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2019-06-03

【PR/松田直樹メモリアルフェス】 サッカーコラム/8月4日、もう一度、アイツのことを思い出そう

当時、松本山雅FCに所属していた松田直樹さんが、急性心筋梗塞で突然、命を落としてから、間もなく丸8年になろうとしています。松田さんが高校生の頃から取材を重ねてきた筆者の元に、5月のある日、一通のメッセージが届きました。松田さんの無念を後世に伝え、同じように命を落とす人を一人でも減らしたいという一心で活動している団体「松田直樹メモリアルNext Generation」の河合竜二さんからでした。横浜F・マリノスで松田さんとチームメートで、現在は北海道コンサドーレ札幌で「コンサドーレ・リレーションズチーム・キャプテン」として活動している河合さんをはじめ、AED(自動体外式除細動器)の普及とサッカーを楽しむことを伝えたいというメンバーの強い思いを聞きました。(文中敬称略)

文◎平澤大輔(元サッカーマガジン編集長)

8年間も死んだまま

 そうか、もうそんなに前のことになるのか。
 松田直樹がいろんなものを置き去りにして向こうに行っちゃってから。

 2011年8月4日、松田直樹は死んだ。急性心筋梗塞。享年34歳。

 あれから間もなく丸8年になろうとしている。あの夏に涙した人はみんな、そのあと一生懸命に自分の8年間を生きて、日々の生活から少しだけ松田直樹の記憶のかけらが姿を消している。僕もそうだった。

 だから、横浜F・マリノスで松田直樹と一緒に戦っていた河合竜二から連絡をもらったときに、もう一度しっかりと思い出さなきゃいけないと思った。松田直樹は死んで、もう8年間も死んだままだ。僕はありがたいことにその8年間を生きていて、松田直樹のことを久しぶりにちゃんと考えながら、この記事を書いている。

 僕と同じように忘れかけてしまった人に、もう一度思い出してもらって、知らない人にはあの男のことを知ってもらって、その意志を次の世代にきちんと手渡していきたい、と河合竜二が言った。「松田直樹メモリアルフェス」というイベントを開催するのだ。

「フェス」という単語をくっつけたところが、松田直樹っぽくていいじゃないか。どんなことにも熱く楽しく前向きに関わって、多くの人を情熱的に巻き込んできたアイツらしくて。

じゃあそこで、AEDを使うことはできるんだろうか

 このフェスでアドバイザーとして活動している、河野玄太という人がいる。ミュージシャン/音楽作家。そしてホームページ制作も請け負う。松田直樹のことを直接は知らないけれど、松田直樹と仲間たちの思いをよく知っている。

「僕は札幌に住んでいて竜二さんと知り合いになって、松田さんのことを知りました。直接面識はないですけれど、竜二さんをはじめこのプロジェクトに関わる多くの人がAEDの普及に熱心だということでお手伝いさせていただいているんです」

「AEDって言葉は知っているし、いろんなところに設置してあるのは目にしますけれど、あるときふっと思ったんです。もし目の前に倒れている人がいて、AEDがあって、僕がいて、じゃあ僕はそこで正しくAEDを使うことはできるんだろうか、って」

「人の命を救うことができるのに、知識がないというだけでできない。残念ですよね」

 河野は「僕らの街から」というチャリティーイベントも自ら行っていて、ミュージシャン/音楽作家という発信者の立場から、積極的にチャリティーと向き合っている。

「僕はこの活動にAEDの普及という部分から入ったわけですけれど、竜二さんをはじめサッカー界のいろいろな方とお話させていただいて、サッカーというスポーツには仲間との絆や情熱があふれていることを感じています。AEDの大切さとサッカーの持つパワーが一緒になって、AEDの普及が進む機会を作れるわけですから、これは僕がやるべきことだと強く感じているんです」

あれだけサッカーが好きでたまらないという人間は
見たことがありません

 河合竜二は松田直樹のことを思い出して、こう話す。

「マツさんは、サッカー選手としても人間としても、大きな影響を受けた人です。僕も長く現役生活をさせてもらったけれど、あれだけサッカーが好きでたまらないという人間はほかに見たことがありません。だから、次世代に彼の意思をつなぐためにも、何かできることはないかと常に思っていました」

 河合は松田直樹のようにサッカーエリートだったわけではない。しかし、浦和レッズから移った横浜F・マリノスで松田直樹に出会い、ともに日本一を勝ち取る中で、プレーヤーとしての自分に向き合った。2018年に40歳で引退するまで22年間、J1、J2通算338試合に出場して11得点を記録する息の長い選手になったのは、松田直樹の「サッカーが好きでたまらない」背中を見たことも理由だったのではないか。

 だから、AEDの普及に協力すると決めた。松田直樹から笑顔が失われたようなことが二度と起こりませんように。

「いまではAEDはどこにでも設置されていますよね。それこそ、マツさんが亡くなってからあとに確実に普及していったと思います」

「今後はマツさんのような事故が再び起きないように、起こったそのときに対処できるように、AEDの普及活動を行なっていきたいんです」

8月4日、命日に「フェス」を開催

 普及の方法はさまざまだが、彼らが選んだのはもちろん「サッカーとAED」の組み合わせだ。なぜならアドバイザーの河野は「松田さんが最後に教えてくれたと思うんです。サッカーと命はとても大切なんだっていうことを。面識のない僕ですらそう思います」と考えているからだ。

 みんなでボールを蹴ろう。Jリーグで松田直樹と一緒にプレーした人たちをサッカーでやっつけちゃおう。サッカーが上手な人たちに教えてもらおう。

 そして、AEDってどんなものかを学んで、使えるようにしよう。

 そんなイベントが、松田直樹の命日である8月4日に行われることになった。「松田直樹メモリアルフェス」だ。

 中学生以上で構成された16チームが戦うフットサル大会、その勝者が、松田直樹と関わりのあった選手で結成されたスペシャルチーム「Naoki Friends Team」と戦うチャンピオンマッチ、小学生を対象にしたサッカースクール、そしてAED講習が予定されている。

 河野は言葉に力を込める。

「松田直樹さんをきっかけにして、すべてのJクラブ、すべてのサッカークラブ、日本サッカー界全体でこの活動を認識してもらって、みんながアプローチできるムーブメントを起こせればな、って。竜二さんと話していて、理想がはっきり見えたんです。この国が世界で一番、AEDが普及している国で、世界で一番、AEDが使える国で…そんな未来を作りたいと思っています」

 彼らはその最初の一歩としてフェスを形にしようとしている。そして、未来のためにクラウドファンディングを始めている。

松田直樹メモリアルフェス特設サイト

松田直樹メモリアルフェスクラウドファンディングページ

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