上写真=現在、14勝9KO無敗。OPBF王座を3度防衛中の小浦(右)
最軽量、ミニマム級で、いまもっとも安定感のあるボクサーといえば、OPBF東洋太平洋チャンピオンの小浦翼(24歳=E&Jカシアス)だろう。3月にWBO同級王座に挑戦する谷口将隆(ワタナベ)を大接戦の末に判定で破り、先ごろ日本王座を獲得した田中教仁(三迫)にはダウンを奪われたものの、5回TKO勝利しているのだから。
しかし、同級ナンバーワンだから、そしてその能力を高く評価するからこそ、苦言を呈したくなることもある。ときにリング上で、彼は“優しさ”をチラつかせてしまうのだ。それは“甘さ”と言い換えることもできる。これを克服しなければ、彼が求める「本物の強さ」は手に入れられないと思うのだ。
なまぬるい空気がリングサイド最前列で感じられた。完全に緩んでる状態だった。もちろん、ボクシングは決して殺し合いじゃない。でも、やるかやられるか、食うか食われるか。そういう“闘い”だと信じている。スポーツの範疇にはあるが、もっともスポーツとかけ離れた競技だと考えている。
「試合」という文字は「試し合い」と書く。けれども個人的な感覚では、「果たし合い=はた仕合」に近い。鍛練を積み重ね、人生を送ってきたものの、一瞬にして勝敗はおろか、命のやり取りにまで至ってしまう武士の戦い。ボクシングには、そんなサムライたちの名残があると勝手に解釈し、重ね合わせて見続けてきた。
初回はチャンピオンが押さえ、2ラウンドはチャレンジャーが深い踏み込みからの左ジャブで盛り返した。そうして迎えた3ラウンドの終了間際。互いに手を出さず牽制し、どちらからともなく笑みを浮かべ合った。「互いに認め合った」という雰囲気ではなく、緊迫した空気に耐え切れず、という様子だった。
4ラウンドには両者の頭がぶつかり、チャンピオンがすかさず「ごめん」と謝って、グローブを差し出す。スポーツとしてのボクシングのマナー、エチケットとしては最高の行為なのかもしれない。だが、ここに王者の余裕、ゆとりを感じ取ってしまった。「相手も良い選手で、決してそんなふうには思ってなかった」と彼は後に語ったが、たとえば心身ともに追い詰められた選手だったら、決してそんなことはしないだろう。
スピード、テンポ、ヒッティングセンス、ディフェンステクニック。どれをとっても、小浦翼は1枚も2枚も上だった。メキシカン的なゆったりとしたダイナミズムを持つ冨田大樹(堺東ミツキ)も、“大器”を予感させるボクサーだったが、その冨田の構えを切り裂いていくリズムもあった。長く“果たし合い”を見てきた者からすれば、いつ試合を終えてもおかしくない展開だった。けれども、仕留めない。仕留めきれない。すべての面で窮地に追い込まれているはずの冨田だが、だからこそ、気迫だけは負けてならないと、食らいついていく。その1点、そして戦う者の姿勢として、もっとも大事な要素では、チャンピオンを上回っているとさえ思えた。
10ラウンド、またしてもバッティングが起こると、小浦が右の頬をカットした。しかし、11ラウンド、冨田の右をバックステップで外しざま、小浦が右カウンターをヒット。冨田はバッタリとキャンバスに沈んだ。しかしカウント8で立ち上がる。小浦は一気に詰めに入るが、ここでも冨田の猛反撃にしのがれてしまった。
「あそこで仕留めきれなかったのは僕の甘さ」。小浦は頬っぺたを引きつらせながら振り返った。
最終回、ふとした瞬間に、冨田がそれまで見せなかったテンポで踏み込み、右アッパーカット。これがどんぴしゃりでチャンピオンの顔面を跳ね上げた。この一撃で、小浦は鼻血を流した。「ダメージはまったくなかった」と小浦は言うが、そういう問題ではない。
バッティングでのカットといい、この一撃といい、そこまでに至る過程の“甘さ”が、ここにつながったのだ。
スコアは119対108がふたり、ひとりが117対110。小浦が完勝で3度目の防衛を果たしたが、最前列で見つめていた者には、そういう試合には到底思えなかった。
控え室へ向かう。通路には、ジム頭の内藤律樹がいた。普段は温厚な律樹も、こちらと同じく険しい表情を浮かべていた。
