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2024-11-11

【しゅりんぷ池田のカード春秋】プロ野球90周年カード(第7回)名将を振り返る③~川上哲治

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プロ野球90周年カード」のサブセット「名将」を紹介する連載の第3回は未曾有の9連覇を成し遂げた川上哲治監督です。現役時代の川上は史上初めて2000安打を達成し、“打撃の神様”と呼ばれました。58年に入団した長嶋茂雄と入れ替わるように同年限りで引退。59~60年は水原茂監督の下でヘッドコーチを務め、同監督の退任を受けて61年から巨人軍の第9代監督に就任します。川上はこの年、41歳。今季12球団で一番若い監督は楽天の今江敏晃監督の41歳でしたから、現在と60年前では年齢感覚の違いもありますが、そこそこ若い監督だったのですね。

No.140 川上哲治(巨人)
No.140 川上哲治(巨人)

川上が自身の戦術のテキストとしたのがMLB・ドジャースのコーチ、アル・キャンパニスが著した『ドジャースの戦法』(ベースボール・マガジン社、1957年)でした。川上はそれまで選手個々が好きなようにプレーしていたのを改め、チームプレーを徹底させ、独自の管理野球を編み出します。監督1年目からリーグ優勝・日本一を果たすものの、翌62年は4位に後退(監督在籍14年の間で唯一のBクラス)。63年は再度のリーグ優勝・日本一で、翌64年は3位と安定していなかった成績も戦力が整った65年以降は9年連続でリーグ優勝・日本シリーズ制覇という金字塔を打ち立てます。ONというプロ野球90年の歴史の中でも傑出したスーパースターを軸に、個性的なメンバーを要所要所に配して最強軍団を作り上げたのでした。

74年は優勝した中日にゲーム差なしの2位でV10はならず川上は監督の座を長嶋に譲り勇退します。この際、川上はまだ54歳でした。今季の監督でいうと、ソフトバンクの小久保裕紀監督が53歳、中日の立浪和義監督、オリックスの中嶋聡監督が55歳ですから随分早いリタイアだったと思います。このあと、川上は巨人の監督に復帰することも、他球団の監督に就くこともなく、少年野球の指導に当たるなどしていました。まだまだ、一勝負も二勝負もできる年齢だったと思うのですが、川上の胸中はどうだったのでしょうか。


当コラムは、これまで「週刊ベースボール」の「Curutural Review」のページに掲載されていたカードのコラムを転載していたのですが、2001年春から続いていたこの連載が先日の4月1日号をもって終了しました。今後、当コラム「カード春秋」(※)はBBMカードサイトのオリジナルコラムとして続けていこうと考えておりますので、よろしくお願い致します。

※「カード春秋」というタイトルは、わたしの出身校・香川県立高松高校(旧制・高松中)の大先輩にして、文藝春秋社の創設者である菊池寛先生へのオマージュなのです。

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