close

2025-12-15

【アイスホッケー】東洋大学、リーグ戦2連覇。「僕らが学んだこと」

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • line

春から秋にかけて「ミーティングを今までになく重ねました」と髙橋。森田キャプテンは「たとえ劣勢の試合でも、ネガティブな発言は一切、出なくなったと思います」。

全ての画像を見る
残り4秒。それでもあきらめなかった、
ファイナルリーグの明治戦。

 少し前まで、こんなに晴れ晴れとした顔に出会えなかった。

「おつかれさまです。今日はよろしくお願いします」

 森田琉稀亜。今秋の関東大学リーグ戦で2年連続、12回目の優勝を果たした東洋大学のキャプテンだ。アイドルっぽい風貌で、「るきあ」というキラキラネームも持ち合わせているが、春まで、いや夏までは、雰囲気がちょっと暗く見えた。「4年生になって、でも春の大会では3位になってしまった。キャプテンとして、まだ自信がなかった気がするんです」

 今秋の関東大学リーグ戦・1部リーグA。8校が総当たりする「ファーストリーグ」で、春に優勝した中央、同じく2位の明治に、東洋はPS戦で勝っている。10月13日から上位6校による「セカンドリーグ」、さらに11月は上位4校の「ファイナルリーグ」へ。明治、中央、東洋が横一線で、3校ともに勝ち点「12」で、最後の戦いが始まった。

 11月15日の中央-東洋戦。東洋がリードして中央が追い付く試合だったが、最後は延長で5-4、中央が勝利している。明治は、法政を10-3で圧倒。勝ち点はこの日までに明治が「15」、中央が「14」、東洋は「13」だった。

 翌16日。中央はここまで2連勝してきた法政に、2-4で敗れる。その後に予定されていたのが、明治-東洋戦。この試合で明治が東洋に勝利を収めれば、最終戦を待たずして明治の優勝が決まることになった。

 明治の「イケイケ感」が、そして東洋の「危機感」が、序盤から現れた。開始37秒、明治はOゾーン右のFW城野友咲(2年)が、角度のないところからスコア。東洋も3分、FW大久保魁斗(2年)がゴール前でうまく合わせて同点にする。その後は、明治が1点を勝ち越すたびに東洋が追い付き、3ピリ中盤まで3-3。57分、明治FWの井口藍仁(4年)がゴール前の混戦から押し込み4点目、勝敗の帰趨がようやく落ち着いたかのように思われた。

 だが、東洋の同点劇はこれからだった。58分9秒、東洋はタイムアウト。ここでGKを上げて6人攻撃に移る。

 59分45秒。ここでいったん時計がストップする。明治はアイシングを2度も続けていたので、それまでの1分36秒間、選手は出ずっぱりだったのだ。

 やっとの思いでチェンジした明治に対し、東洋は同じ選手が試合に出続ける。FWが森田、大久保、田中蘭李斗(たなか・らいと、2年)、一二三蒼太(ひふみ・そうた、1年)。DFは、3年生の高田麟と髙橋一路(たかはし・いちろ)だ。

 残り15秒、東洋Oゾーンでのフェイスオフ。パックは明治ゴールの右に流れていき、それを田中がGKの前へ送る。59分56秒、ゴール正面にウォークしていた髙橋がたたいて、ついに4-4の同点に追いついた。

 残り4秒で描かれた「明」と「暗」。東洋は髙橋を中心にセレブレーション、一方の明治は氷に突っ伏したまま、しばらく起き上がれなかった。

 試合は5分間の延長へ。両チームとも得点が決まらず、PS戦で、東洋の一二三が決勝ゴールを決めた。この日までの勝ち点は、明治が「16」で、東洋が「15」。2週間後の最終週(11月30日)で東洋が法政に勝ち、明治が中央に逆転負けしたことで、勝ち点「18」の東洋が、2年連続優勝をなしとげたのだった。

夏にインタビューした時は、「まだ心の中には迷いがあった」という森田。秋のリーグ戦で「2年連続優勝」という結果を出したことで、声の張り、そして話をする態度も、別人のように変わったふうに見えた
夏にインタビューした時は、「まだ心の中には迷いがあった」という森田。秋のリーグ戦で「2年連続優勝」という結果を出したことで、声の張り、そして話をする態度も、別人のように変わったふうに見えた

「試合では、やるべき努力を実行する。
明治や中央のことは、どうでもいいんだ」

 明治の1点リードで迎えた、58分56秒。防戦一方だった明治に、決定的なシーンが生まれている。ニュートラルゾーンでこぼれ球をものにした、FW小桑潤矢(2年)。エントリーした小桑の10メートル先には、東洋の「エンプティ・ゴール」があった。ところが小桑の「前」と「後ろ」で、必死に食い下がる東洋の選手がいた。それが、森田と髙橋だった。

 東洋のゴール前でドライブする小桑に対し、森田は背後からバックチェックに挑んでいく。小桑がさらにゴールに近づいていくと、高橋は膝を折ってシュートを弾いた。

 2人のプレーで、東洋は明治の「5得点目」を回避する。その1分後。59分56秒に東洋は4点目を挙げている。

 ゴールを決めた髙橋は、こう言っている。

「体力が相当きつかったし、反面、無心でもありました。これは不思議なことですが、最後の最後まで、ウチが負ける気はしなかった。たぶん、僕だけの思いではないと思います」

