物事には必ず光と影がある。表と裏、と言い替えてもいい。清國が力士生活最大の光を浴びたのは、昭和44(1969)年名古屋場所のことだった。この前の場所で清國は12勝し、大関昇進を果たしている。初土俵から76場所目のことだった。

※写真上=昭和44年名古屋場所、新大関で初の優勝を果たし、横綱を期待された
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】大鵬に惨敗した幕内初対決以来、打倒・大鵬が清國の最大の宿題となった。なんとか一矢報いたいと稽古に励み、12回目の顔合わせとなった昭和41年夏場所初日、右ヒザを痛めていた大鵬から初の金星を奪う。しかし大鵬はその後14連勝し20回目の優勝を果たしたのに対し、清國は4勝11敗と大敗、関脇から再び平幕にUターンの憂き目に遭った――

マイペースで幸運を手繰り寄せる

「力士というものは、強くなればなるほど孤独にならないといかん。いいか、よく覚えておけよ」

 昇進が決定した夜、師匠から改まった口調で言われたことを、今でも伊勢ケ濱親方(当時、元大関清國)はよく思い出すという。清國は、この言葉を、

「地位に甘えず、常に自分と厳しく戦わなくちゃいけない」

 と解釈し、えらいことになったぞ、と内心青くなった。

 この大関最初の場所に清國は、ご多分にもれず祝宴やあいさつまわりなどの雑用に忙殺されて稽古量はいつもよりずっと少なかった。それでも体調だけはまずまず。

 ――大関になった以上、今までのようなぶざまな負け方は許されない。でも、この調子ならなんとか10番ぐらいは勝てるだろう。

 清國は軽い気持ちで初日を迎えた。この気張らず、マイペースで土俵に上がったのが望外の幸運を手元に引き寄せる伏線だった。

 大関初黒星は2日目の龍虎戦。これでますます肩の力が抜けた清國は、その後、8日目の朝登戦、12日目の琴櫻戦と負けたものの、鋭さを増してきていた踏み込みを生かして着実に白星を積み重ねていった。そして終盤、気が付いてみると、なんと優勝争いのトップに。といっても単独トップではなく、14日目終了時点で大鵬、平幕の藤ノ川とともに11勝3敗でトップグループを形成していたのである。

 当然のことながら、一番人気は前の場所30回目の優勝を果たしたばかりの大鵬。ただ、この場所の大鵬は宿敵の柏戸が4日目に引退したこともあり、いつもの元気さはなかった。千秋楽、清國の相手は大鵬だった。勝ったほうが一足先に12勝目を挙げている藤ノ川と賜盃を懸けて決定戦、という大一番であった。

 相手は格上だけに、負けてもともと。軍配が返ると、清國は今まで以上にリラックスし、頭から思い切って突っ込んで行った。ところが、この日の大鵬は、廻しを引き合えば右から強烈におっつけられることが分かっているだけに、四つになるのを嫌い、二、三発、突っ張ると、意表を突いて叩きにきた。

 しかし、気力が衰えていたせいか、このはたきが中途半端。逆に清國を懐深く呼び込むことになってしまい、そのままモロはずで押し込まれるとあっさり土俵を割ってしまったのだ。

 まさかの決定戦進出だ。ただ、今度は相手が平幕だけに、大鵬戦のような訳にはいかない。この場所、初めてプレッシャーに襲われた清國は、別人のように顔をこわばらせて土俵に上がった。捕まえてしまえば大丈夫。しかし、相手の藤ノ川は牛若丸というニックネームでも分かるように素早い動きが売り物だった。

 水すましのように軽快に逃げる藤ノ川、ドタドタと息を切らせて追い掛ける清國。このコミカルな展開に館内のファンは大喜びだったが、最後は清國が藤ノ川を捕まえることに成功。ついに史上4人目の新大関優勝、という快挙を成し遂げたのだ。(続)

PROFILE
清國勝雄◎本名・佐藤忠雄。昭和16年11月20日、秋田県湯沢市出身。荒磯→伊勢ケ濱部屋。182cm134kg。昭和31年秋場所、若い國で初土俵。37年初場所梅ノ里、同年夏場所清國に改名。38年夏場所、新十両。同年九州場所新入幕。最高位大関。幕内通算62場所、506勝384敗31休。優勝1回、殊勲賞3回、技能賞4回。49年初場所に引退し、年寄楯山を襲名。52年、伊勢ケ濱部屋を継承し、幕内若瀬川らを育てた。平成18年11月、若藤に名跡交換後、停年退職。

『VANVAN相撲界』平成7年4月号掲載

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