10月6日(日)、鹿島アントラーズのランコ・ポポヴィッチ監督の契約解除がニュースに流れた。常勝軍団と言われた鹿島の復権を託され今季就任し、シーズン残り6試合を残した段階でリーグ戦は4位。今季も無冠が濃厚となっていた。指導者向け専門誌『サッカークリニック』では、契約解除のニュースが流れる前に、ポポヴィッチ監督自身とその周辺に徹底取材を行った上で「ポポヴィッチのフットボール学」と題した特集を敢行。その特集の中心として取材・執筆に携わり、ポポヴィッチ体制の始動からつぶさにチームを観察してきた番記者による、忖度なしの“ポポヴィッチ論”をお届けする。
(引用:『サッカークリニック 2024年11月号』)
文/岡島智哉(スポーツ報知)
|#1 監督という職業に対し、アグレッシブに向き合うポポさんことランコ・ポポヴィッチ監督は、ただ者ではない。今年1月9日のチーム始動からの約1カ月間で、私は確信した。
始動間もない頃の話。始動直後はフィジカルコーチ主導でトレーニングを行なうことが多く、監督は外からチームを見ていることが目立つ時期だ。新監督にとっては、チームを俯瞰し、選手それぞれの名前、性格、プレーの特徴を把握するフェーズである。ポポさんも、そのスタンスを崩さず、選手が体力づくりに励むトレーニングを外から見ていたのだが…。
「ユウマ(鈴木優磨)!」「ガク(柴崎岳)!」「ハヤ(早川友基)!」など、積極的な声かけが、ポポさんから飛ぶ。選手の名前が、ポンポンと出てくる。主力だけでなく、若手を含めて全員。クラブの方に確認したところ、全選手の名前とあだ名を頭にたたき込んだ上で、始動初日に臨んだという。
鹿島アントラーズというクラブの歴史についても、独学で学んだ上での来日だったそうだ。始動を迎えるにあたり、鹿島に来る前に自身が指揮していた、FKヴォイヴォディナ(セルビア)のプレー映像を自ら編集。そのリンクを鹿島の選手たちに事前配布し、どんなサッカーをやっていくのかについて伝える努力を行なっていた。攻守においてアグレッシブなサッカーを標榜する指揮官だが、監督という職業に対しての向き合い方も、非常にアグレッシブな人である。
単純に頭が良く、記憶力が、抜群に良い。1月中旬から2月上旬にかけて行なわれた宮崎キャンプでは、トレーニングマッチ後の取材対応が、試合終了後すぐに行なわれた。試合直後なので、ポポさんは、試合を振り返る映像を一切見ていなかった。にもかかわらず、試合の的確な描写、分析、そして振り返りが、たっぷりと語られた。これには驚いた。スタンド上段から見ていた私よりも詳細な部分を記憶し、こうするのが正解だったという最適解を脳内で導き出していた。
|#2 要求を伝える作業を円滑化した「ブラボー!」トレーニングを見守る際のポポさんの口癖と言えば、「ブラボー!」である。始動直後から多用し、練習を盛り上げてきた。選手は、最初はとまどっていた。明らかな照れ笑いを浮かべる選手もいたが、徐々に浸透し、キャンプの頃には「ブラボー!」が飛び交うピッチが、当たり前になっていた。
キャンプ中の戦術トレーニングを見ていた際、選手が、監督の顔色をうかがっている雰囲気があった。決して悪い意味ではなく、「ブラボー!」が監督の口から出るかどうか、プレーに対する反応を選手が待っている空気感があった。
そのときに気づいた。監督が発する「ブラボー!」は、単に選手をほめて、練習を活性化させる役割があるだけでなく、監督が求めることが何なのか、どのようなプレーが求められ、どのようなプレーが求められていないのか、それを選手側が判断する材料になっているのだと。特に新体制のチームにおいては、監督が自身の要求をハッキリと伝えることが重要である。その作業を円滑化したのが「ブラボー!」だった。しかも、どうやら指揮官は、それをあえて多用していたらしい。
