毎年恒例の「BBMプロ野球チアリーダーカード2019 DANCING HEROINE」。プロ野球9球団のチアリーダー、ダンサー、パフォーマーたちをカード化する人気アイテムが、今年も前編「華」から発売された。後編「舞」も7月下旬に発売予定で、今年は合わせて178人が収録されている。その発売を記念し、福岡ソフトバンクホークスのオフィシャルダンス&パフォーマンスチーム「HONEYS」のまとめ役・関まどかさんにインタビューをおこなった。「DANCING HEROINE」を毎年お買い求めくださる皆さんなら、たとえ他球団のファンであったとしても、この優しい笑顔は懐かしいのでは!?
「DANCING HEROINE」が制作されるようになり今年で9年。この間に変わったことを一つ挙げるとすれば、かつてメンバーとして活躍された方が、裏方にまわってチームをまとめる方式が主流となったことだと思う。
球団により違いはあるものの、チア&ダンスチームのマネジメントを外部に委託することは以前からも多かったが、元メンバーの方が携わっているケースは少なかった。それが現在ではさまざまな球団で懐かしい皆さんと再会することができる。
どのチームにも毎年、新メンバーが加わるだけに、経験者の存在は極めて大きい。そしてそれだけ、プロ野球におけるチア&ダンスが重要視されるようになった証でもあると思う。
福岡ソフトバンクホークスでも2016年のシーズンよりこの方式を採用。15年のHONEYSリーダーだった関まどかさんが、球団職員としてまとめ役を担当している。
このカードにも幾度もご登場いただいた「MADOKA」さんに、HONEYS時代のエピソードから現在のお仕事まで、さまざまなお話をうかがった。
前編となる今回は、HONEYS現役時代のお話から現在のお仕事を始めることになった経緯などについてお届けしよう。
PROFILE
関まどか(せき・まどか)
1月13日生まれ、福岡県出身。3歳からダンスを始め、小学校時代には舞台への出演経験も持つ。中学、高校時代は吹奏楽部に所属し、短大進学後に再びダンスを始めた。2012年、HONEYSのオーディションに合格。15年まで在籍し、14年はサブリーダー、15年はリーダーを務め、チームの2年連続日本一を彩った。16年に福岡ソフトバンクホークス株式会社へ入社。事業統括本部に配属となり、HONEYSなどを担当する。
BBM 現在、関さんは福岡ソフトバンクホークスの球団職員として、このカードでも大変お世話になっているのですが、かつてはご自身もHONEYSのメンバーでしたね。
関 はい。2012年から4年間、HONEYSのメンバーとして踊っていました。
BBM なのでどうしても「MADOKA」さんというイメージが強いんですが(笑)、そもそもHONEYSに入った経緯からうかがえますか?
関 私は3歳からダンスをしていたんです。ですが中学、高校と吹奏楽部に所属し、部活動に専念していたので、その間はダンスからは離れていて。でもずっとダンスは大好きでした。
BBM では踊りたい気持ちはずっと持ち続けていたのですね。
関 はい、なので短大に進学してから再びダンスを始めました。それで入ったのがエイベックス・アーティストアカデミーで。ちょうどエイベックスさんがHONEYSのマネジメントをされているということもあり、やってみないかと声をかけていただいたのがきっかけでしたね。
BBM もともと野球には興味があったのですか?
関 うちはスポーツが大好きな一家でして、家族一緒にドラマを観るというよりも、テレビにはいつもホークスの試合やサッカー中継が流れていました。父や兄はサッカーをやっていましたし、ホークスの試合を家族と観に行ったこともありましたね。スポーツが常に身近にある家庭でしたから、家族にHONEYSのことを相談したときもすぐに応援してくれました。
BBM 環境は整っていたのですね。
関 野球のルールも知っていましたしね。家からドームまではちょっと時間もかかるんですけど、しっかり通いましたよ。
BBM ダンスの素地があったことはうかがいましたが、チアダンスは……。
関 高校の体育祭でチアの真似事みたいなことはやりましたが、本格的にはしていません。
BBM ただHONEYSは「ダンス&パフォーマンスチーム」ですから、厳密に言うとチアリーダーではないですよね。
関 そうですね。チアダンスと言うよりはヒップホップなどの要素のほうが多いです。
BBM 実は私たちも11年に最初にこのカードを作るにあたり、「チアリーダー」という名称をつけても良いのかどうか悩んだんです。ただ、世間的には「プロ野球のチア」というほうが伝わりやすい。ですからチアだけではないということから副題で「DANCING HEROINE」とつけました。というわけで、MADOKAさんのカードをお持ちしました。1年目の12年は髪、長かったんですね。
関 そうなんですよ(笑)。これを撮影したのは開幕前でしたよね。HONEYSに入ったことがきっかけで私は髪を切ったんです。それまでずっとロングにしかしたことがなかったんですが、先生やエイベックスの方などから「切ってみたら?」と勧められて。なのでシーズン中はもうショートでした。逆にHONEYSに入っていなかったら、私はずっとロングのままだったのかもしれません。
BBM 確かに、MADOKAさんというといまの髪型のイメージが強いです。14年にはHONEYSだけのカードセットも作らせていただきました。
関 はい、よく覚えています。ドームの外で撮影もしましたし。嬉しかったです。
BBM こういうカードができることもそうですが、パフォーマンスもこれだけ大きなスタジアムでされるわけじゃないですか。そのへんはいかがでした?
