日本フライ級1位・長嶺克則(27歳=マナベ)。昨年12月、自身のブログで引退を表明し、リングから離れた男は、ファンに深く愛される、人を惹きつけてやまない選手だった。野性味あふれるファイトスタイル、思考を尽くして語られる言葉──。彼を取材する側も、彼の魅力に心を奪われ、そして姿勢を正した。「チャンピオンになれなかった男なのに、取材していただけるなんて……」と彼は感謝を述べたが、その想いを伝えたいのはこちらだ。長年お疲れさま、そして、ありがとう──。
上写真=すっかり表情も穏やかになったが、内なる闘志はまだまだ燃え盛っている 写真/本間 暁
こんなかたちでの取材になるとは、まさか夢にも思わなかった。
野性的な豪快なボクシングの中に、理詰めの知的さがいつも浮かび上がっていた。「どんなことを考えてボクシングを組み立てているのだろう」と、興味が尽きなかった。さらに彼の振る舞いや発言には、いつも心踊らされてきた。スターボクサー特有の、人を惹きつける香りがぷんぷんと漂う。
しっかりと話を聞きたいという想いはどんどんと膨らんでいく。けれど、「相応の覚悟をもって臨まなければ」という思いもまた強くなる。ゆえに、二の足を踏み続けていた。
「チャンピオンになったら、それを理由にいこう」。そう決めていた。
けれども、それは叶うことがなかった。
昨年12月、自身のブログで引退を発表。目を負傷したのだという。
かつて、ボクサーにとって「即、引退」だった網膜剥離を2度にわたって克服。ルール改正により、いずれも復帰を果たしていた。そんな男が、今回は断念せさるをえなかった。
何が起きたのだろうか。どんな心の葛藤があったのだろうか。苦渋の決断だったことは、想像に難くない。
多くのファン同様、彼の引退宣言に取り乱した。「もう、あのボクシングを見ることができない」という残念な気持ちと、「後悔の念」……。
長嶺克則というボクサーを大切に思うからこそ湧き上がった躊躇が、完全に裏目となってしまった。
もう、ボクサー長嶺と話をできない──。切ない気持ち以上に、よかれと思い、結果、安穏と時を過ごしてしまった自分を情けなく思った。
だから今度こそ──。
長嶺克則という男と話しをしたい。感謝を表したい。ただそれだけだった。
「ジムでいいですか?」
取材場所を彼に委ねると、意外な場所を指定してきた。当分の間、ボクシングの現場からは遠ざかりたいのではないかと思っていたから。しかし彼は、「そんなことはないですよ。長年お世話になったジムですし、僕の原点ですから。取材していただけるなら、ジムがいちばんだと思うので」と、簡潔に理由を語ってくれた。「ジム、遠くないですか? 大丈夫ですか?」と、こちらを気遣ってまでくれた。相変わらず、一言ひと言に味があり、繊細さをのぞかせる。やっぱり、長嶺は長嶺だった。
仕事の休日とはいえ、きちんとジャケットを着て現れる。
リング上で見せる殺気は当然ない。すっかり“デキル”男の雰囲気を醸し出している。
「ボクシングをやってたって、誰も思ってくれません」と快活に笑う。
いまは、不動産の営業に取り組んでいるのだという。
「父も亀有で独立して、不動産をやってますが、そこではないんです。もともと父と同僚だったいまの社長が、競技生活中もサポートをしてくれていたんですが、引退することになって、『うちに来いよ』って誘ってくれて。恩もあったので」
将来的にどうなるかはわからないが、「父の下で、とは特に考えてないですね。僕は1番になりたい人間ですから。社長になりたい。やるからには1番になりたいので」と、貪欲な姿勢は健在で、新たに抱いた野望が胸を打つ。
9月のことだったという。
「スパーリングで、相手のパンチがピンポイントで目に入ったんです。衝撃があったりしても、ちょっと時間が経てば見え方も戻る。でも、ひと晩経っても治らなかったので、『あ、やったな』と。
でも、網膜剥離とかではなく、水晶体がズレてしまったという状態。手術しても極度の老眼になる。先生は『失明はさせないけど、すぐズレるよ』と。絶対(ボクシングを)やるなという言い方はされなかったけど、自分自身、目をかばいながらやりたくないなって。
網膜剥離のときのように治るってわかってればやりたかったけど、試合が決まって、ズレちゃいましたすみませんっていうわけにはいかない。ケガしないようにって考えながら練習もできない。