しかし、シーズンが進むにつれ、「ブラボー!」は、だんだん減った。賞賛に値するようなプレーが減ったということでは決してなく、言う必要がなくなってきた。言い換えると、戦術の浸透が進んだことを意味するのだろう。自身が選手に求めるプレーの基準や選択を「ブラボー!」によって示し続けてきたことがうかがえる。自然と出てしまうものも当然あっただろうが、あえての側面もあったに違いない。
キャンプでも響く「ブラボー!」。それはいつしか選手の中ではポポヴィッチとの意識のすり合わせの判断材料になっていた(Photo:福地和男)|#3 人と人とのつながりを大切にする性格それから、ポポさんを語る上で外せないのが、「トモダチ」の多さだ。びっくりするくらい多い。試合をするたびに、相手チームにいるかつての教え子や旧知のスタッフとの再会を喜び、ハグをかわす姿を目撃する。
8月に行なわれたヴァンフォーレ甲府との天皇杯4回戦のあとには、甲府の選手とスタッフによる、ポポさんとのハグ待ちの列(1人目のピーター・ウタカとの会話があまりにも長すぎたというのもある。何やら進路相談を受けていたようだ)が、目にとまった。別の機会では、大分トリニータ時代の教え子である清武弘嗣(サガン鳥栖)のことを我が子のように抱きしめていたし、大分とFC東京で一緒だった森重真人(FC東京)との抱擁は情熱的で、そして長かった。セレッソ大阪の指揮官を務めていた際に不仲説が報じられた、柿谷曜一朗(徳島ヴォルティス)とお互いに満面の笑みで抱き合っている姿も見た。
「トモダチ」は、メディア関係者にも多いらしい。「ゲンキー?」と相手クラブの担当記者に歩み寄るポポさんの姿を各スタジアムで見かける。過去に所属したクラブでは、番記者を集めて食事会を開いていたと聞く。
人と人とのつながりを大切にする性格が垣間見える。日本人をリスペクトする姿勢が、ひしひしと伝わってくる。
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「鹿島、ポポヴィッチ監督を招聘へ」という一部報道が昨年末に出た際、世間の反応は冷ややかだった。その数日後にクラブによる正式発表があっても、その反応は変わらなかった。むしろ、火に油が注がれた感があった。「なぜ、ポポヴィッチ?」「鹿島、終わったな」などの声が上がった。私自身はどうだったのかと言うと、ズバリ、世間と変わらないくらいのテンションだった。一言で言えば、懐疑的だった。
監督という職業は、あくまでも結果で語られるものだ。正確な評価は、シーズン終了後に行なわれなければならない。しかし、再建を目指すクラブが歩むべき過程として、今の「ポポヴィッチ・アントラーズ」は、正しい道を進んでいるように感じる。少なくとも、ポポさんが指導者としてただ者じゃないことは確かである。
※編集部注:本原稿は2024年9月中旬に寄稿いただきましたPROFILE
ランコ・ポポヴィッチ
1967年6月26日生まれ、セルビア(旧ユーゴスラビア)・コソボ自治州出身。現役時代は、センターバックとして、パルチザン(当時、ユーゴスラビア)やシュトゥルム・グラーツ(オーストリア)などでプレーした。グラーツ時代に、UEFAチャンピオンズリーグを経験。98-99シーズンから、3大会連続で計15試合に出場した。選手兼監督を経て、指導者に専念することになったあとの2006年にサンフレッチェ広島のコーチを務め、その後、09年に大分トリニータの監督、11年にFC町田ゼルビアの監督、12年と13年にFC東京の監督、14年にセレッソ大阪の監督を歴任。14年と15年には、スペイン2部リーグのレアル・サラゴサを率いた。さらに複数のクラブで監督を務めたあと、20年に再び町田の監督に。今季から鹿島アントラーズを指揮し、10月6日に契約解除となった
「特集:ポポヴィッチ監督のフットボール哲学」を掲載したサッカークリニック2024年11月号は
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