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2018-05-18

「昨年度の3年生を超える」 新潟・日本文理の決意

2017年度に行なわれた2つの全国大会(インターハイと全国高校サッカー選手権大会)で、いずれも初出場を果たしたのが新潟県の日本文理高校だ。これまで「野球部が強い」印象のあった同校のサッカー部が、どのようにして全国の舞台に初めてたどり着いたのか? 日本文理を1985年から30年以上率いる駒沢隆一・監督、大橋彰ヘッドコーチや佐々木真裕コーチらに、「全国大会初出場」へ向けた取り組みを聞いた。
(出典:『サッカークリニック』2018年6月号)

取材・構成/髙野直樹 写真/佐藤博之、BBM

『第96回全国高校サッカー選手権大会』の3回戦で岡山県作陽高校を下した日本文理高校。初出場ながらベスト8に進出した

高校サッカー選手権で躍進
常連校を3連破し、8強入り

 日本文理高校(新潟県)、清水桜が丘高校(静岡県)、三重高校(三重県)、徳島北高校(徳島県)、高知西高校(高知県)、大分西高校(大分県)、そして東海大学付属熊本星翔高校(熊本県)。以上が、今年の1月8日まで行なわれていた『第96回全国高校サッカー選手権大会(以下、選手権)』で、初出場校として大会に参加した7校だ。ただし7校の中で、昨年夏のインターハイにも初出場校として参加していたのは日本文理ただ1校である。日本文理は、2017年度に行なわれた2つの全国大会のピッチに、いずれも初めて立ったのだ。
 日本文理は、インターハイでは1回戦の相手、阪南大学高校(大阪府)に完敗を喫し、大会を後あとにした。しかし選手権では、1回戦で立正大学淞南高校(島根県)を2─0で下すと、2回戦でも旭川実業高校(北海道)に2─0で勝利。3回戦の岡山県作陽高校(岡山県)戦は1─1の同点で迎えたPK戦の末に勝った。続く準々決勝では矢板中央高校(栃木県)に0─1で敗れて涙を呑んだものの、全国大会常連校を3連破し、選手権初出場でベスト8の結果を残した。
 新潟県勢にとって選手権での過去最高成績はベスト8である。神田勝夫氏(元日本代表。04年から17 年までアルビレックス新潟の強化部長)らを擁した新潟工業高校(1984年度の第63回大会)と、小塚和季(現在はヴァンフォーレ甲府)らを擁した帝京長岡高校(12年度の第91回大会)の2校しかベスト8にたどり着けていない。全国大会ではなかなか勝ち上がれない県勢にとっては好成績と言える、第96回大会での日本文理の躍進だった。
                    
 日本文理と言えば野球部が有名だ。2009年度の『全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)』で準優勝に輝くなど、2000年代後半からは、県内だけでなく全国的にも、「野球が強い高校」というイメージを持たれているかもしれない。複数のプロ野球選手も輩出している。ではなぜ、サッカーでも全国の舞台にたどり着くことができたのか? 
 サッカー部は1984年に創部した。創部2年目の85年から30年以上指導にあたっている駒沢隆一・監督が創部当時を振り返る。
「昔は私たち指導者も、日本文理を『県内のサッカー強豪校にしよう』という思いで取り組んではいませんでした。それよりも、「サッカーを通して、いい人間に育てよう」という感覚でした。手のかかるやんちゃな生徒ばかりだったため、サッカーの指導以外にすべき指導が山のようにある高校でした。サッカーをさせることだけでも大変でしたし、『県のチャンピオンになる』という思いはさらさらありませんでした(笑)」
 近年を除けば、創部34年のサッカー部の歴史における主な最高成績は、「現在コーチを務める佐々木真裕・先生が2年生だったとき(2001年度)のインターハイ新潟県大会で3位に入ったことくらいです」(駒沢監督)。そのほかにも2000年前後には県内の大会で上位に入ったりするなど、まずまずの成績を残した年もあったが、「全国」という視点で見ればまだ力が足りていなかった。
 またその頃、日韓ワールドカップの開催(02年)などの影響で国内においてサッカー熱が高まったことが逆に、駒沢監督の指導欲をなくす要因にもなっていたと言う。
「日韓ワールドカップが終わったあとにリーグが整備され、2003年に『高円宮杯U -18サッカーリーグプリンスリーグ』が始まりました。本来であれば、『プリンスリーグ北信越』への昇格を目指すのが普通かもしれません。しかし、実際にリーグに参加してみると、高校の部活動として普通にやっているだけでは簡単に目指せる舞台ではないということが分かったのです。充実した指導体制が必要ですし、お金もかかります。『高校サッカー』が一際大きくなったために『高校サッカー』が遠い存在に感じ、魅力を感じなくなってしまったのです。『サッカー部に在籍している選手たちだけで楽しくやろう』という気持ちになっていました」(駒沢監督)
 この時点ではまだ、全国への扉を開けるのは遠い先の話だった。

