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2018-06-08

名門・韮崎の勝利の歴史と 「伝統」のつなぎ方――。

『全国高校サッカー選手権大会』において、「5年連続ベスト4以上」という偉業を成し遂げたチームは、戦後たった2校しか存在していない。同大会で優勝6回を誇る長崎県立国見高校と、山梨県立韮崎高校の2校だ。元日本代表の中田英寿氏を輩出したことでも知られる韮崎高校は今、山梨県内の私立高校勢の力を前に、全国の扉をなかなか開けられていない。ここでは、同校の現在の歩み、復権へのアプローチに迫る。
※取材は2017年5月に実施。肩書、学年、ポジション等は取材時のもの
(出典:『サッカークリニック』2017年8月号)

※上のメイン写真=韮崎高校グラウンドの奥側に掲げられた「韮崎高校サッカー部 全国大会出場記録」を示すボード 写真/吉田太郎

日本代表としてワールドカップに3度も出場した経歴を持つ中田英寿氏も韮崎高校OBとして知られる 写真/BBM

日本のレジェンド
中田英寿を輩出

 山梨県北西部に位置している人口3万人強の地方都市・韮崎。市内中心部の韮崎高校グラウンドに入ると、その奥側に掲げられた「韮崎高校サッカー部 全国大会出場記録」が目に入る。「高校選手権34回 インターハイ29回」。いずれも全国4000校を超える高体連加盟校の中でトップ4に入る数字だ。そして、「伝統をつなぐ」という文字が練習する選手たちを見守っていた。
 校舎に入ると、受付の横のスペースにはサッカー部が獲得したトロフィーの数々が飾られている。その一角には、日本サッカーを牽引した元日本代表の中田英寿氏の韮崎時代の写真、そして彼の日本代表、パルマ(イタリア)時代のユニフォームも額の中に収められていた。韮崎は高校サッカーの歴史に名を残す伝統校であり、日本サッカーのレジェンドを生んだ強豪校でもある。
 2016年度の全国高校サッカー選手権(以下、選手権)・山梨県予選の決勝の舞台には、全国大会出場を懸けて8年ぶりに緑のユニフォームが戻って来た。結果は山梨学院高校に0–1で敗れて準優勝。ただし、年代別日本代表選手も擁した強敵に韮崎は食い下がり、押し込まれても、自分たちができることをピッチ内でしっかりと実行し、かつての先輩たちと同様に泥臭く戦い抜いた。
 韮崎の快進撃によって山梨県予選の入場者数は増加したという。その多くは、街の玄関口・韮崎駅前に「球児の像」(ボールを蹴る高校サッカー選手のモニュメント)が建てられるほど高校サッカーへの愛情が深い韮崎市や、山梨県内にいる韮崎のオールド・ファンだった。
 韮崎サッカー部の歴史の始まりは戦前にまで遡る。1952年度、当時単独チームで争われていた国体で初の全国優勝を果たした韮崎は、75年度に地元・韮崎市で開催されたインターハイで初優勝。また79 年度の選手権準優勝を皮切りに、3位、準優勝、準優勝、そして3位と、5年連続で全国ベスト4入りを果たした。「5年連続ベスト4」という成績は、戦後では韮崎と国見高校(89~93年度、00~04年度)の2校のみ、という偉大な記録である。

