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2021-03-26

ソフト日本代表20歳の系譜―アテネ五輪・山田、北京五輪・峰、東京五輪・後藤

最年少で東京五輪日本代表候補に選出された後藤希友

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3月23日の東京五輪ソフトボール日本代表候補発表記者会見の場で、投手として上野由岐子、藤田倭(ともにビックカメラ高崎)に並び、後藤希友(トヨタ自動車)が選ばれた。宇津木麗華ヘッドコーチは、上野、藤田を先発に、後藤をワンポイントで起用する計画を明かしている。

 後藤は現在20歳で、日本代表候補の中では最年少となる。宇津木ヘッドコーチは選考理由として、右投手の上野、藤田に対して左投手であること、上野に次ぐスピードの持ち主であること、守備がうまいこと、そして成長の度合いを挙げた。

「昨年1年間で身体の成長、気持ちの成長が素晴らしかったので、3番目は彼女でいいと思いました。まだ経験は少ないので、これから彼女のすごさを見ていきたい」

 2019年の第13回女子U19ワールドカップに出場しているが、TOP世代の国際大会の経験はない。後藤は「世界で戦うことがどういうものか分からないのは不安だけど、どんなプレーができるかすごくワクワクしています。外国人打者に思い切って、怖い者知らず精神でぶつかっていきたい」と意気込みを語った。

 過去にも20歳でオリンピックの舞台に立ち、日本の勝利に貢献した選手たちがいる。同じく東京五輪日本代表候補の山田恵里(デンソー)、峰幸代(トヨタ自動車)だ。


 
2004年アテネ五輪、山田が魅せたレーザービーム



 実業団(当時・日立ソフトウェア)1年目で本塁打王、打点王、ベストナイン、新人賞、2年目にもベストナインのリーグタイトルに輝いた山田。3年目、20歳ながらも実力は折り紙付きで、宇津木妙子監督からは「精神面でも技術面でもカギになる子」とキーマンに指名された。

 アテネ五輪では初戦のアメリカ戦こそ無安打だったが、その後は全試合でヒットを放ち大会通算打率.414の数字を残した。

 山田が残したのは記録だけではない。予選リーグで3敗を喫した日本は、メダルを懸けた3・4位戦を中国と争うことになった。両軍無得点で進み、8回タイブレーカーに突入すると、先攻の日本は二死三塁から宇津木麗華の二塁打で待望の1点を入れる。しかしその裏、一死三塁から相手打者がセンターフライを放った。三塁走者がタッチアップを狙うが、「飛んで来たら絶対に刺してやると思っていた」と待ち構えていた中堅手の山田の矢のようなバックホームで本塁タッチアウト。多くの観客に鮮烈な印象を与えた山田の好プレーがチームを救い、日本のメダルが約束された。

 続く3位決定戦でオーストラリアに敗れ、アテネ五輪で日本は銅メダルに終わった。表彰式でも悔しそうな表情を隠さなかった山田は、4年後の北京五輪で主将に抜擢される。同大会ではベネズエラ戦での相手の追加点を阻止するレーザービーム返球や決勝のアメリカ戦での本塁打など印象に残るプレーも見せたが、三番打者ながらつなぎの役割でもチームに貢献。20歳の時の経験を踏まえてより堅固に、より力強くチームを引っ張った。

 北京五輪を最後にソフトボールは五輪正式種目から外れたが、2020東京五輪の追加種目として復活。山田も再び主将として3度目のオリンピックに挑む。

 

2008年北京五輪、エースの413球を受け止めた峰



 北京五輪日本代表では最年少だった峰。20歳の若さながら所属していたルネサス高崎では上野由岐子ともバッテリーを組み、時にはその上野を驚かせるような配球をすることもあった。「自分は、上野さんは世界一のピッチャーだと自信を持っているので、絶対に打たれないところにサインを出しているんです」とは当時の峰の言葉だ。

 北京五輪では予選リーグ第3戦オランダ戦でスタメン出場すると、以降は上野先発の試合で捕手を務めた。

 決勝トーナメント初戦、アメリカとの1・2決定戦は9回タイブレーカーの末、1対4で敗戦。日本はダブルヘッダーの3位決定戦に回り、オーストラリアと延長12回、3時間23分の死闘を繰り広げ4対3で勝利。この2試合で318球を投げた上野は、翌日のアメリカとの決勝戦を満身創痍で迎えた。それでも、味方の援護を得ながら7回を投げ抜き、ついに悲願の金メダルを得た。

 上野が2日間で投げた413球。その魂のボールを受け止め続けたのは峰だった。ソフトボール・マガジン06年10月号ではオリンピックでの活躍を以下のように評している。

『疲労のたまった上野をいたわりながら、巧みなリードでアメリカ打線を揺さぶった。ここぞというところでは、内角シュートで打たせてとる。最年少20歳の峰がどれほど頼もしく感じたか。10日間で誰よりも成長した選手だろう』

 峰は15年に実業団を引退したが、東京五輪でのソフトボール復活の報を聞き「あの舞台にもう一度立ちたい。日本のソフトボールが世界一強いということをいろんな人にアピールしたい」と、復帰を志したのだという。その目標がかなう瞬間は目前にせまっている。



 かつて20歳でオリンピックの舞台に立った選手たちの活躍は、大会でのメダル獲得に貢献しただけでなく、現在の日本のソフトボールにもつながっている。東京五輪でも後藤の若きパワーが日本の起爆剤になることに期待したい。

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