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2018-02-14

「メッセージの力を演技につなげる」 羽生結弦、ファンの愛を胸に連覇へ。

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現地入りしてからの練習の内容がいいこともあり、記者会見での羽生は舌も滑らか。それでも過度に興奮していないあたりに、実績と練習から来る自信が垣間見えた 撮影/毛受亮介

 ここは平昌(ピョンチャン)五輪フィギュアスケート会場の江陵(カンヌン)にある、高層マンションの23階。相変わらず冷たい風が、ピューピューと音を立てて窓ガラスを揺らしている。

 それでも私はパンツ一丁だ。なぜパンツ一丁なのか。それは興奮しているからだ。今の心境を言葉にすると、「先にシャワー浴びて待ってろ。今日は朝までいくからな。3つ用意しとけ」という感じだ。

 ご存じの通り、2月11日に仁川空港に降り立った羽生結弦が、翌12日夜、江陵での初練習に臨んだ。

 狭いリンクサイドには、100人を超えるだろう報道陣が押し寄せた。誇張ではなく本当に、押して、ザギトワばりに寄せていたのである。フィギュアスケート取材歴はまだ3年だが、今までの「公式練習」にこれほど多くの視線が注がれ、熱気に包まれたことがあっただろうか(いや、ない)。

12日夜、練習用のサブリンクで行われた江陵での初練習。ブライアン・オーサー・コーチとのやり取りを見ても、不安を抱えているようには感じられない 撮影/毛受亮介

 しかし、練習が始まってしばらくすると、なんともいえない空気がリンクサイドに漂った。滑走のスピードは抑え気味で、なかなかジャンプを跳ばない。インエッジ、アウトエッジで体重移動をじっくりチェック。フォア、バックで8の字を描いたり、片足に長く乗ったりと、基礎練習が続いていく。

 7分が経過し、白のJAPANジャージーを脱いで黒の長袖Tシャツ姿になると、ようやくジャンプ練習に。それでも1回転、2回転と抑え気味で、踏み切りのチェックに終始する。この様子だと3回転、まして4回転など望むべくもないのでは…という空気がリンクサイドを支配しかけた。

 1回転の踏み切りが続いた後、0.5アクセル。つい私は、隣に座っていた吉田学史記者に「これは跳ばないのか、跳べないのか、どっちなんでしょうね」と話しかけた。と、その瞬間だ。なんと、私たちの目前でトリプルアクセル。「跳べるに決まってんだろ!」といわんばかりのキレに圧倒されていると、羽生はそのままリンク中央に向かい、四方にあいさつ。開始から15分で練習を切り上げた。

 刹那、記者は一斉に立ち上がり、走り出す。練習リンクのバックヤードには、選手と記者がわずかに言葉を交わせるエリアがあるのだが、羽生は充実感たっぷりの笑顔で「おつかれさまでした。また明日、お願いします。ありがとうございました」と言い残し、風のように去っていった。

13日朝は試合会場のアリーナで練習。この氷とは1年ぶりの再会になる 撮影/毛受亮介

 開けて13日は、朝9時30分から40分間の練習。氷に上がると羽生はしばらく、前夜と同様にエッジ使いを入念にチェックする。滑るスピードも、やはり羽生本来のものではない。それでも10分が経過し、長袖Tシャツ姿になると一気にスピードが上がる。

 3回転のループ、フリップ、トリプルアクセルと続いた後に、4回転トーループ。さらに4回転サルコーを跳び、スタンドで見ていたファンと記者をどよめかせる。

 曲かけ練習は『SEIMEI』。前半のサルコーは2回転、3回転も、後半に入って4回転サルコー-3回転トーループ、さらには4回転トーループ-1回転ループ-3回転サルコーと、続けざまに4回転を跳ぶ。フィニッシュの「ドゥン!」と同時に場内からは拍手と歓声。曲かけ後には4-3のトーループ、果ては4回転ルッツと思しき踏み切り動作もあった。慎重ながらも、状態は良好。いや、セーブしないといけないくらい調子がいいということなのだろう。

13日朝の練習は、ファンもスタンドから見守った。練習終了のあいさつをする際、羽生はあらためて、その深い愛情に感謝した 撮影/毛受亮介

 13日の練習後に行われた記者会見でも、羽生の表情は明るかった。右足の状態を考えれば「フル」ではないにしても、いい練習ができている、調子が上がっているということを自身も強く感じていることがうかがえた。

 会見の冒頭で羽生は、ケガをしてからの心境、そして今、現実に五輪会場で滑れることの喜びを語った。その英訳が終わり、質疑応答に入ろうかという瞬間、「もう1個だけいいですか」と自らファンへの思いを口にした。

「えっと、本当に自分が、えー、ケガをして苦しい時期…もですけれども、ホントに、年が明けてからも、たくさん、いろんな方々から応援のメッセージをいただきました。そしてホントに、感謝の気持ちで今、いっぱいでいます。まだ試合が終わってないので、こう言うのもちょっと変かもしれないですけれども、本当にたくさんのメッセージ、ありがとうございました。そして、そのメッセージの力も、自分のスケート、演技に、つなげたいなというふうに思っています」

記者会見が終わると、まず記者たちに頭を下げ、次に通訳、壇上から降りてもう1度、さらに去り際にも一礼と、お辞儀シークエンスを披露。会見で私の隣に座った朝日新聞・後藤太輔記者と「お辞儀は全部で何回? 最後のは単独じゃなくて3連続だったよね」「セカンドはつけたけど、3つ目はあったかな」と談義したが、この五輪では記者たちのマガジン化が進んでいる(汗) 撮影/毛受亮介

 羽生が言うように、まだ試合が終わっていないのにこう言ってしまうのは変かもしれないが、昨日と今日の練習、会見と濃密な2日間を過ごすうちに、個人的にはこの五輪があらかた結末を迎えてしまった気がした。たった2日前、2月11日の仁川空港で「私にとっての平昌五輪が始まった」と思っていたはずなのに。

「待ってろ、平昌。今こそ総力結集だ」

「すべての愛を平昌に。必ず最後に愛は勝つ」

 本誌は11月の負傷欠場以来、羽生と、羽生を応援する人たちにメッセージを送ってきた。そのおかげで…なんてことはこれっぽっちも思っていないが、実際に羽生は五輪に合わせて王者の滑りを(百パーセントではないにせよ)取り戻し、ファンの人の存在をエネルギーに換えて滑ろうとしている。1シーズン前の「ファンとコネクト」という言葉が示すように、羽生結弦の演技はファンの愛情があって完成するのだ。

 会見でのファンへのメッセージを聞いた瞬間、私の役目は終わった気がした。世界一のスケーターと世界一のファンが結束したらどんなことになるのか、それは容易に想像できる。今はただ16日のSPに向けて、羽生やファンの人に負けない、いい準備をしようと思っている。

 さあ、そんなわけで毛受カメラマン、同室のN氏(宿舎は3人部屋なのです)、そろそろ始めますか。おでん3人前、用意できた? じゃあ、シャワー浴びてくるから先に一杯やっていてください。今夜は男3人、パンツ一丁で朝まで羽生結弦をアテに酒盛りじゃ!

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