現在は国士舘大学でプレーするMFの古木雄大(写真右)。『第96回全国高校サッカー選手権大会』では日本文理高校から唯一、大会優秀選手に選ばれた

人工芝グラウンドを手にし
中学生からの一貫指導も開始

 2011年、日本文理に転機が訪れる。人工芝グラウンドのNBF(名称:日本文理フィールド)の着工だ。
「当時、校内で広報部のような仕事もしていて、学校全体を見るようになったのです。その中で考えたのが、日本文理の将来についてです。少子化の影響で子供の数が減っている中でも私立高校が生き残るためには、生徒を確保しなければいけません。であれば、日本文理が地域から認められ、注目される存在にならなければいけないと思ったのです。その1つが、人工芝グラウンドを持つことでした。『人工芝にしてくれたら、部の強化や生徒募集に協力する』と宣言したのです」(駒沢監督)
 校内には反対の声もあったという。それでも駒沢監督は、体育の授業としても使えること、地元の小・中学生をはじめとした地域の人たちにも使ってもらえること、何より学校のアピールにもなることなどを話して回り、周囲を納得させた。2011年、グラウンドの人工芝化を実現させた。
 サッカー部にとってハード面が整備されたその年、のちに同校の指導者となる大橋彰ヘッドコーチ(以下、HC)が日本文理を訪ねて来た。
「『これはすごい』とすぐに感じました。サッカー部は人工芝のグラウンドを手にし、野球部はすでに全国的な実績を残している高校です。ポテンシャルが高いと思ったのです。それまで私は公立高校でずっと指導してきましたが、日本文理だったら『全国』という夢に近づけるのではないか、と思いました」(大橋HC)
 2011年時点、新潟県内の高校サッカー部で自前の人工芝グラウンドを持ち、練習できていたのはわずか。大橋HCは日本文理の取り組みに魅力を感じ、指導者の一員として加わることになった。新潟工業などでコーチとして指導経験を積んできた大橋HCの存在で、指導体制も強化されることになった。
 しかし、人工芝グラウンドを手にし、指導体制を整えても、日本文理には主だった成績や育成実績はまだない。結果を残さなければ選手は集まってくれない。
 全国へ向けた2つ目の強化策が、ジュニアユース・クラブ『エボルブFC』の立ち上げだった。日本文理の完全な下部組織という位置づけではなく、一つのファミリーとして活動し、スタッフは日本文理とエボルブを兼任。もちろん、進学する高校の選択は自由で、必ずしも全員が日本文理に進学するわけではないが、エボルブの選手たちは日本文理の整った環境でプレーできる(現在、30人の卒団生が日本文理に在籍)。
 遠方から日本文理のある新潟市西区に引っ越してきた者もいるが、基本的には皆、自転車で通える範囲に住む中学生が所属する。地元の子供たちを6年かけてじっくり育てられるようにしたのだ。2012年が日本文理の本格強化元年となった。
「中高一貫で指導できるメリットはプレー面に限った話ではありません。このグラウンドで3、4年プレーすれば、指導者側とすれば選手のメンタル面での心配もなくなります。サッカー以外の面でも選手たちの考えが分かるようになるのです。一方、選手にも同じことが言え、私たち指導者の考えもある程度は分かってくれていると思います」(大橋HC)
 エボルブ出身のセンターバック、大滝史渡も「自分のことを分かってくれていますし、コーチのやりたいことも分かっているつもりです」と指導者への信頼を口にした。
 エボルブの代表は日本文理の駒沢監督である。大橋HCもコーチとして加わり、監督には日本文理の佐々木コーチが抜擢された。
「選手の勧誘には苦労しました。そのため、エボルブの1期生は小学生のときに特別すごかった選手たちではありません。けれど皆、とにかく気持ちだけは強かったのです。ゼロからのチームに入り、『自分たちがチームの歴史をつくる』という気概を持った子供たちと保護者が集まってくれました」(佐々木コーチ)
 実は、エボルブの1期生が17年度の選手権でのベスト8進出の立役者たちだ。しかも彼らは、中学1年生のときから結果を残してもいる。5年連続で、所属しているリーグで上位に進出し、昇格を果たしているのだ。高校2年生だった16年度はN1リーグを制し、『北信越プリンスリーグ』への昇格を決めている。
 駒沢監督が「あの子たちは究極の負けず嫌い」と言う1期生が中心となって所属リーグのレベルを毎年のように上げることで、新潟市内の有望な選手が入ってくるようになった。エボルブを創設した12年はU -15リーグの県3部に所属していたが、1期生がエボルブを卒業したあとも後輩たちが成績を残し続け、16年度からはU -15北信越リーグに所属し、17年度は『全国クラブユース選手権(U -15)』でラウンド16に進出するなど、その知名度は全国にも広まるようになった。

