“ピラニア”から“相撲博士”に
※写真上=昭和51年春場所後、大関昇進を決め師匠の立浪親方(元関脇羽黒山)の盃を受ける
写真:月刊相撲
果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
【前回のあらすじ】幕下時代に花田(のち大関貴ノ花)を降し、幕下優勝。十両昇進への契機となり、体を大きくしようと猛稽古と暴飲暴食に励んだ。ところが入幕して間もないころ、突如膵臓炎に襲われ、その後は十両で低迷してしまう――
あと10センチ背が高かったら、オレの人生はガラリと違ったものになっていただろうなあ、とすでに引退して10年以上経つのに、大島親方(元大関旭國)はときどき両国橋の上の夕暮れを見上げながら考えることがある。
体が小さいにもかかわらず、旭國は四つになり、廻しを引かないと相撲を取れない、という最もやっかいなタイプだった。このため、どうやったら相手よりも早く廻しを引き、先手を取るか、ということを、旭國は、それこそ寝ても起きても考え、研究していた。
「とにかく現役時代は、四六時中、稽古場にいたような感じがしますねえ。自分でやるばかりじゃありません。巡業などに行くと、この次の場所で当たりそうな力士の相撲をいつも目をこらして見ていました。立ち合い、どうやって当たってくるのか。廻しは、どういうタイミングで、どんなふうに引くのか。なにか面白いクセはないか。チェックできることはすべてチェックしました。そうしないと、この体ではなかなか勝てませんから」
と大島親方は、小が大を制するための秘密を明かす。
旭國のニックネームが“ピラニア”から“相撲博士”に変わったのは、大関昇進が絵に描いた餅でなくなった昭和51年(1976)前後のことだった。力士仲間だけなく、支度部屋を飛び回って取材している報道陣も、旭國の的確な相手力士の分析と、それに基づいた鋭い攻略法に舌を巻き、いつしか敬意を表するようになったのである。
この研究の成果が見事的中し、自分よりもはるかに大きな力士を制したときの快感は格別。その骨の髄までぞくぞくするような喜びを教えてくれたのが49年名古屋場所初日の北の富士(元横綱、現NHK相撲解説者)戦だった。
この北の富士の身長は185センチ。体重は135キロ。173・5センチ、113キロしかない旭國から見ると、まさに雲を突くような大男だった。
しかし、このときの旭國は、この横綱に少しも臆せず、頭から当たって右からイナシし、北の富士がこれを残して突っ張ってくるところを、下からスボっとモロ差しに。ここまでは、すべて計算どおりだった。
そして次の瞬間、ちょっと呼び込んでおいて、左から思い切って切り返すと、横綱の大きな体がもんどり打って、裏返しにひっくり返った。これも狙いどおりだった。
「あれが初めての金星だったんですよ。あの相撲の後、風呂場で横綱とバッタリ会い、どうもごっつぁんでした、とあいさつすると、『オイ、あんまり年寄りをガイにするなよ』と、苦笑いしながら肩をポンとたたかれたのを覚えています。北の富士さんが引退したのはそれから2日後、やっぱり体の小さな自分に裏返しにされたのが相当ショックだったんじゃないでしょうか」
と、大島親方はこの19年前の会心の一番に思いを馳せた。
昭和49年名古屋場所初日、横綱北の富士を切り返しで破る。北の冨士はこの2日後に引退
写真:月刊相撲
しかし、この研究にも限界がある。この世界を支配するのは、やはり力だ、ということを相撲博士の旭國に見せつけたのは、同じ北海道出身で6歳年下の怪童、北の湖だった。
いくら相手のクセや弱点を調べ上げ、計算どおりに攻めても、強大なパワーの持ち主の前には、そんな小細工なんか通用しないのだ。
51年春場所後、持病や体力不足をみごと克服し、待望の大関に昇進した旭國は、翌52年秋場所、初日から13連勝して、自分には無縁のもの、と半ばあきらめていた賜盃を手にする願ってもないチャンスをつかんだ。
残すはいよいよあと2日。14日目の旭國の相手は、同じように13連勝している北の湖だった。この一番に勝てば、賜盃は九分九厘、自分のものになる。決勝前夜、旭國は、自分の全知全能を傾けてこのライバルの攻略法を立てた。しかし、いざ軍配が返ると、体力に勝る北の湖の、まったくワンサイド。旭國の得意の左四つになったものの、北の湖にがっちりと引き付けられ、なんの反撃もできないまま寄り切られた。
こうして、一世一代のチャンスはあっけなく水泡に。旭國は、14勝1敗で優勝できなかった不運な力士、として大相撲史に名前を残すハメになってしまった。
「あのときは、せっかく先に引いた右上手が伸びたことも、劣勢に拍車をかけてしまいましたねえ。何だかんだといっても、体重のハンデを認めないスポーツでは、体力が何よりの武器だってことですよ。残念ですけどねえ」
と大島親方。こうして体力と、知力の狭間でもがき続けた旭國は、大関を21場所務めたあと、54年秋場所8日目。ついに力尽きて引退した。
「これからウンと体の大きな力士を育てたい」
これがその引退の記者会見のときの旭國の締めくくりの言葉である。身長189センチ、体重143キロの愛弟子、旭富士が横綱に昇進したのは、その11年後、平成2年の名古屋場所後のことだった。(終。次回からは大関・前の山太郎編です)
PROFILE
旭國斗雄◎本名・太田武雄。昭和22年(1947)4月25日、北海道上川郡愛別町出身。立浪部屋。174cm121kg。昭和37年9月入門、38年名古屋場所初土俵。44年春場所新十両、同年名古屋場所新入幕。51年春場所後。大関昇進。幕内通算54場所、418勝330敗57休、敢闘賞1回、技能賞6回。54年秋場所で引退し、年寄大島を襲名、翌55年1月、分家独立し、大島部屋を創設。横綱旭富士、関脇旭天鵬、小結旭道山、旭豊、旭鷲山らを育てた。平成24年(2012)4月停年。
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