※写真上=それぞれの時代で「革命」を起こしたポポフ(右)とエイドリアン
写真◎Getty Imges

 1990〜2000年代のクロール・スプリント界に大きな技術革新をもたらしたといっても過言ではない、ロシアのアレクサンドル・ポポフ。1992年バルセロナ、1996年アトランタでオリンピック連覇を果たした後、晩年はコーチのゲナーディ・トレツキーと豪州に居を構え、100m自由形とバタフライで世界記録を樹立したマイケル・クリムをトレーニングパートナーとして活躍。2000年のシドニー五輪ロシア代表選考会50m自由形で世界新を樹立し、シドニー五輪本番で、100mでピーター・ファンデンホーヘンバンド(オランダ)、50mでアンソニー・アービン(米国)に破れるまで、世界のトップを引っ張ってきました。

 対するは、2012年ロンドン五輪100m自由形チャンピオンで、2008年北京五輪から2016年リオ五輪までのオリンピック3大会連続でリレー含む合計5個の金メダルを獲得した、米国のネイサン・エイドリアン。高速水着時代最後の世界大会となった2009年ローマ世界選手権以降、男子100m自由形では世界新が更新されていない中、米国国内、国際大会含めて、常に表彰台に顔を出す実力の持ち主でもあります。

ポポフが追求した推進効率

 ふたりの泳ぎを比較する前に、ポポフの泳ぎがなぜ革新的だったかを知る必要があると思いますので、この動画をご覧下さい。

ポポフ参考動画1(トレーニング)

 ポポフの泳ぎは「避抵抗技術」と「カヤック・ローテーション」の両面から、それまでの水泳界では斬新ともいえる、かなり大胆な提案をしていました。当時のスプリンターはとにかく「爆発的に水を蹴る」「ピッチを上げる」「バテたらもがく」が原則として世界的にも認識されていましたが、ポポフは徹底的に、「推進効率」にこだわった泳ぎを作り上げてきました。1992年バルセロナ五輪で彼が頭角を表した際には、「パワーの(米国のマット)ビオンディ」を、ゆったりとしたフォームで凌駕して見せ、世界中の水泳関係者に「なんだ、あれは?」を大合唱させたような、そんな泳ぎでした。

 この動画を見てわかる通り、それまでピッチで押していたスプリントの泳ぎ方だったのが、ポポフは腕の入水後にいったん前方に腕を真っすぐに伸ばすようにして、前方からの身体の投影面積を小さくしつつ、伸ばした腕で水を体側へ流して、抵抗削減を図るようにしました。また、エントリー(入水)と逆側のフィニッシュのタイミングを合わせ、身体を斜めに傾かせることも、抵抗削減目的で行なっていたのです。

 カヤック・ローテーションとは、カヤックのパドリングのように、深く速く水をかくような、肩のローテーションを行なうことを指します。動画に出てくるカヤックのパドルを用いた「プルのシミュレーション」を試してみた日本のトップスイマーも、かなりいるのではないでしょうか?

 ポポフと同時期に世界一になった同じロシアの200、400mの元世界記録保持者、エフゲニー・サドフィも、ストロークの長い泳ぎでしたが、この両者は「バテたらもがく」を否定し、「バテても泳ぎを崩さない」ことを優先しているという話も、彼ら自身がしていましたね。

 そんなポポフの全盛期の動画をご覧下さい。

ポポフ参考動画2(アトランタ五輪)

エイドリアンの独特なテンポ

 一方のエイドリアンは、とにかくストロークが大きくキックが強いこと。息継ぎのタイミングが速くて呼吸時間そのものも短いこと。そしてラスト15mはストレートアームに切り換え、最後の10mくらいを、ストローク長を伸ばしつつノーブレス(呼吸なし)で突っ込んでくるところが特徴です。ゴール前はテンポを上げた方が、ゴールタッチが合いやすいとか、腕の出力が低下したときにスピードを保つには、ストローク頻度を上げる(ピッチを上げる)ことが大事…というセオリーがありますが、エイドリアンのゴールタッチ局面での泳ぎは、テンポは上げないけど、ゴールタッチの手がどちらになるか読みながら、特にプッシュの部分をしっかりと後方へ水を押し出し、速度が落ちないようにしているのです。つまりは、ポポフとは趣が異なりますが、ゴールタッチ局面のセオリーを、2012年ロンドン五輪での劇的逆転勝利(豪州のジェームス・マグナッセンを0秒01差でかわした)で覆した「革命家」でもあるのです。

エイドリアン参考動画(ロンドン五輪)

比較から見るふたりの相違点

 このふたりのオリンピックでの泳ぎ(動画)を比較してみると、表1の通りとなります。

表1/ポポフとエイドリアンのスプリットタイム(上段)とストローク数(下段)
→ポポフ
0~50m 50~100m
23秒52   25秒22
 32     39
→エイドリアン
22秒21   25秒31
 32     37

