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2020-09-24

生きる、夢をかなえる僕は白血病になったJリーガー早川史哉、大中祐二/著

2020年10月3日発売
BBM1090165
四六判並製・220頁
定価 1,650円(税込)
ISBN:978-4-583-11317-3 C0075

『生きる、夢をかなえる』刊行記念
購入者特典プロモーションカードプレンゼントキャンペーンを
新潟県内の書店で開催!

10月3日(土)から、『生きる、夢をかなえる』をご購入いただいた方に、早川史哉選手のカードをプレゼントするキャンペーンが、新潟県内の書店で始まります。
※数に限りがありますので、無くなり次第、終了となります。

Contents


白血病から骨髄移植を経て復帰を果たしたJリーガーが胸の内を明かす
「あの日あの時」、「現在のありのままの姿」、そして「これからの夢」

アルビレックス新潟に所属するJリーガーの早川史哉はプロデビュー直後に急性白血病を発症。
入院、骨髄移植、リハビリを経て2019年10月、3年7ヶ月ぶりにカムバックを果たした。
その後も試合出場を重ねてチームの勝利に貢献する早川は、白血病になった自分とどのように対峙しながら日々を過ごし、夢を実現しようとしているのか。
12年にわたり新潟アルビレックスを取材してきたライター大中氏が取材構成。周囲で支える関係者の証言をまじえ、未来に向かって懸命に生きる、若きJリーガーのありのままの姿を活写した。

【目次】
はじめに~彼にしかできないこと~

●早川史哉HISTORY「生きる、夢をかなえる」道のり

1章 いまの自分を受け入れ、一歩ずつ
【史哉選手のこころ】 僕にとっての「新たな日常」が始まった

2章 「生きる」ために必要ならば
【史哉選手のこころ】 すべての悩みを抱え込みながら、とうとう我慢できなくなって
【史哉選手のこころ】 白血病と判明してショックを受けるよりも納得する自分がいた
【史哉選手のこころ】 骨髄移植をしたら、僕はどうなるんだろう
<骨髄バンクからのエール> 早川選手は若い人たちの目標になれる

3章 怖いけど「プロ選手」に戻りたい
【史哉選手のこころ】 先のことはわからない。でも心の動くままに生きる
【リハビリ担当・上路拓美さんからのエール】 孤独の中でひたすら自分を保っていた

4章 自分のことばで伝えたい
【史哉選手のこころ】 病気になっていろいろな可能性を見つけられるようになった
【片渕浩一郎元監督からのエール】 史哉にしか発することができないことばがある

5章 続けているから、また会える
【史哉選手のこころ】 サッカーができるありがたさを心から感じて

6章 夢は「生きる」こと、それから
【史哉選手のこころ】 夢をひとつひとつ手繰り寄せていく
【野澤洋輔さんからのエール】 みんなから愛される、チーム愛にあふれる選手になってほしい
【史哉選手のこころ】 みんなとポジティブな気持ちを共有していきたい

あとがき~ サッカー選手であることを、おろそかにせず~

【著者紹介】
早川史哉(はやかわ・ふみや)
アルビレックス新潟所属のJリーガー。1994年1月12日、新潟県新潟市生まれ。6歳でサッカーを始め、中学、高校はアルビレックス新潟のアカデミーでプレー。2011年には2011 FIFA U‐17ワールドカップにU-17日本代表として出場。2012年に筑波大学に進学。2015年には蹴球部の主将として、前年、関東大学リーグ2部に降格したチームをけん引し、1年での1部昇格へと導いた。2016年シーズンに地元のJクラブ、アルビレックス新潟に入団。2月27日のJ1開幕節・湘南戦に先発フル出場し、リーグ戦3試合、リーグカップ戦1試合に出場。念願のプロサッカー選手として活動を開始した矢先、4月24日のJ1第8節・名古屋戦後に脚のリンパ節が腫れ上がり、検査の結果、急性白血病と判明した。入院、抗がん剤治療を受け、11月に骨髄移植を行う。2017年6月、退院。リハビリを経て、2018年3月からアカデミー組織、8月からトップチームの練習に合流する。2019年8月17日、J2第28節・岡山戦で約3年半ぶりに試合メンバーに入ると、10月5日、J2第35節・鹿児島戦にフル出場。1287日ぶりに公式戦のピッチでプレーした。そこから鹿児島戦を含む最終節までの8試合に先発出場。2020年シーズンも2月23日のJ2開幕節・群馬戦のメンバーに入り、新型コロナウイルスの影響による4カ月のリーグ中断ののち、再開された6月27日のJ2第2節・甲府戦に途中出場。以後も試合出場を重ね、両サイドバック、ボランチ、センターバックと、さまざまなポジションで新潟の勝利に貢献している。

大中祐二(おおなか・ゆうじ)
1969年8月22日、愛媛県生まれ。ライター。広島大学総合科学部卒。1994年、株式会社ベースボール・マガジン社に入社し、『相撲』、『ワールドサッカーマガジン』(休刊)編集部を経て、2004年4月、『週刊サッカーマガジン』(現『サッカーマガジン』)編集部の配属に。J1に昇格したアルビレックス新潟の担当となり、新潟スタジアム(現デンカビッグスワンスタジアム)の4万人を越えるサポーターの熱気に驚がく。現地取材した2002年ワールドカップに引けを取らないエネルギーに大きく心を動かされる。2週間に一度、東京から新潟に赴いてホームゲームを取材することに飽き足らず、2009年、フリーランスとなって新潟に移住。平日の練習をつぶさに取材し、週末の試合を取材して記事にする生活をスタート。以来、12年間にわたってチームの魅力を伝えようと活動を続けてきた。

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