「翼、甘いですね。頭がちょっと当たったくらいで、グローブを差し伸べる必要なんてないんですよ。たとえば、あれを海外の選手相手にやったら、打ってこられるかもしれない。でも、文句言えないですからね」
こちらの考えとまったく同じだった。グローブでの握手は試合開始直前と、最終ラウンドが始まる前だけ。これだけがルールで、各ラウンド開始時や中断後の再開時でのそれは義務化されていないのだから。
控え室は、完勝ムードにならなかった。いや、させなかった。先輩記者を差し置いて、想いをありのままぶつけてしまった。小浦は、熱くなっている記者の厳しい言葉を素直に聞き、「次からは鬼になります」と言葉を絞り出した。
『ボクシング・マガジン』本誌の記事も、辛辣な言葉を並べ立てた。後々、取材拒否されてもしかたないくらいのものだったかもしれない。でも、こちらの“想い”は伝わると信じての、覚悟の原稿だった。
それから1週間が経ち、2週間、3週間……。目まぐるしく流れていく毎日の中で、どうしても解けないものがあった。完勝を果たしたというのに、切なく微笑むしかない彼の姿だった。
「あれを書く以前に、記者としてきちんと彼に向き合っていたか。いや、そうじゃなかったじゃないか……」と。振り返れば、試合後の控え室で取材をすることはあっても、1対1で彼と戦ったことはないじゃないか。内藤律樹の取材の横目でしか、彼の練習を見たことがないじゃないか。これはフェアじゃない。記者としてあるまじき行為。自分自身が猛烈に情けなく、恥ずかしくなってきた。
意を決して、コンタクトを取った。はねつけられてもおかしくなかったが、取材許可はすんなり下りた。
あれから3ヵ月半。お互いに落ち着いたところでの再会。でも、こちらはアウェーに臨む覚悟でその日を迎えた。しかし、ジムの誰もが笑顔で受け入れてくれた。
約束の時間よりも早く入ったこちらに合わせ、小浦もわざわざ早く来てくれた。しかも笑顔で出迎えてくれた。
「同じように甘いって見てた人は他にもたくさんいました。プロとして、ああいう姿を見せちゃいけないと、反省していました」
表情は穏やかだが、目には光るものが浮かんで見えた。何を言われても戦おうと気合の入りすぎていたこちらから、余計な力みが抜ける。
そうして、彼は自身の思いを語ってくれた。
「僕には試されてないところがまだまだたくさんあるので。前回は、フルラウンドをやってみたかったんです。スタミナは大丈夫か? って、前からの課題で、そこを克服しようとトレーニングを積んでいるので。だから、収穫でした。12ラウンド、余裕だったので。
自分のペースでやること。それが大事だとあらためて思いました。試合で経験しなきゃ憶えないので。これからも1試合1試合学んでいかなきゃと思います」
だから手を抜いたというわけではもちろんない。しかし、根底に長いラウンドを戦いたい、その気持ちがあったのは事実だった。2戦前の谷口将隆(ワタナベ)との超接戦は、はっきりいって、谷口のペースで進んでのフルラウンドだった。それが自分のペースを保ちながらの12ラウンドだったら──。
世界ランキングもWBA10位、WBC3位、IBF4位、WBO9位と軒並み上位。いつ世界戦が決まってもおかしくない。なるべく早く、「試されていない部分を試したい」と思うのは当然のこと。1試合たりとも無駄にはできないのだ。
試合を見ても、試合後に話を聞いても、彼には常に“優しさ”が付きまとう。本人は「ボクシングだけじゃなく、他のことでも負けず嫌い」と言うが、特有のガツガツしたところはまるで感じられない。それはきっと、彼が本当の危機に瀕したことがないからではないか。センスがあって、器用で、それで乗り越えてこられたからではないか。
たとえば、技術的にこいつには勝てないって感じたとき、どうしますか──。
こちらも心を鬼にして訊いてみる。
腕を組み、手のひらでアゴを触りながら、ひとときうーんと考え込んだ末、ひと息に吐いた。
「それでも、反則するようなことはしないです。すれすれのことも」
小浦流の考え方はこうだ。つまり、試合中に技術的に勝てないと思わないために、準備段階でより高い技術を習得しておきたい、のだと。あくまでも、クリーンファイトにこだわりがあるということだ。