ベストで上がれないなら最後かなと。それが決断の理由です」
「キミが仕事をできるようにするのが私の仕事」と言い放ち、網膜剥離を治してくれた横浜の『深作眼科』には、以来、定期的に通ってきた。今回も、全幅の信頼を置く医師に診断を仰いだ。ドクターストップではなかった。が、網膜剥離のときとは異なる反応が返ってきた。おそらく、決断を本人に任せるという医師の優しさだったのだろう。
「2ヵ月粘ってみたけど、現実が変わるわけじゃないので。自分がもうボクサーとして厳しいのかな、チャンピオンになるっていう想いでいられるのは厳しいなって……。
でも、自分で決着をつけられたのは大きかったです。『もうやるな』っていう言われ方をされちゃうと、反骨心が芽生えちゃうので……。自分で決めたことだから後悔はしません。
ちょっとずつちょっとずつ、気持ちをボクシングから離していく感じでした。自分には何ができるんだろうって。めそめそはしてられなかった。くよくよはしなかったけど、でも悩みました。ほかに代わるものがないので……」
すべてを捧げてきたもの。それをある日突然、失う。どんなに想像をめぐらせてみても、本当にそれが起きたときの心境は、自分自身がそうなってみなければわからない。
網膜剥離から再起したとき、長嶺には再発、失明などに対する恐怖心はなかったという。「それよりも、ボクシングをできなくなる恐怖はありました。命を懸けるって、あんまり安くは使いたくないけど、いざとなったら後悔はしないくらい、打ち込んでいたので。試合のときも、負ける恐怖はあったけど、目をどうのっていう恐怖はありませんでした」
そういう男が、自らの意思で決めたのだ。
フライ級としては長身の170cm。しかし、ジャブを突いて、距離をとって……というボクシングをしない。あくまでも攻撃的。突く、打つ、叩くではなく、殴るという言葉がいちばんふさわしい。のっしのっしと相手に迫り、ガツンガツンとぶん殴る。軽量級なのに、重量級のような重厚感があった。右フックを食らえば、相手は紙のように舞った。棒のようにバタリと沈んだ。
「ひょろひょろしてたので、デビュー前のスパーリング大会ではアウトボクシングをしろって言われてしてたんです。でも、『正面に立つな、ポジションずらせ』ってなると、なんだか自分が逃げてるみたいな気持ちになっちゃって。気持ちと体のコントロールがうまくいかなかったんですね。だから、自分が追うんだっていうスタイルに変えてから、気持ちの面でよくなったんです。
フィジカルで、押し負けない強さでボクシングをしようと。アントニオ・マルガリート(メキシコ=元WBO、IBF、WBA世界ウェルター級チャンピオン)が好きで、ガードを固めて、右クロスから左フックって、そこから入ったんです」
デビューから7連勝で全日本フライ級新人王を獲得。日本ランキング入りを果たすと、その後2試合もKO勝ち。中部の倒し屋、鶴見旭(三津山)を倒した試合は特に圧巻だった。しかし……。
「A級トーナメントに出ることになって、練習を再開したら、飛蚊症が起こったんです。徐々に徐々に黒い塊が大きくなって、左目を隠して見たら、半分見えてないやって……。で、病院に行ったら、左目も網膜剥離でした」
1年のブランクを経て再起すると、アマチュアの国体王者、父子鷹などで話題だった拳四朗(BMB=現WBC世界ライトフライ級チャンピオン)と対戦。ジャブと距離であしらわれ、いいところなくストップ負けを喫してしまった。
「不器用なスタイルで拳四朗にはやられたので、ちょっとずつスタイルをチェンジしていこうと。あの試合は大きかった」
ただ闇雲に突っ込んでいくファイターではなかった。「ボクシングに関しては考えてたっていう自負はある」というとおり、理詰めのファイター。それでも、かなわなかった。でも初黒星に落ち込むどころか、逆に燃え盛った。けれども、試合翌日に診断を受けると、2度目の網膜剥離が発覚してしまう。
「せっかくやる気が出てるのに、また休まなきゃいけないのかっていう落ち込みはちょっとありましたけど、でも、何が何でもまた復活してやるっていう気持ちでした」
また約1年のブランク。それでも気持ちが切れることはなかった。やるべきこと、方向性が定まっていたから。だから、長く深い思索に入る。
