これは自分が21歳、貴乃花が18歳の時の写真。十両から幕内へ上がったころだね。こんなふうに和やかに話している姿を意外に思う人も多いかもしれない。2人はライバルで、口も利かない関係だと思われていたから――。

※写真上=平成2年8月、夏巡業先の十和田市でのスナップ。左が曙、右が貴乃花(当時は貴花田)。曙は翌場所に新入幕を控え、貴乃花は幕内から十両に落ちていた
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

新弟子のころは憎くてたまらなかった

 確かに、入門してすぐのころは、憎くて仕方がなかったよ。マスコミに注目されるのはいつも若貴の2人だけ。自分は見向きもされなかった。最初はそんなものかと思っていたけど、あんまり無視されるから腹が立ってきた。「この2人に勝たなきゃ絶対に上にはいけない」――そう思ったよ。

 だから、初めて対戦して勝ったときはうれしかったなあ(昭和63年夏場所6日目)。自分が勝つなんてだれも思ってなかったんじゃない? 実際、力は向こうのほうがずっと上だった。でも、「絶対に勝つ」って強い気持ちでぶつかったら、最高の相撲で勝てたんだ。

 それから半年後、九州場所前に貴乃花のいる藤島部屋に出稽古に行った。こっちは序二段に向こうは三段目。申し合いがいつの間にか2人の三番稽古になった。どっちが負けても「もう一丁」って譲らなかったんだ。頭の中は「負けたくない」って気持ちだけ。どんどん熱くなって、待ったなしで1時間以上やったんじゃないかな。血相変えて飛んできた藤島親方(元大関貴ノ花)に止められなかったら、どっちか大ケガしていたと思う。2人とも血だらけで、稽古場の壁は壊れるし窓は割れるし、大変なことになってたから。

目を見るだけで気持ちが分かった

 でも、悪いと思ったのは関取に上がるまで。遠慮せず全力でぶつかり合ううちに、互いに認め、尊敬する気持ちが生まれたんだ。巡業では関取といってもいちばん下っ端だから、風呂も先輩が出るのを待ったり、いつも一緒。そんなときは話もしていたんだよ。尊敬だけじゃなく「愛情」もあったかも(笑)。ほら、この写真の2人、恋人同士みたいでしょ?(笑)

 自分が先に横綱になった後、大関の貴乃花が全勝優勝したのに横審に反対されて横綱になれないことがあった(平成6年秋場所)。理由の一つが「横綱の曙に勝っていないから」と聞かされてビックリしたよ。だってあのとき、自分はヒザの手術で休んでてそもそも対戦がなかったんだから。次の九州場所は、まだ抜糸してなかったけど意地でも出なきゃと思ったよ。貴乃花に連覇を許したけど、千秋楽の直接対決は全力でぶつかった。結果は負けたけど、いい相撲が取れたと思う。支度部屋に戻ってヒザのテーピングを取ったら、血だらけになってたな。

 横綱として並んでからは、互いの気持ちがさらに深く分かった。ケガをして休んでいるとき、なかなか優勝できないとき、どんな気持ちか。言葉なんていらない。目を合わせるだけで、痛いくらい伝わるんだ。

 引退してからは関係がガラリと変わり、酒を飲んで話をするようにもなった。初めて飲んだときは驚いたな。イメージと全然違うんだ。よくしゃべるし、酒はたくさん飲むし、葉巻は吸うし、カラオケでマイク持ったら話さないし(笑)。15歳の少年みたいだったよ。

 でも、それも当然だよ。15歳で入門してからずっと、すべての気持ちを抑え、相撲だけに打ち込んできたんだから。自分だってそう。だからこそ、互いに認め合い、土俵の上では相手に恥ずかしくないよう、力を出し切ったんだ。2人だけじゃない。若乃花、武蔵丸、貴ノ浪、魁皇、武双山……みんなそうだった。あのころの土俵には、そんな、殺し合いのような真剣勝負の雰囲気があったんだ。そんな土俵で戦い抜き、横綱を張ったことは、自分の誇りだよ。

語り部=曙太郎(第64代横綱、のち総合格闘家、プロレスラー)

月刊『相撲』平成28年11月号掲載

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