「スピードを取り戻す」──。すでに世界3階級制覇を達成しているWBO世界フライ級チャンピオン田中恒成(24歳=畑中)は、いまですらとてつもないスピードの持ち主だが、8月24日(土)、愛知県・名古屋市の武田テバオーシャンアリーナで行われる2度目の防衛戦(vs.1位ジョナサン・ゴンサレス=プエルトリコ)に向け、さらなるスピードアップに取り組んでいる。その詳細は、現在発売中の『ボクシング・マガジン8月号』をご覧いただくとして、ここではまったく別の角度、視点から、彼の凄さに迫ってみたい。
上写真=父・斉トレーナーの持つミットへ左ジャブを放つ。これを“基点”として、七色のコンビネーションが繰り出されていく
不規則なリズムが、鼓膜から脳を刺激する。視覚と同時に聴覚も混乱をきたし、シャッターを切るタイミングを常に狂わされてしまうのだ。
ワンツー──オーソドックス(右構え)のいわゆる左ジャブから右ストレート。この基本中の基本のコンビネーションの、もっとも“シンプルな”タイミングを言葉に表すと「パンパン」(※カタカナは、あくまでも一例)。しかし、目の前で繰り広げられるのは「ババッ」。ここに、左フックや左右のアッパーカットが織り交ぜられると、「タタッ ババン」となる。
ボクサーは、相手の意表を突くためにタイミングを変え、軌道を変えてブローを放つ。単純に、「当たれば倒せる」パワーを秘めていればそれは大きな武器となるが、それでも、「来るとわかっているパンチは効かない」のが、ボクシングの深いところ。“意識”があれば、体の各機能が反応して、それに耐えられるよう作動する。その“意識”をずらしてやる。“無意識状態”を相手につくらせて、機能を作動させない。それを、0コンマ何秒の中で繰り広げるのだ。
それにしても、いま眼前で躍動する田中恒成の動きはなんなんだ?
「1拍ずらし」をもっともシンプルなものとすれば、「半拍ずらし」だってかなり上質。しかし彼は、もっと細かく刻んで連打を放つのだ。こちらのカメラを操る技術がどうの、だけではない。現に、ミットを受けている村田大輔トレーナーですら、キャッチに四苦八苦。取り損ねることも何度もあるのだから。
一般的に、ボクサーとトレーナーは入念な打ち合わせと、日頃からのコンビネーションによって、「あ・うんの呼吸」を創り出し、ミットとパンチを合わせていく。選手のレベルが劣るなら、トレーナーはパンチに合わせにいく。ミットが奏でる小気味よく乾いた音は、ボクサーを気分よくさせるからだ。
しかし、田中恒成の場合は“逆転の発想”が起点となっているのである。つまり、トレーナーが取りやすいパンチは、相手にも反応されてしまう、というもの。そして、写真を撮る側からも同様のことが言える。
「撮りやすいパンチは、対峙している相手も反応できる」のである。
ミット打ちは、攻守が入れ替わってもポイントがある。トレーナーは、打ち終わりを狙ってミットを振る。いわゆるリターンだが、よくありがちなのは、“外してあげる”反撃だ。同じタイミングでリターンしてあげるのは、選手に優しい行為。だが、はたしてそれは本当に選手のためになっているのだろうか。
“モンスター”井上尚弥(大橋)クラスになると、あえて的をずらして打ってエサを撒き、そのタイミングと軌道を相手に刷り込ませておいて、インサイドにズドン!なんて芸当もしているが、たいがいの選手は、的を外して打ってくれるなんてことはない。「生きたミット打ち」が求められるゆえんだ。
けれど、田中恒成が“超変拍子”のミット打ちばかりをしているかといえば、決してそうではない。井上尚弥同様、あくまでもベーシックなブローを忠実に、大切にしている。そして、かつてのトップスピードを取り戻し、磨き直そうと励んでいる。
トップが100の選手と、たとえば70~80の選手では、“緩急”を使えるパターンにも、大きな差異が生じる。もちろん、トップスピードが速い選手ほど、種類が豊富になる。それを自在に操ることができれば超一流。ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)などは、その最たる選手だろう。
「カメラマンさんが、シャッターを切るタイミングをずらすことも目指してやってます」と、田中恒成はニコニコしながら話す。きっと、こちらが切るシャッター音すら把握しているのだろう。なんだかとても恥ずかしくなる。
でも、こちらもただ漫然と撮っているわけではない。トレーニングを撮る際、もっとも重視しているのは、「全身を撮ること」。どんなバランスで、どんなスタンスで、どんな体の使い方で、どんな軌道やモーションでパンチを打っているか。また、打った後、どのような反応を示しているか。どんなディフェンス動作をしているか。
だから、「パンチが伸びきった瞬間」や「当たる瞬間」を収めようとするカメラマン諸氏とは、シャッター音がずれることがよくある。けれどもむしろそれは、私にとって“バロメーター”でもあるのだ。
田中恒成を撮り始めてどれくらい経つだろうか。彼は最初から「撮りづらい」ボクサーだった。けれど、ここにきてまたさらに撮りづらくなった。
変拍子の連打はさておき、当初から狙い続けているのは、世界でも有数の「ターンの速さ」。これは彼にも「狙っている」ことを宣言してきたが、いまだきちんと収めたことがない。
いつの日かきっと──と、こちらも常に戦闘態勢で臨んでいるのだが、撮れないことが喜びにもなっていることを告白したい。
文&写真_本間 暁
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