 森田は、この明治戦をこう振り返っている。

「残り時間が少なくなってきて、でも、あきらめている人は誰もいませんでした。自分たちは最後まで、やるべき努力をやっていた。もしウチが優勝できずに明治が優勝していたとしても、悔いはなかったと思います」

「ウチの最後の試合は、法政戦でした。自力での優勝を決めることはできなくて、明治と中央の結果で、ウチの優勝が決まったんです。法政戦の試合前、ミーティングでこう言いました。明治と中央の試合はどうでもいい。その前に、俺たちは俺たちのやるべきことをやろう。それが、いい結果につながったんじゃないかって今は思っているんです」

ファイナルリーグの明治戦、59分56秒まで東洋は3-4と1点、負けていた。同点に追いつくゴールを決めた髙橋は「僕がホッケーを始めて、こういうシチュエーションでスコアしたことはなかった。今までで一番、印象に残るスコアです」。
ファイナルリーグの明治戦、59分56秒まで東洋は3-4と1点、負けていた。同点に追いつくゴールを決めた髙橋は「僕がホッケーを始めて、こういうシチュエーションでスコアしたことはなかった。今までで一番、印象に残るスコアです」。

春の大会のよくない状況を経て、
今のチームは何でも言い合える。

「春はチーム内に、いざこざがあった」。キャプテンの森田はそう話した。それでいて明治戦の3ピリに、「ウチが負ける気は最後までしなかった」と髙橋は言っている。いったい、どうしてなのか。

 髙橋は、春までのチームについて、こう話している。

「春はいまいち、まとまっていなかったと思います。個人個人が好き勝手にやっていた。でも春の大会が終わってから、4年生からミーティングの場を設けるようになりました。僕が1年、2年のころは、東洋は選手ミーティングをそんなにしていなかったんです。今年は4年生のタツ(FW柚木辰徳)が率先して、みんなでミーティングを重ねていた。言葉にすることで互いの気持ちをわかっていたほうが、チームは全然、よくなる。4年生から学んだと僕は思っているんです」

 森田はこう話している。

「僕は高校(駒大苫小牧高)でもキャプテンをやってきましたが、はっきり言って、高校は選手の実力があれば勝てるんです。でも大学は、練習も食事も一緒。そして選手は同じ部屋で過ごしています。チームみんなが同じ方向を向いていなければ、絶対に勝てない。チームのありかたに対して、自分はこう思っているんだということを互いに理解していくのが、とても大事だと思うんです」

「春はチーム内で、いざこざがあって、そのことでミーティングを重ねてきました。今になってようやく、チームとして出来上がってきた。試合の中でよくない点があっても、プラスの意味で話し合えるようになったんです。今のチームは、なんでも言い合える。そこが春から成長したことだと思います」

 このリーグ戦で森田は13ゴール14アシスト、「最優秀選手」を受賞した。春の決勝リーグは、得点ゼロ。「秋は考えることがなくなったというか、余計なことを考える時間がなくなりました」という。

 東洋はリーグ戦を終えると3日間、部の活動を休みにした。それ以後は、全日本選手権とインカレに向けて練習している。

 髙橋はこう言っている。

「全日本は、2回戦でアイスバックスに当たります。これまで4回対戦して、1回も勝っていない相手です。でも、その前に社会人のDYNAX(ダイナックス)と1回戦で当たる。強いチームです。僕たちは全力で戦わないと勝てないし、2回戦のことは、1回戦に勝ったあとで考えればいいことです」。関東大学の王者らしい発言ではないか。

森田琉稀亜 もりた・るきあ
2003年11月13日生まれ。東洋大学社会学部4年生・FW。背番号「18」。北海道苫小牧市で3歳の時にアイスホッケーを始め、大成小から光洋中、駒大苫小牧高へ。駒澤3年時にキャプテンとして八戸インターハイで優勝する。今秋の関東大学リーグ戦の「最優秀選手賞」を受賞する。大学の卒論を今週中に提出予定で、表題は「日本のマイナースポーツ復興における、メディアの戦略と北米プロスポーツの比較」。名前の琉稀亜は、アニメファンの両親がハンター・ハンターの登場人物「ルキア」から命名した。来春のアジアリーグ入りが内定している。

髙橋一路 たかはし・いちろ
2004年12月29日生まれ。東洋大学健康スポーツ科学部3年生・DF。背番号「34」。古河電工とアイスバックス、王子イーグルスでプレーした淳一氏を父に持ち、自身は北海道苫小牧市生まれ。4歳の時に「レッドモンスターズ」でアイスホッケーを始め、苫小牧東小学校に入学するも2カ月で栃木に移り、日光小(日光イースタン)へ。日光東中から高校は再び苫小牧(駒大苫小牧高)へと進む。3年時には釧路インターハイで優勝。今季のアジア選手権では、初の「日本代表」に入っている。大学ではエアロビクスや縄跳びの実技が得意で、「中でもダーツの授業が好き」だという。

山口真一

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事