関 子供の頃、ダンスの発表会なども好きでしたし、観ていただくことで人に喜んでもらったり、元気を与えるというか、笑顔になっていただきたいという気持ちはずっと持っていたんです。それもHONEYSでやりたいという動機にはなりましたね。
BBM 実際にHONEYSとして務めた4年間はいかがでしたか?
関 実際に入ってみたら、ダンスのレベルは高いですし、先輩たちから学ぶべきこともたくさんありました。なので自分でも「本当に続けていけるのかな」って心配になった時期もありましたが、本当に周りの方々に育てていただきましたね。
BBM 3年目の14年にはサブリーダー、そして翌年はリーダーも務められました。
関 続けていくうちに経験も積んで、自分なりに責任であったりこれまでやってきた誇りといいますか、プライドもありましたが、周りがしっかり支えてくれたからリーダーも務められたのだと思います。
BBM 2年目でしたか、大きなケガをされたのは?
関 はい、2年目の夏に右ヒザの半月板を損傷しまして。手術を受けなくても治療さえ続ければ大丈夫と言われたのですが、それだともうダンスはできないと……。それを聞いて絶望的に落ち込んだんですが、両親が「まどかがHONEYSを辞めてどうするの!」と背中を押してくれて。それで「絶対HONEYSに戻る、もう一度グラウンドに立つ」と決心して、手術を受けました。ですから2年目のシーズンは閉幕まで復帰できなくて。しかも、左の半月板もやっちゃったんです。なので冬に今度は左ヒザの手術も受けました。
BBM よく14年のシーズンに間に合いましたね。
関 リハビリも大変だったんですけど、14年のオーディションのときもなかなか踊れなくて。踊れないのにオーディションを受けていいのかという葛藤もありました。マネージャーや球団の方にも相談して、自分の想いはしっかり伝えて……。
BBM その想いが通じて3年目に見事復活。そして4年目の15年が最終シーズンとなるわけですが、HONEYSを辞めると決めたのはいつごろですか?
関 15年はもう悔いなくやりきろうとは思っていたんですが、自分の中では決めきれなくて。それにリーダーでしたから、いまやるべきことにただ集中して。でもシーズンを日本一で終わったとき、自分の中でもすごい充実していたといいますか、達成感を覚えました。
BBM そこで気持ちが変わってきましたか?
関 この先も続けて、自分が成長していくためにというよりも、周りの成長を手助けしたいと思うほうが強くなりましたね。そんなタイミングで球団に声をかけていただいたので、自分の中ではすんなり決心できました。
BBM 球団さんからのお声がけだったのですね。ではいまのお仕事についてうかがっていきたいのですが、16年から始められて今年で4年目。どんなお仕事というのが正しいのでしょう。ディレクターとかマネージャーとか……。
関 ではないですね。マネジメントはエイベックスさんに現在もお願いしていますし。スケジュールのまとめなどはしますが、ダンスの指導もしてはいません。
BBM 球団側の担当者ということですね。そういう意味では、メンバーに一番近いお姉さん?
関 というのが一番近いかもしれませんね(笑)。実際、毎日のようにメンバーたちとは一緒にいますし。パフォーマンスに関しては指導者ではないのである意味、客観的に観ることができるので、実際自分にもHONEYSの経験がありますから、アドバイスできるようにとは思っています。
BBM 時期などによっても変わってくると思うのですが、ざっくりHONEYSの1日のスケジュールを教えていただけますか?
関 土日などお休みの日にはステージがあります。平日の試合ではステージがない代わりに開場時にお出迎えをさせていただいて、試合開始前にはオープニングのダンスとスターティングメンバーの送り出し。試合が始まったら、2回の表裏のタイミングにコンコースで写真撮影会。写真撮影会は4回の表裏にもあり、それはスーパーボックスという上の階のお部屋でのものです。5回裏終了後のグラウンド整備中にはウーハーダンスをします。そしてラッキー7があり、最終回の盛り上げ、そして試合に勝利したときに出るという感じです。
BBM 撮影会などはメンバーも入れ替わると思いますが、ほとんど休む暇もないですね。試合によっては別の出番もあったりするでしょうし。
関 シフト制にはしているんですけど、結構バタバタしています。
BBM ヤフオクドームへ来れば、これだけHONEYSを観ることができるんですね。しかもHONEYSのお仕事はホームゲームだけではない。
関 試合以外でもさまざまなイベントがありますし、ありがたいことにビジターゲームに呼んでいただけることも多いんです。全員を連れては行けないんですけど、メンバーそれぞれまんべんなくとは思っています。
▷後編に続く
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