 なんと! ポポフのこのときの後半は、エイドリアンより速かったんですね。

 アトランタ五輪とロンドン五輪のレースを比較すると、ポポフはスタート後1回のドルフィンでバタ足に移行。15mを4ストロークで通過しています。エイドリアンはスタート後、小刻みに4回のドルフィンキックを打って浮上し、3ストロークで15を通過。泳ぎ始めはポポフの方が早いので、そこを加味してストローク数を比べると、前半はポポフの方がゆったり泳いでいるように思えます。

 一方、エイドリアンはポポフと同じストローク数でも、タイムがポポフより1秒速いです。前半から相当なハイパワーで泳いでいるのが見てとれます。

 そんな事実がわかる数値がこちらの表2です。

表2/50m自由形のベストに対する
各スプリットタイムの比率(カッコ内左は前半/後半)
ポポフ   22秒13(94.09%/87.75%)
エイドリアン21秒37(96.22%/84.43%)

 これは、50mのベストに対しての前後半のパーセンテージを算出し、どちらがより突っ込んでいたのか? を見たものです。やはりエイドリアンの方が、自己ベストからのパーセンテージが高いので、よりガッツリ突っ込んでいた様子がうかがえます。ポポフもゆったり泳いでいるように見えて、50mの最高スピードの94%で入っていますから、それほど余裕を持って泳いでいたわけではないことが、うかがい知れます。しかし後半の87%というのはすごいですね。

 トレツキーコーチの講習資料を振り返ると、ポポフは短距離選手のわりに2000m泳計測とかを定期的に行ない、中強度の練習も年間7割ほどこなしていたので、心機能(特に心拍の拍出量)が高かったんだなあ…と、改めて思えます。

 後半の2ストロークの差は、ターン後の水中ドルフィンが3回で、最後にテンポを上げないエイドリアンに対し、ターン後のドルフィンを打たずに浮き上がるポポフという違いこそありますが、ポポフのストロークがちょっとだけ多いのが、速度の違いになって現れている…と思えます。

 こうやってふたりの特徴を並べてみると、スプリンターはピッチ重視なのではなく、「泳ぎの大きさ」という土台があってこその「ピッチ」であるということが、改めてわかります。泳ぎが大きい人は、ピッチを上げることで泳速度も上がりますが、泳ぎが小さい人は、ピッチだけでは上げられる速度に限界がある…ということです。世界の頂点レベルで戦おうとしたら、短距離の選手も「ストローク効率にこだわる」というのは、大事なことのかな…と思える、両選手の泳ぎでした。

文◎野口智博(日本大学文理学部教授)

●Profile

画像: アレクサンドル・ポポフ(Alexander Popov)●1971年11月16日生まれ、旧ソビエト連邦・エカテリンブルク出身。1990年代に自由形短距離で一世を風靡したスイマー。1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪では50、100m自由形を2大会連続金メダル獲得したのをはじめ、400mフリーリレー、400mメドレーリレーで計4個の銀メダルを手にしている。2000年シドニー五輪では100m自由形で2位、2004年アテネ五輪も出場を果たし、2005年に現役を引退した。 写真◎Getty Images

アレクサンドル・ポポフ(Alexander Popov)●1971年11月16日生まれ、旧ソビエト連邦・エカテリンブルク出身。1990年代に自由形短距離で一世を風靡したスイマー。1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪では50、100m自由形を2大会連続金メダル獲得したのをはじめ、400mフリーリレー、400mメドレーリレーで計4個の銀メダルを手にしている。2000年シドニー五輪では100m自由形で2位、2004年アテネ五輪も出場を果たし、2005年に現役を引退した。
写真◎Getty Images

画像: ネイサン・エイドリアン(Nathan Adrian)●1988年12月7日生まれ、米国・ワシントン州出身。オリンピックには2008年北京から3大会連続出場。2012年ロンドン五輪では100m自由形で優勝、2016年リオ五輪では50、100m自由形で銅メダル、リレーでは計4個の金メダルを獲得している。2019年1月には精巣ガンであることを公表したが、初期段階であったため、手術後、すぐに練習再開し、東京五輪を目指している。 写真◎Getty Images

ネイサン・エイドリアン(Nathan Adrian)●1988年12月7日生まれ、米国・ワシントン州出身。オリンピックには2008年北京から3大会連続出場。2012年ロンドン五輪では100m自由形で優勝、2016年リオ五輪では50、100m自由形で銅メダル、リレーでは計4個の金メダルを獲得している。2019年1月には精巣ガンであることを公表したが、初期段階であったため、手術後、すぐに練習再開し、東京五輪を目指している。
写真◎Getty Images


This article is a sponsored article by
''.