思いを推し量っていた師匠

 この場所、やっとギプスが外れ、再起のスタートを切った31歳の大潮にとって、この10年ぶりに体験する幕下暮らしは、まさに針のむしろだった。ちゃんこのときも、自分が食う前に、まず親方や関取たちの給仕をしなくてはいけないのだ。

「おい、大潮。お前は弱くて幕下に落ちたわけじゃないんだから、遠慮せんで一緒にメシを食おう。こっちに来い」

 と部屋付きの親方たちは言ってくれるのだが、肝心な師匠が見て見ぬふりをして、いつまでたっても何も言ってくれないのである。

「そうなると、こっちも半分、意地ですからね。師匠が言うまではテコでも動くもんか、とほかの幕下たちと給仕をしていたんですよ。もちろん腹の中は煮えくり返っていましたが。すると、師匠が自分のところにツカツカと来ましてね。『大潮、お前の給仕ぶりはよく分かった。もういい、メシを食え』と言ってくれたんですよ。師匠は師匠で、復帰にかけるオレの気持ちが本物かどうか、じっと観察していたんですね。それが分かると、それまでの恨みがましさが急に恥ずかしくなって。後で、そのことを女房(晴代夫人、昭和50年6月に結婚)に話すと、『あなたの年齢や状況を考えると、師匠がそうするのは当たり前でしょう。これからは日本一の幕下になるつもりでがんばりなさい』と励まされたのも大きかったですね。それからは幕下暮らしのつらさが半減し、いつも師匠の1杯目のごはんは自分が盛っていました。そんなとき、ある古い後援者に双葉山関(横綱)の釣りの話を聞いたのも感動的でした。あるとき部屋のみんなで名古屋の宿舎の近くを流れている長良川に釣りに行ったんだそうです。上のほうが釣れるぞ、と言えばみんな上にゾロゾロ、下のほうが釣れるぞ、と言えば下にゾロゾロ、と移動を繰り返しているのを尻目に、双葉山関だけは最初に糸をおろした場所から一歩も動かず、結局、帰るときは一番たくさん釣っていた、というんですね。つまりこの世は忍。ああ、これは今のオレのことを言っているんだな、頑張らなきゃ、と思ったんです」

 式秀親方(元小結大潮)は、この悲運の中で初心を取り戻したときのことを語る。

 こうして心機一転、新たな気持ちで土俵に上がった大潮は、見事2場所で十両にカムバックを果たしたのだが、これには、もう一つ、心温まる逸話がある。

 この30過ぎて幕下から必死に這い上がろうとしている大潮の姿は多くのファンの感動を呼んだ。その中から、

「もし十両に復帰し、その最初の場所に勝ち越したら、お祝いに私がクルマを1台プレゼントします。もし負け越したら、カラオケセットを残念賞にしましょう。だから頑張って」

 と励ましてくれる人が現れたのだ。というのも当時、晴代さんが専属運転手を務めていた大潮のマイカーはもともと中古車で、しかも、骨折した右足の治療のために全国を駆け巡ったおかげで廃車寸前のボロボロになっていたのである。

 その十両復帰場所となった同じ年の九州場所で9勝6敗と勝ち越し、場所後の師走巡業も終えて羽田空港に降り立った大潮は、ピカピカのトヨタマークⅡを運転してさっそうと目の前に現れた晴代さんを見て思わず目をこすった。勝ち越せばお祝いに新車を贈る、という約束をそのファンは本当に実行してくれたのである。

 骨折した直後は、見るもの聞くもの、すべてがうとましたかったが、その試練を乗り切ると友人の輪は広がるわ、クルマは新しくなるわ、といいことずくめ。

 不運は幸運の始まりであることを、大潮はこのとき身をもって体験したのだった。(終。次回からは関脇・魁輝薫秀編です)

PROFILE
大潮憲司◎本名・波多野憲二。昭和23年1月4日、福岡県北九州市八幡東区出身。時津風部屋。186cm134kg。昭和37年初場所、本名の波多野で初土俵。44年夏場所、大潮に改名。同年九州場所新十両。46年秋場所新入幕。最高位小結。幕内通算51場所、335勝413敗17休。敢闘賞1回、技能賞1回。63年初場所に引退し、年寄錣山から式秀を襲名。平成4年独立し、茨城県龍ケ崎市に式秀部屋を創設。平成25年1月、停年退職。

『VANVAN相撲界』平成7年1月号掲載

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