81年度、82年度と全国高校サッカー選手権の決勝のピッチに2年連続で立った羽中田昌氏 写真/BBM

親の代から伝え聞く
韮崎サッカー部の良さ

 中田氏の韮崎時代の同級生で、ともに全国大会に出場した経歴を持つ今村優貴・監督が、13年度から同校の指揮を執っている。今村監督は「集団に属する上で歴史を知るのは大切なこと」という理由で、入学して来た1年生部員にまず、韮崎の歴史を教えるのだと言う。
 街の誇り、韮崎のサッカー部員に対する人々の目は、ときに厳しく、ときに温かい。県内主要大会の準々決勝は韮崎市内で開催されることが多いが、畑仕事を一時中断して駆けつけたようなファンの声援や檄の中で韮崎は戦うと言う。一方で今村監督は「韮崎サッカー部のジャージを着ているだけで、『おなかがすいていないか?』と聞かれてパンをもらったり、ジュースを買ってもらったりするのです。この学校でないと得られない経験だと思います」と、韮崎が持つ地域との特別な関係も話してくれた。
 また、12年度に完成した韮崎市の『穂坂グリーンフィールド』は、大勢の尽力によって、平日16時から19時までと土日祝日は、韮崎が優先的に使用できることになっている。一公立校のサポート体制としては全国的に見ても稀なものだ。
 先輩たちがつないできた伝統があるからこそ現在がある。父親が韮崎OBだというキャプテン(17年度)の藤島秀太が「小さい頃から、父や父の友人から昔の韮崎の話を聞いていて、すごいと思っていました。それに、(県内有数の進学校のため)サッカーを頑張りながら勉強も頑張るのもいいと思って韮崎を目指していました」と言うように、伝統をつなぐために入部して来た選手もいる。
 しかし、毎年のように全国大会に出場していた時代と現在とでは状況は異なる。県内や県外から好選手を補強する山梨学院や帝京第三高校、日本航空高校といった私立勢の台頭がある上、文武両道を掲げる韮崎に入部するには学力も必要なため、選手層で他校を上回ることは難しい。選手権への出場は08年度大会が最後。ライバルを圧倒できる時代ではなくなった。その中で、韮崎はつないできたものを大事にしながら、今を生き抜こうとしている。今村監督が就任した年の13年度のインターハイでは7年ぶりに県予選を制し、全国大会でも野洲高校(滋賀県)と静岡学園高校(静岡県)を連破した(ベスト16)。14年度は関東大会の県予選で優勝。そして先に記した通り、16年は今後へ向けてきっかけを掴む1年となった。
 今村監督はまず、選手たちの考え方を変えたと言う。それまで「県内では対戦相手を圧倒しよう、ねじ伏せよう」という気持ちがあった。しかし、相手を圧倒することができなくなって慌ててしまい、リズムを崩して負けることもあった。今村監督は「圧倒することを諦めているわけではないですが」と前置きした上で、「自分たちに『何ができて、何ができないか』を明確に確認しました」と、変えた部分を説明した。例えば、ボールを持たれたとき、ボールが空中に浮いているときなど、状況に応じてすべきことを確認した。また、対戦相手を少しでも上回れる部分はないか突き詰めるようにもなった。
 新しい取り組みとして、16年の8月から、ウエートリフティングの専門家の指導によるウエートトレーニングも開始した。週2回のトレーニングだが、瞬発系の数値が目に見えて上がり、選手の自信になった。
 考え方の変化とウエート面の見直しは結果につながった。16年度のインターハイ予選では早期敗退を喫したものの、8月から選手権予選の準決勝まで、練習試合を含めて約30試合で無敗を続けたのだと言う。
 伝統の力、泥臭く立ち向かっていく姿勢は勝利に欠かせなかった。
「泥臭く、粘り強く戦えるのは韮崎の伝統です。『選手権5年連続ベスト4以上』や『H2Oトリオ(保坂孝、羽中田昌、大柴剛の3人)』といった華やかな部分に目がいきがちです。しかし、帝京高校(東京都)や清水東高校(静岡県)、古河第一高校(茨城県)といった当時の強豪に挑んだときのことをOBに聞くと、『技術面は相手のほうが上。でも、運動量やキック力といった部分で立ち向かった』と話してくれたのです。ですから、『どんなときでも頑張り、粘り切れる』のが韮崎の伝統をつくり上げてきたのかもしれない、と16年度のチームには伝えました」(今村)
「勝利の歴史」をもたらしてきた、泥臭く、粘り強く戦う力。それが現在の選手たちのやるべきことを明確にした。16年度の選手権予選、甲府工業高校との初戦は後半ロスタイムに決勝点を決めて1-0での勝利。夏のインターハイでベスト16だった日本航空との3回戦では0-0からのPK戦の末に勝った。相手を圧倒する白星ではなかったが、泥臭く、粘り強く勝利をつかんで、結果的には決勝まで駒を進めた。

全国大会に何度も出場した韮崎高校の受付の横にはたくさんのトロフィーや優勝カップなどが並ぶ 写真/吉田太郎

「温かさ」は
試合でも活かせる

 今村監督に「韮崎の選手に最も伝えたいことは?」と聞くと、「温かい人間になってほしい」という答えが返ってきた。「在学中だけでなく、社会に出てからも大切な『温かさ』を持ってほしい」、「自分のことだけでなく、周囲を見渡し、周りの人々の心情も考え、助けられる人間になってほしい」と思っているそうだ。もちろん、「温かさ」は韮崎が試合で勝つためにも欠かせないものでもある。キャプテン(17年度)の藤島は「普段の生活でも気遣いができれば仲間を助ける意識が芽生えると思います」と話す。16年度から主軸のDF櫻井颯良(17年度)は「温かい心を持って細かい点などにも目を向ければ、試合中も誰かのミスに気づいてすぐにサポートできます」と口にした。
 何としてでも全国の舞台へ――。その思いは今も変わることはない。
 OBでもある成島裕明コーチに聞くと、韮崎はかつて、全国大会に出場するたびにユニフォームを新調していたと言う。「『自分たちのユニフォーム』というのがうれしかったですね」とも語る。今年のチームは「自分たちだけの歴史」もつくることができるだろうか――。
(取材日の)放課後、Aチームの練習が行なわれている穂坂グリーンフィールドでは、今村監督の声が響き渡っていた。テンポの速いボール回しと動きを求める声が飛ぶ。ある試合では、ハーフタイムに選手たちにダッシュを始めさせたこともあった。選手に刺激を与え、乗り越えるきっかけを与えることも指導者の仕事だと今村監督は言った。だからこそ、厳しい姿勢で選手たちと向き合う。
「私の仕事は選手に『ハードルを与えること』だと思っています。高校時代に2メートルの壁に出会えれば、社会に出たときに出会う2メートル30センチくらいの壁を高いとは思わないはずです」(今村監督)
 常勝時代と比べると全国へのハードルは間違いなく高くなった。しかし、そのハードルを乗り越えることが社会に出てからの自信にもつながると今村監督は言う。
「グラウンドにもある『伝統をつなぐ』の言葉は一人ひとりが意識していますし、この文字に恥じないようにしていきたいです」(藤原)
 伝統をつなぐ役目を果たすためにも、名門校は高いハードルを乗り越えるための毎日を送る。

「『どんなときでも頑張り、粘り切れる』という思いが韮崎の伝統をつくり上げてきたのかもしれません」と話すのは、2013年度から韮崎高校を率いている今村優貴・監督(写真中央)。「選手たちにハードルを与えるのが私の仕事」とも言い、厳しい姿勢で選手たちと向き合い、全国を目指す 写真/吉田太郎

取材・構成/吉田太郎

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