前回のコラムで紹介した荒川堯は71年にプロ入りを果たしましたが、同時期に「週刊ベースボール」の表紙を何度も飾った高卒ルーキーがいたのです。それは70年秋のドラフトで全体1位で南海から指名された島本講平でした。
和歌山・箕島高出身の同選手は70年の春のセンバツの優勝投手でした。同校は68年のセンバツが初の甲子園出場だったのですが、その際のエースが東尾修でこの大会でベスト4に進出し、同年秋のドラフトで西鉄から1位指名を受けます。
そして、この70年のセンバツが2度目の出場でした。準決勝では同大会のNo.1投手と目されていた広陵の佐伯和司(のち広島他)を打ち込んで3-0で勝利し、決勝に進出。決勝では大阪代表の北陽(現・関大北陽)と対戦し、延長12回を戦い5-4でサヨナラ勝ち。島本は211球を投じて完投。打ってはサヨナラ打を含め3打点を挙げる活躍を見せ、ハンサムな風貌もあって人気を博し、「コーちゃん2号」と呼ばれます。「コーちゃん1号」は前年69年の夏の甲子園の決勝で延長18回を投げ抜き、再試合で敗れた三沢高の太田幸司で、同投手は同年のドラフトで近鉄から1位指名を受けプロ入りしていました。
島本が四番・投手を務める箕島は夏の甲子園にも出場し、初戦は島本が完封も、2回戦で湯口敏彦(のち巨人)を擁する岐阜短大付(現・岐阜第一)に敗れます。ここまでに名前が挙がった島本・佐伯・湯口の3人が「高校生ビッグ3」と呼ばれ、同年のドラフトの目玉として騒がれます。
そして、なんと同年の「週刊ベースボール」10月5日号で島本が箕島高のユニフォーム姿で表紙を飾るのでした。つい最近では日本ハムの清宮幸太郎が早実時代に「週刊ベースボール」の表紙に登場しましたが、実は「コーちゃん1号」太田も前年、三沢高のユニフォームを着て「週刊ベースボール」の表紙を飾っていたのです。そして迎えたドラフトで1番くじを引いた南海が島本を指名。2番くじの巨人が湯口を、3番くじの広島が佐伯を指名と「高校生ビッグ3」がこの年のドラフトを席巻したのでした。
通巻659号(1970年10月5日号)南海の親会社・南海鉄道は難波から和歌山までの路線を持っており和歌山出身の島本は、いわば地元の選手。そして、観客動員に苦しんでいた(同年のそれはパ・リーグ4位の453,980人)南海としては人気者の島本が欲しかったのでしょう。そして、翌年の選手名鑑号ではONを脇に置いて表紙の真ん中に大きく島本が入り、左右には佐伯、湯口の顔も見えます。その後も同選手は3月22日号、5月17日号と相次いで「週刊ベースボール」の表紙に登場します。
通巻682号(1971年3月1日号)1年目の島本は投手登録だったのですが、背番号8を与えられたのは近い将来の野手転向を見越してのことだったのでしょう。この年の島本はそれほど活躍したわけではなかったのですが、夏場に向かって珍事が発生します。オールスターのファン投票で人気者の島本に票が集中し、一塁手部門で前年の本塁打王・大杉勝男(東映、この年も連続して本塁打王を獲得)の票数を上回ってファン投票で1位となってしまったのです。
島本10,273票、大杉10,203票という僅差でしたが、この得票数、どう思われますか? 昨年のオールスターで得票数が最多だったのは阪神の森下翔太の778,130票に対して70年の最多得票は巨人の黒江透修の30,210票ですから、まさにケタ違い。この投票の少なさゆえにファンの操作が可能だったのでしょう。前年の太田も前半戦でわずか1勝を挙げたのみながらファン投票でパ・リーグの投手部門1位となり問題視されていました(太田はさらに71、72年と3年連続ファン投票1位に)。
前半戦を終わって打率.292、21本塁打をマークしていた大杉を上回る票を得た島本の成績といえば、すべて代打で5打数0安打! 球宴での島本は第1、2戦で代打で起用されたものの両打席とも三振。第3戦では守備固めで出場するに留まりました。この年の最終戦、10月9日、近鉄とのダブルヘッダー第1試合に六番・一塁でスタメン出場した島本が第1打席から2打席連続本塁打をマークします。投じた投手は「コーちゃん1号」太田だったというのも、なんたる因果か。しかし、島本は以後伸び悩み、この2本塁打が南海時代に記録した安打のすべてとなります。
このあと75年シーズン途中に近鉄にトレードとなり、ここで西本幸雄監督の指導を受けて打撃開眼。2ケタ本塁打を3度マークし、85年の引退までに通算60本塁打を積み上げました。ドラフト全体1位の選手にしては、やや物足りない成績だったかもしれませんが、デビュー時には球界屈指の人気を博した選手でした。
No.084 島本講平
当コラムは、これまで「週刊ベースボール」の「Curutural Review」のページに掲載されていたカードのコラムを転載していたのですが、2001年春から続いていたこの連載が2024年4月1日号をもって終了しました。今後、当コラム「カード春秋」(※)はBBMカードサイトのオリジナルコラムとして続けていこうと考えておりますので、よろしくお願い致します。※「カード春秋」というタイトルは、わたしの出身校・香川県立高松高校(旧制・高松中)の大先輩にして、文藝春秋社の創設者である菊池寛先生へのオマージュなのです。