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2026-01-20

【陸上】吉田響、ニューイヤー駅伝22人抜き。マラソン2時間3分台につながる走り

吉田(左)は「憧れの選手」とする同郷の鈴木芽吹(中)と同じ区間を並走

元旦に開催されたニューイヤー駅伝で、吉田響がエース区間の2区で22人抜きを達成。区間記録を39秒更新し、サンベルクスを過去最高順位の5位に押し上げた。進化を続けるプロランナーの強さの理由とは……。


ルーキー2人目の最長区間区間賞

ニューイヤー駅伝2区の走りには、吉田響(サンベルクス)の特徴がいくつも表れていたが、「リミッターを外せること」がその象徴だった。

吉田の目標は「2区の区間賞を取ってチームの初入賞に貢献する」こと。タイム的には太田智樹(トヨタ自動車)が、2年前に出した1時間01分40秒の区間記録更新が必要と考えた。太田の10km通過タイムは28分05秒だった。

「28分前後で入ろうと決めていましたが、27分42秒の通過できるくらい調子が良くて、うれしかったです。後半持つか心配でしたが、抑えたら逆にキツくなってしまいます。ペースを落とさず押し切ることにしました」

気象条件が良かったことも確かだが(今大会は27分台で10kmを通過した選手が10人)、その中でも吉田の飛ばし方はスピードが一段階違った。トップと21秒差でタスキを受けると、7.8kmで鈴木芽吹(トヨタ自動車)たちの集団に追いついた。2025年11月に10000m日本記録(27分05秒92)を出した鈴木も18秒、吉田より先に中継所を出ていた選手である。10.5km付近ではリードを奪い始めた。

「タスキをもらったときは、全員抜いてやろうと思って走り始めましたが、芽吹さんと一緒に走ったところが一番うれしかったですね。同じ静岡で、(1学年上の)芽吹さんはずっと憧れの選手でした。並走から差を広げることができたことは自信になりましたし、勇気ももらえた気がします」

吉田の勢いは止まらず、10kmで7秒前を走っていたロジスティード、GMOインターネットグループ、プレス工業の3チームにも、13.3km付近で追いついた。そのまま前に行こうとしたが、橋本龍一(プレス工業)は後れたものの、今江勇人(GMOインターネットグループ)と平林清澄(ロジスティード)は離れない。しばらくして平林が前に出た。

「17kmくらいから結構キツくて。先頭が入れ替わっても、流れから判断して、ラスト1kmまでは誰もスパートしないだろうと思って、今江さんと平林の後ろに付いて休ませてもらいました」

しかし20.8kmで、今江が勝負に出た。そのスパートに付くことはできなかったが、平林を引き離し、トップの今江から6秒差の2位で3区にタスキを渡した。全員を抜くことはできなかったが前半を速く入ったことで、今江に10秒差で区間賞を獲得。ニューイヤー駅伝の最長区間が20km以上になった01年以降で、ルーキーの区間賞獲得は15年大会の設楽悠太(当時、Honda)に続いて2人目の快挙だった。

吉田(前)とトップ争いを演じた平林(後)は2区区間3位。実業団ルーキー2人がエース区間で輝いた
吉田(前)とトップ争いを演じた平林(後)は2区区間3位。実業団ルーキー2人がエース区間で輝いた


大学時代に身につけた上り下りへ対応力

大会前から2区区間賞に意欲を見せていた吉田だが、2区の終盤で苦しむことも想定していた。その理由は「筋肉の細かい使い分けができるから、(箱根駅伝2区のように)アップダウンがあった方が自分向き」と考えていたからだ。

吉田は“山の神”になることを目標に東海大に進み、1年時には箱根駅伝5区(20.8km)で区間賞と11秒差の区間2位と好走した。当時から上りの走りは得意だった。

 しかし2年時は「自分が“山の神”になりたい、という目先の結果にこだわってしまい、気持ちに余裕がなくなってしまった」と言う。悪循環に陥り、大学駅伝には出場できなかった。人との縁に恵まれて創価大に転籍し、3年時の出雲全日本大学選抜駅伝は5区(6.4km)区間賞(後にチームメイトのドーピング違反が発覚して失格)、全日本大学駅伝は5区(12.4km)区間賞と快走した。だが箱根駅伝5区では区間9位と振るわなかった。

