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2017-10-16

江藤光喜&比嘉大吾 蘇る「沖縄の星」物語

文/本誌・藤木邦昭
                                               WBC世界フライ級チャンピオン比嘉大吾の初防衛戦が近づいた。5月、鮮烈なKO勝利で沖縄に25年ぶり世界王座をもたらした比嘉。当地の喜びは相当なもので、新チャンピオンには盛大な祝勝会やパレードの歓迎が待っていた。蘇ったボクシング王国――。しかし、もともとその期待を担っていたのは、同じ白井・具志堅ジムの先輩・江藤光喜だった。

 比嘉の世界奪取から遡ること4年、自らも敵地タイでWBA世界フライ級王座を逆転KOで奪取する快挙を演じた江藤。しかし、このタイトルに付いていた「暫定」という但し書きによって、歴代チャンピオンの一人に名を連ねることは認められなかった。その後、改めてつかんだWBC王座への挑戦は判定負け。そうこうするうちにプロ入りした後輩の比嘉に追い抜かれ、両者の立場は逆転した。江藤の心中やいかに……。2人の関係を「具志堅用高と上原康恒」になぞらえたのは、白井・具志堅ジムの野木丈司トレーナーだ。

 上原康恒といえば、元祖「沖縄の星」。興南高校から日大にかけてインターハイ、全日本選手権を制し、大きな注目を集めて協栄ジムからプロ転向。ハワイのリングでデビューし、プロ9戦目で当時のWBC世界スーパーフェザー級王者リカルド・アルレドンド(メキシコ)とノンタイトルで対戦、大差の判定勝利で大金星をあげてみせる。1973年11月、那覇市の奥武山体育館で行われたこの試合はゴールデンタイムで全国中継され、同じ日に勝利を収めた弟のフリッパー上原とともに「上原兄弟」の名を全国に轟かせた。沖縄のボクシング・ブームに火が付いたのは、まさにこのときだったと言っていい。

 順風満帆だったはずの上原のキャリアだが、翌74年8月、ハワイで臨んだ初の世界挑戦は、WBA王者ベン・ビラフロア(フィリピン)の強打の前に2回KO負けで玉砕。ここからが長かった。日本タイトルからの出直し。国内では圧倒的な強さを誇りながら、2度目の世界挑戦のチャンスはなかなか巡ってこなかった。

 具志堅用高は、故郷の石垣島をあとに本島の興南高校へ進学。「ボクシングをやる」という条件で、上原兄弟の実家「上原湯」への下宿を許されたのは有名な話だ。ここで閉店後の風呂掃除とボクシングの練習に明け暮れた具志堅は、3年生でインターハイの王者に輝く。紆余曲折を経て上原と同じ協栄ジムに入り、1974年5月、上原の前座4回戦でデビュー。その2年後の1976年10月には、プロ入りわずか9戦目でWBA世界ライトフライ級王座を奪取、沖縄県人として初の世界王者に。さらに防衛を重ねて、瞬く間に国民的ヒーローに駆け上がった。この間、先輩の上原はひたすら世界再挑戦を待ち続けていた。

 上原が2度目の世界タイトル挑戦を果たしたのは、具志堅の王座奪取から遅れること4年の1980年8月、場所はアメリカ・デトロイト。10度防衛のWBA世界スーパーフェザー級サムエル・セラノ(プエルトリコ)戦は絶対不利の予想を立てられ、事実、5回まではフルマークでリードを許しながら、6回終了間際に放った右の一撃で逆転KO勝ち。「沖縄の星」はついに異国で輝いた。

 上原が世界チャンピオンになった時点で、具志堅はすでに12度の防衛を重ねていた。凱旋帰国した上原を具志堅は笑顔で迎え、夢だった那覇の国際通りのパレードを2人で果たしたのだった――。

那覇市の国際通りをパレードする上原康恒(左)と具志堅用高

 あれから37年。具志堅用高会長に導かれてプロの世界に入った現代版「沖縄の星」江藤光喜と比嘉大吾は、いま、偉大なる郷土の先輩と同じことを実現しようとしている。具志堅会長は、比嘉が22日の初防衛戦に続き、指名試合もクリアすることを前提に、2018年は沖縄でダブル世界戦の構想があることを明かした。

「江藤さんも勝って、2人で国際通りをパレードですね」と願望を語った比嘉。沖縄から上京したばかりのころは、何も知らない東京で江藤に何くれとなく面倒を見てもらった。タイで江藤が「世界」を奪取したときも同行し、兄弟子の勝利を泣いて喜んだ。今度は2人で一緒に喜びたい――。

「江藤3兄弟」で売り出した光喜だが、弟の大喜と伸悟はすでに引退。兄弟の希望は光喜ひとりに託された。その一方で、1歳5ヵ月の長男・湊仁くんに続いて、10月14日には2人目の子供も誕生。江藤にかかる責任は、公私ともに増えた。そして、比嘉への思いももちろん、江藤のエネルギー源になっている。

「大吾が頑張っているのをそばで見てるんで、俺も負けてられない。自分に悔しい。チャンスが来たら、誰とでもやりたい。世界チャンピオンになります」

 激動のスーパーフライ級で現在、WBCランキングではファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)、カルロス・クアドラス(メキシコ)、ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)に次いで4位。どの王座が標的になるかはわからないが、遠からずチャンスは巡ってくるはずだ。そして、島袋武信、フリッパー上原、具志堅用高と、沖縄で行われた世界戦で日本人が勝った例はなく、具志堅が敗れて以来、この地での世界戦は36年間、開催さえされていない。江藤、比嘉が勝利で共演――そのときこそ、沖縄のボクシング・ブームは真の復活を遂げるだろう。

比嘉(左)の初防衛戦に備え、スパーリングパートナーを務めた江藤。「大吾のパンチには沖縄の魂がこもっている」と江藤は語った

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