今年のチームの指導は例年よりも遅くなってしまったものの、大橋彰ヘッドコーチは「選手権を経験したアドバンテージがある。選手の頭の中にはやるべきことがしっかりインプットされている」と、全国の舞台を経験できた利点に期待している

全員の心の中にあるのは
「もう一度、あの舞台に戻ろう」

 エボルブ1期生を中心とした選手たちに、アルビレックス新潟U -15出身の久住玲以らを加えたメンバーで力をつけてきた日本文理は、17年度に2つの全国大会を戦った。
「全国大会に出ることが夢でしたし、その夢をつかんだことによる達成感や充実感がありました。決して浮かれたわけではないのですが、修正すべき点に目をつぶってしまったり、インターハイの出場を決めたときにピッチに立っていた選手たちを特別視し、戒めたりすることがあまりできませんでした。厳しさを欠いてしまったのです」
 大橋HCが言うように、インターハイ出場を決めてからの過ごし方が悪く、本大会での結果は散々(初戦で0─3の敗戦)だった。しかし、試合を戦いながら大橋HCは「ここからだ」と誓っていた。
 インターハイでの惨敗後、メンバーを大きく入れ替え、各々が自分を見つめ直す機会を設けた。「AチームからBチームやCチームに落とされた選手は『なぜ自分は落とされたのか』に気づくきっかけになったと思います。その中で代わってAチームに入った選手が次々にチームを活性化してくました。『プリンスリーグ北信越』でもインターハイ後の7試合では1敗しかしていません。得点数も増え、チームとして固まっていきました」(大橋HC)
 夏に惨敗に終わった全国に忘れ物を取りに行く――。そう意気込んだ日本文理は、選手権の新潟県大会も見事に制した。
「開志学園JSCとの決勝が17年度のベストゲームだったと思います。『持っている普段の力を決勝の舞台で発揮できる彼らはすごい』という思いで見ていました」(駒沢監督)
 そして日本文理は選手権の全国大会で躍進。6年かけて取り組んできたことが実を結んだ。
 選手権後に地元に戻ったあと、今冬は近年稀に見る大雪に見舞われた影響などから出遅れた面もあったものの、新チームでの活動を始めた。18年度のチームのモットーは「昨年度の3年生を超えよう」である。インターハイ後に台頭し、選手権で好セーブを連発したGKの相澤ピーター・コアミが「チーム内にも県内にもいいライバルがいるので、彼らから刺激をもらいながら成長したい」と言う。加えてキャプテンのMF本間未来斗は「昨年度の3年生を超えるためにはすべての能力を高めないといけない。特に、気持ちの部分を大切にしたいと思います」と意気込みを語る。本間自身は選手権で出場機会を得られなかったが、卒業生が中心となって成し遂げたことをただ憧れの目で見ていたわけではない。
「全員の心の中にあるのは『もう一度、あの舞台(全国)に戻ろう』。それに尽きると思います」(駒沢監督)
 全国の舞台にたどり着くのは簡単ではない。日本文理について言えば、17年度の選手権のスタメンがGKを除いてすべて3年生だったことを考えれば難しいかもしれない。それでも、「私たちには選手権を経験したアドバンテージがあります。新2、3年生の頭の中にはやるべきことがしっかりインプットされたことでしょう」(大橋HC)。
「昨年度の3年生を超えよう」を心に刻み、選手、指導スタッフが一丸となって「県のチャンピオン」を再び目指す。

創部2年目の1985年からサッカー部を率いる駒沢隆一・監督。指導環境などを改善し、強化を進めてきた

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