「頭が働かないと体が動かないタイプ。考えて考えて、自分で理解しないと。自分の中で腑に落とさないと。自分の中で、しっくりくる、ピンと来るまで動かない」
自分のボクシングを見つめ直す。下半身をどっしりと踏ん張って戦うスタイル。それはできていた、けれども、それだけでは天井が見えてしまった。「拳四朗に負けて、踏み込みの距離の差で変わるんだと教えられたんです」
必要なのは、体の使い方。長嶺がボクシングを始めてから教わってきた刀根健トレーナーは、当時体調を崩し、ジムを離れていたが、動画を見てもらい、教えを請うた。刀根さんはボクシング畑の人でなく、古武術など武道出身で、体の使い方に関して精通していたからだ。
「だから、ボクシング・マガジンのツイートで『ガニ股は力が外側に逃げてしまう』って見たときに、つい反応してコメントを書き込んだんです。僕、ガニ股だったので、矯正をしていた時期だったので。あれからは、普段の立ち方とか姿勢にも気を配るようにしています」
「初めて自分に自信なくリングに上がった」山下賢哉(古口、現JB SPORTS)には初回にダウンを食らったが、「それで吹っ切れて、狙ったとおりのプロセスで」逆転KO勝ち。カウンター気味の右で前のめりに倒す鮮烈なものだった。そこからは4連続KO勝利。初めてにして唯一のメインイベントを務めた富岡哲也(REBOOT)戦も、ダウン応酬となったが、こちらはより盤石のKO劇。抜群のポジショニングから放たれる左フックのカウンターが絶妙。サイド、サイドを取って緩急、上下の打ち分けと縦横無尽に披露した攻撃は圧巻の一語に尽きた。
そしてとうとう実現した念願の日本タイトル挑戦。長嶺は右の強打で王者・黒田雅之(川崎新田)にキャンバスを味わわせたが、倒しきることは叶わなかった。
「そこそこ効いていたはずなのに、映像を見直したら、その後は僕の方がパンチをもらってる。それまではそんなにもらってなかったけど、倒しにいって、荒くなったところを逆にこつこつもらった。キャリアって大きいなと。
でも、絶対にすぐ抜ける、って。負けたけど、勉強になった。自分の可能性をすごく感じられました。絶対にチャンピオンになれるって。
あれがあのときの自分の実力だったと思います。黒田選手が出させてくれなかったのはあったと思うけど。僕の持ってる手札は全部使ったと思います」
2ヵ月後、中国の選手に貫録のTKO勝利。縦、横、斜めと鋭角的に攻め、上々の再スタートを切ったばかりだった。が、これがラストファイトとなる。
衝撃の引退発表から数日後、拳四朗の世界戦前公開練習が行われる三迫ジムへ。東武練馬駅で下車し、改札へ向かうと偶然、黒田雅之に出会った。拳四朗のスパーリングパートナーを務めるのだという。話題は自然と長嶺引退の話になった。
「唯一知っているのがTwitter。コメントをしようか、メッセージを送ろうか悩みました。僕から言えるのは『お疲れさま』だけ。でも、やめました。僕は僕の立場で、身をもって彼に示そうと。彼が負けているのは、拳四朗選手と僕だけ。だから、僕も世界チャンピオンになれば、長嶺君も胸を張れるじゃないですか。『オレに勝った選手は、ふたりとも世界チャンピオンになったんだ』って」
5月13日。黒田は6年ぶり2度目の世界タイトル挑戦に臨む。後楽園ホールでIBF世界フライ級チャンピオン、モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑むのだ。自身の夢はもちろんのこと、長嶺をはじめ、打ち破ってきた対戦相手の想いも背負い込んで。
そして長嶺も、キャリアの途中から“希望”を背負って戦ってきた。網膜剥離からの復活、そして栄冠を勝ち取るという光を。それが重石になっていたのではないか。そんな心配も抱いていたのだが、彼は「重圧は多ければ多いほどテンションが上がります」と一笑に付し、でも「網膜剥離になってもチャンピオンになれるって示したかった。そこも悔しいです」とつぶやいた。
リングに登場するとき。そして戦っているとき。試合後のインタビューや取材。彼にはいつも“美学”を感じていた。
「僕の美学ですか? 自分がカッコいいって思ったことを選択すること。物事をカッコいいかカッコよくないかで決断するんです。そう考えるようになったのはプロボクサーになってからですね。ボクシングを通して、いろいろ考えるようになりました」