 「寒さに弱いところが出て、アップの段階から差し込みがきてしまって。いつもだったら絶対に走る、というワクワク感が出ている状況なんですが、3年時の箱根は状態が良くないのが分かってメンタルも安定しませんでした。スタートして1km過ぎでもう、体が固まってしまって走れませんでした」

 しかし精神的な落ち込みは、プロになる決断をしたことで尾を引かなかったという。プロランナーになる夢は小さい頃から持っていたが、現実的に考え始めたのは大学1年の箱根駅伝5区で快走した時からだった。大学3年の箱根駅伝が終わると、卒業後の進路を決める時期となる。そこで最終的にプロになる決断をしたことで「吹っ切れた」という。

大学4年時の出雲駅伝は2区(5.8km)区間賞、全日本大学駅伝は2区(11.1km)で1秒差の区間2位。箱根駅伝2区(23.1km)は区間賞と12秒差の区間2位だったが、日本人区間最高記録の1時間05分43秒で走破した。

対策もしっかり行い寒さへの不安もなく臨めたが、4年間で身につけた上り下りへ対応できる力が発揮できたと、吉田自身は考えている。「上りは四頭筋など脚の前側の筋肉を使って走りますが、それに対して平地や下りはハムストリングス(大腿裏)を使います。クロスカントリーを練習でも多く走ることで、筋肉の細かい使い分けが意識してできるようになりました。コースに応じて使う筋肉を変えられるので、同じ筋肉を使い続けるより楽に走ることができるんです」。

ニューイヤー駅伝前にも次のような想定も話していた。「上りのある5区の方が、自分に向いています。2区はずっと平坦で同じ筋肉を使い続けるので、最後まで押し切れるか不安もある。ワクワクの方が大きいですけど」。

実際、前半からリミッターを外す走りをしたことで、17km以降はかなり苦しくなった。しかし、苦しくなってからの走りにも、吉田は自信を持っていた。


マラソンで日本記録を

吉田の自信は厳密に言えば、“苦しくなってからの体の動かし方”にある。具体的には「体のコアとリラックス」が重要になる。吉田はクロスカントリーを練習で多く行うが、その理由の1つが「上りでも平地でもコアをぶらさずに走ることが大事だと思っています。そこを走りながら鍛えることができる」からだ。

吉田の走りは一見、上体が揺れているように見える。「僕の頭の中ではもっときれいに走れているはずなんですが」と話したこともあった。揺れている中でも軸は、しっかりとつくっているのだろう。それができているから終盤でもペースダウンをしない。上体の揺れは、リラックスしているからだと解釈している。

「キツくなっても脱力して走ることが自分の強みです。キツい時に頑張ろうとして、力んでしまうのは良くありません。頑張らないといけないところこそ、リラックスして良いフォームで走ることを意識しています。調子が良い時は力まず、ジョグの延長線上のような感覚で走ることができます」

それはスピードを上げた時も同じだという。「ラストスパートでも、出雲駅伝の5~6kmの距離でスピードを出さないといけない時でも、同じようにリラックスした動きで走ります。出雲では2分43秒平均で走り切りました」

吉田の話には1kmを2分何秒で走っているか、2分何秒平均で走ったか、という言葉が多く出てくる。その区間の目標タイムから計算している部分と、自身の感覚で走ってそのタイムになった部分を、うまく照合して今後の指針としている。ニューイヤー駅伝では区間記録の1時間01分40秒を1km平均に換算し、区間新を出すために2分48秒平均で走りきる目標を立てた。

しかし冒頭で紹介したように10kmまでを27分43秒、1km平均2分46秒3で走った。予定より速いことは感じていたが、抑える方が自分のリズムを悪くすると判断し、そのペースで行く決断をした。19km以降は2分50秒をオーバーするペースに落ちたというが、前述のようにキツくなってからもしっかりと体を動かせていた。

「そこを削ることができたら、もっと上のステージに行けると思います。今回2分47秒平均で21.9kmを押して走ることができました。フルマラソンも2分53秒とかで行けたら、(終盤でペースダウンしても)2時間3分くらいを狙うことができます。そこにつながる走りはできたと思います」

東日本実業団駅伝前から何度か取材して感じられるのは、吉田が自分の動きやペースを正確に把握し、目標を立てて実現させていること。その吉田が「2月か3月に出場するマラソンで日本記録を狙う」と話している。期待していいかもしれない。

文/寺田辰朗 写真/BBM

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