今まで背後から照らしていて当然、と思っていた“七光”が急に消えると、どんなに寂しく、かつ惨めな気持ちになるものか。金剛が偉大な後ろ盾を失った空洞感を痛感したのは、昭和46(1971)年夏場所5日目のことだった。
※写真上=場所後の花相撲で当時のアイドルの歌を屈託なく歌う金剛。右は桜田淳子
写真:月刊相撲
果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
この日、金剛が入門したとき、すでに横綱だった雲の上の存在の兄弟子・大鵬が若手の人気者・貴ノ花(のち大関)に敗れ、ついに引退を表明したのだった。
44年夏場所、十両入り。翌年秋場所、入幕と同時に番付を駆け上がってきた今後は、この大鵬、大関大麒麟ら、兄弟子たちをやっかむ力士仲間たちや、世間からの防風林にして、力士生活をまさに謳歌していた。
どうやったら、楽してひとヤマ当てられるか、というヤマっ気も、相変わらず健在。あるとき、日用品を改造して特許を取り、大儲けしてやろうと思い、風呂で使うブラシの背中に柔らかいスポンジを貼り付けて“痛くない垢落とし”と命名し、1500円の印紙を貼って特許庁に本気で出願した。
ところが、特許庁は、この金剛の苦心の作を、誰かがふざけて出した、と早合点して無視し、とうとうこの1500円の投資がムダに。
こうやって時間と金のムダ遣いをしていないときは、セッセと赤や青のネオンで染まった街を飛び回っていた。
「オレ、ときどき、夜、寝てて、なんてムダなことをしているんだろう、と考えちゃうんだよね。だって、死んだらゆっくり寝られるじゃないか。せめて生きているときぐらいは時間を有効に使わないと。そう思うと、そのまま寝ていられなくなってね。よく夜中に飛び起きて、遊びに行っちゃうんだよ。ナポレオンは3時間しか寝なかった、というけど、オレは2時間で大丈夫だぜ」
これは、当時、ある新聞に載った金剛の“遊び談義”である。
なにしろ何かあったら、大横綱や、大関の名前を出せばいいのだから、怖いもの知らず。そのうえ、とんでもない余禄まである。
45年秋場所前、当時の佐藤栄作・総理主催の「プロスポーツ懇親会」に、新入幕の金剛も大鵬に連れられて出席した。横綱の付け人代わりだったから、会場内で金剛の立っている位置は、大鵬のすぐ後ろである。
やがて、佐藤総理が向こうからやってくるとまず大鵬と握手。次に、控えの金剛のところにくると、手を差し出した。すると、すかさず付き添っていた田中角栄幹事長が、
「総理、これが新入幕の金剛です」
と紹介したのである。
これには、さすがの金剛も飛び上がるほど驚き、また感激した。
「まず第一の感激は、たまたま立っていた場所がよかったんだけど、大鵬さんの次に総理と握手できたことだねえ。2番目は、やっと入幕したばかりなのに、ちゃんと総理に紹介してもらったこと。と同時に、田中さんの紹介のうまさだね。あの人は、人の顔を覚える名人だったというけど、いつ、どうやって、オレのことを知ったんだろう。やっぱり天下を取るような人は違うんだなあ、とのちに総理になったとき、つくづくと思ったね」
と、二所ノ関親方(元関脇金剛)はそのときの話になると目を輝かした。
こんなまばゆい光と、凄みに満ちた異次元の世界を覗くことができたのも、大鵬、大麒麟という偉大な兄弟子たちに恵まれたからだった。その後ろ盾が相次ぐ引退で消えてしまったのだ。
金剛が心の底からこの兄弟子たちの存在の大きさを痛感したのは、2人が引退し、それまでの新聞記者や、ファンで黒山のようだった稽古場の上がり座敷がまるで空洞でもできたようにガランと静まり返っているのを見たときだった。
「いつもごちそうを食っている者が、だんだんそれをごちそうと思わなくなるのと同じようなものでね。毎朝、稽古場が見物人であふれていると、あっ、また来てやがる、うるせえなあ、と思うのが先で、ありがたい、とはなかなか思わないんだよな。でも、その当たり前、と思っていた人たちが急にいなくなると、寂しいものだよ。なんといっても人気商売だからねえ。大鵬さんの思い出は、同じ北海道出身のクニモン、ということもあって数え切れないぐらいあるけど、やっぱりこの引退していなくなったあと、それまで砂糖にたかる蟻のように群がっていた人たちが、まるで潮が引くようにいなくなってしまったことが一番のショックだったなあ。もちろん、この非情な現実を目の当たりにしたときは、ようし、オレの力で、いつかまた、離れていったヤツら呼び戻してやる、と思ったよ。そう簡単にやれることではないことは、よく分かっていたけど」
と二所ノ関親方。
大鵬に引導を渡した貴ノ花は、この大横綱の引退で今後の精進を誓ったが、弟弟子の金剛も、この日を契機にのんきな三男坊暮らしを卒業。名門復活をかけて直径4メートル55センチの土俵にすべてをかける本物の力士に生まれ変わったのだった。(続)
PROFILE
金剛正裕◎本名・北村正裕。昭和23年11月18日、北海道深川市出身。二所ノ関部屋。184cm115kg。昭和39年夏場所、大吉沢で初土俵。44年夏場所新十両、金剛に改名。45年秋場所新入幕。50年名古屋場所、平幕優勝を飾り、翌秋場所、関脇に昇進。幕内通算35場所、259勝281敗、優勝1回、殊勲賞3回。51年秋場所前に引退し、年寄二所ノ関を襲名、部屋を継承する。平成25(2013)年初場所限りで部屋を閉鎖、松ケ根部屋に移籍。同年6月20日、相撲協会を退職。翌26年8月12日没。
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