だから、泣き言は言わない。愚痴ももらさない。そして常に前を向く。歩く。走る。
「何かをやり遂げられないで引退する選手のほうが多いじゃないですか。僕もそう。でも、今度は道しるべをつくりたい。こういう選択肢もあるんだって。
全然違う世界を選んだけど、ボクシングをやってて活かせることっていっぱいあるんです。考え方もそう。何事もポジティブに。ちょっとでもネガティブになると、リングではそれが表われてしまうので。
人と接していても以前はネガティブなところがよく見えていたけど、ポジティブなところがよく見えるようになりました。そうやって人を見ると、こっちに返ってくるものもポジティブになるんです。
だから、人をすごく好きになれるようになりました。もともと、誰しもを好きになるようなタイプではなかったんですけど。
ボクサーって、ただ自分が好きでリングに上がるじゃないですか。でも、そんな自分らを周りは応援してくれて、夢を乗せてくれる。そんなことを言ってもらったら、こっちとしてはただただ好きになるしかない。
多少なりとも死を覚悟してリングに上がってました。でも、次死ぬかもしれないって思うと、一人ひとりに対して寂しくなる。すごく好きになるんです。それは本当にボクサーをやってて、いい経験をできたなって思います」
減量はそこまでキツくはなかったが、決して楽ではなかった。けれども、フライ級にとどまっていたのにはわけがある。
「拳四朗にやり返したくて(笑)。フライにとどまってれば、いずれフライに上がってくるだろうと考えてたんです。勝手に、あいつにやり返すのが僕の運命と思って。僕、思い込み激しいタイプなので(笑)」
でも、拳を交えた選手のことは応援し続けるという。
「試合が決まると、その選手のことをずっと考えて練習をするじゃないですか。で、試合が終わると、別れた女のその先が気になるじゃないですけど(笑)、そんな感じになっちゃうんです(笑)」
独特の表現力で、心境を表す。これもまた、命を張って戦い抜いたからこそ伝えられる言葉だ。
取材中、彼は浅く腰かけ、あくまでも自然に姿勢正しく、真っ直ぐにこちらを見つめて終始穏やかに語ってくれた。そして、度重なる目の負傷にもかかわらず、彼の目は一点の濁りもなく、澄み切っていた。まるで、穢れを知らない子どものようである。
「目が綺麗なんて、言われたことないですけどね(笑)。でも、子どものような気持ちは常に持っていたい。子どもって、怖いもの知らずで、やりたいって思ったことをできるじゃないですか。その感覚は持っていたいですね」
彼の精神は、永遠に純粋なボクサーのまま。だから、長嶺克則はきっとこれからも挑戦し続け、戦い続ける。そしてまた、彼のチャンピオンロードを、楽しみに見つめていきたいと思うのだ。
<文中敬称略>
文_本間 暁
長嶺克則 全レコード
◎2011年
11.29 高野健太郎(船橋ドラゴン) ○KO1R
◎2012年
1.31 大久保雅章(角海老宝石) ○KO1R
3.31 佐藤 斉(つるおか藤) ○KO1R
7.13 渡邊 聖二(角海老宝石) ○TKO2R
9.28 金子 智之(国際) ○判定4R
11.4 佐藤 拓茂(石神井スポーツ)○判定5R
<東日本新人王フライ級決勝・獲得>
12.16 川村 琢磨(畑中) ○判定5R
<全日本フライ級新人王決定戦・獲得>
◎2013年
4.21 シン・ヒョンジェ(韓国) ○TKO4R
7.19 鶴見 旭(三津山) ○KO2R
◎2014年
12.18 大保 龍斗(横浜さくら) ○判定8R
◎2015年
3.26 拳 四 朗(BMB) ●TKO7R
◎2016年
2.17 山下 賢哉(古口) ○KO3R
7.28 与那覇勇気(真正) ○TKO2R
12.8 松山 真虎(ワタナベ) ○TKO7R
◎2017年
5.15 富岡 哲也(REBOOT) ○TKO6R
10.21 星野 晃規(M.T) △引分8R
<『最強後楽園』フライ級・勝者扱い)
◎2018年
3.3 黒田 雅之(川崎新田) ●判定10R
<日本フライ級王座挑戦>
6.20 ゾン・ユイジェ(中国) ○TKO7R
18戦15 勝(11KO)2敗1分
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