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2024-11-08

【しゅりんぷ池田のカード春秋】プロ野球90周年カード(第6回)名将を振り返る②~三原脩

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プロ野球90周年カード」のサブセット「名将」を紹介する連載の第2回は“魔術師”と呼ばれた三原脩監督です。実は筆者は同監督の出身校・高松中の後身・高松高の出身なので、思い入れもひとしおです。

No.137 三原 脩(大洋)
No.137 三原 脩(大洋)

三原は早大時代に早慶戦でホームスチールを敢行(この際の慶応の投手が後述の水原茂)したようにケレン味にあふれる人物でした。そのハイライトは西鉄の監督時代の56~58年に水原監督率いる巨人と日本シリーズで3年連続で対戦した「巌流島の決闘」と呼ばれた対戦でしょう。水原は高松商から慶大、三原は高松中から早大に進んだアマ時代からの好敵手でした。

47年途中から巨人を率いた三原は49年に戦後の初優勝を果たしますが、三原に代えて同年夏にシベリア抑留から帰国した水原を監督に擁立すべく、「三原監督排斥運動」が起こり、50年からは三原総監督、水原監督という人事が行われました。

実権を奪われた三原は51年から西鉄の監督に転じ、中西太・豊田泰光・稲尾和久ら有望な新人選手を獲得して大型チームを構築します。54年にはチームを初優勝に導き、56年からは3連覇して日本シリーズで仇敵・水原巨人と対戦することに。56年は4勝2敗、57年は4勝1分で西鉄が日本一に輝き、迎えた58年は0勝3敗から稲尾が4連投4連勝して、大逆転の3年連続日本一で大向こうをうならせたのでした。

そんな三原は60年から大洋の監督に転じます。同球団は54年から6年連続最下位という弱小球団だったのですが、用兵の妙で三原が大洋を初優勝に導きます。日本シリーズでは“ミサイル打線”の大毎(現・ロッテ)との対戦となり、前評判では大毎が圧倒的に有利だったのですが、すべて1点差で大洋が4連勝して日本一となり“三原マジック”と称えられました。この敗戦に怒った大毎の永田雅一オーナーが西本幸雄監督の作戦を非難して解任してしまったほどです。

三原はこのあと近鉄、ヤクルトでも監督を務め、監督の試合数では歴代最多の3248試合で指揮を執ったのでした。


当コラムは、これまで「週刊ベースボール」の「Curutural Review」のページに掲載されていたカードのコラムを転載していたのですが、2001年春から続いていたこの連載が先日の4月1日号をもって終了しました。今後、当コラム「カード春秋」(※)はBBMカードサイトのオリジナルコラムとして続けていこうと考えておりますので、よろしくお願い致します。

※「カード春秋」というタイトルは、わたしの出身校・香川県立高松高校(旧制・高松中)の大先輩にして、文藝春秋社の創設者である菊池寛先生へのオマージュなのです。

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