マネージャーを務める会長夫人、三美子さんは言う。
「高校生のときに来て以来、翼くんはなにも変わらないですね。優しくて、明るくて、素直で。律樹が長男だとしたら、未来が次男、翼くんは三男だったり、次男だったり……(笑)。
この前の試合もそうですが、性格が試合に出てますね。それが彼の味なのかもしれないけど、それで逃しちゃったら……。
ジム全体の雰囲気がフレンドリーで、そういうところがあるかもしれないですね。みんなまとめて直さなくちゃ(笑)」
小浦のトレーナーを務める今井心一さん。
「無敗で来ていて、周りも世界を意識することを言って、ちょっと浮かれているところもあるかもしれないので、厳しく言ってもらうほうがありがたいです。控え室での言葉もおっしゃるとおりでした。
自分を追い込んで連打したりする部分が足りないので、いま、徹底的にやってます。
今度グローブタッチしたら、罰金1万円取ります(笑)」
そして、カシアス内藤会長。
「技術的な部分はある程度できてるけど、場数がまだ足りないね。心ちゃん(今井トレーナー)もそうだし、翼もアマチュアをやってきて、綺麗なボクシングなら負けない。でも、海外の選手なんかは、日本人がやらないダーティなことをしてくる。そこが心配だし、課題だね。
翼はビビりだけど、よしと決めたら強い。うん、優しいやつってビビりなんだよね。
翼はボクシングが好きだし、考えながらやってるし。技術を学ぼうとか、わからないことを吸収しようとか、そこの部分が強くしてくれてますね」
誰もが口をそろえて言う。「翼は優しい」と。そして続ける。
「でも、それはリングにはいらない」と。
そんな自分を打ち破りたいと、小浦自身がいちばん強く感じているはずだ。だから、目標はあくまでも高く、ハードだ。
「WBCのベルトが単純に好きだっていう気持ちが強いんですが、タイに行って、ワンヘンに勝って、WBCのベルトを獲って、長期防衛をしたいんです。あとは、統一戦でアメリカに行きたい」
WBC王者ワンヘン・ミナヨーティンは、デビュー以来52連勝。これはあのフロイド・メイウェザー(アメリカ)を抜くレコードである。そして、2014年に獲得したWBC王座を10度防衛中だ。3月1日に、元WBO同級王者・福原辰弥(本田フィットネス)が、2017年11月以来のワンヘンとの再戦に臨むが、予想はかなり厳しいと言わざるをえない状況である。
日本人選手(男子)のタイでの世界タイトルマッチは、これまで23敗1分。ただのひとりも勝っていないという不名誉な記録も続く。
ワンヘン越え、そしてタイでの日本人男子選手世界戦初勝利──。このふたつを成し遂げれば、日本ボクシング界にとっては歴史的快挙というほかない。
「ミニマム級は、特殊な階級なので(笑)、なにかインパクトのあることをしないとですから」
しかし、ここにも小浦の優しさが流れ出しているのだと思う。彼は、「この小さなジムで結果を出したほうが価値があると思うんです」と力をこめて言った。
世界チャンピオンを呼ぶにはお金がかかる。そんなことはできない。でも、オレはこのジムが大好きだ。だから、海外に行って、つかんでみせる──。
2月26日には、“ライバル”谷口が、WBO王者ビック・サルダール(フィリピン)にひと足早く挑戦する。谷口が勝てば、小浦が挑むチャンスはグッと近づくのだが、「谷口選手がチャンピオンになって、僕もチャンピオンになって、統一戦ならやりたいです」と、これもまたはっきりと思い描いている。ここには、優しい男が持つプライドがチラリ。接戦とはいえ、1度は勝った選手だ。だから、対等な立場で向かい合いたい。
優しい負けず嫌い。明るい目立ちたがり屋で、プライドも高い。
24歳。まだまだ甘ちゃんなところもたくさんある。経験もまだまだ。けれど、ここまでは全日本新人王、OPBF東洋太平洋王座と、順風満帆に歩んでいる。だが、ここからが本当の闘いだ。
優しすぎる好青年が、リング上で鬼神になる──。その瞬間を、絶対に見逃しはしない。
文&写真_本間 暁
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