果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
【前回のあらすじ】常夏の島・ハワイ出身初の力士として来日したジェシーこと高見山。遠い東洋の異国で待ち受けていた、相撲部屋での厳しい修業の日々に、ハワイに帰ることばかり考えていた新弟子時代だったが――
来日して3年目の昭和41年(1966)の冬。なかなか日本の気候に体がなじめず、寒くなると必ず扁桃腺をやられて発熱していたジェシーは、
「こりゃ、切ってとらないと、いくら薬や注射を打っても同じだ」
という医者の勧めで思い切って手術を受けた。ところが、ちょうど幕下の上位で目の前に十両の座がぶら下がっているときだっただけに、師匠はあまりいい顔をせず、やっと許してくれた。
〝手術休暇〞も病院に入院していた3日間だけ。退院した翌日にはもう廻しを締めて稽古場に下りることを命じ、
「病院では稽古できず、イライラしていただろう。さあ、今日は久しぶりだ。遠慮しなくていいから、思いっきりやれ」
と、いつもの〝シゴキ〞を再開した。そして、この一番で今日の申し合いは終わり、というときに、相手力士の強烈なノド輪が手術して4日目のジェシーのノドを締め上げた。
「こっちは半分、気合が入っていなかったし、相手は、『よし、一丁、やってやれ』という気持ちがあったんじゃないの。あれは、痛いとかなんとかいう域を越えていたなあ。うがいをしたら、手術した傷口が切れて真っ赤だった。もちろん、痛くてごはんなんか、とってもノドを通らない。毎日、アイスクリームだけで過ごし、やっとみんなと一緒にちゃんこを囲めるようになったのは、それから10日ぐらい経ってから。でも、声だけはいつまでもカスレたままで、とうとう元に戻らなかったよ」
と、悲しそうに目を伏せた。
それまでジェシーは声自慢、踊り自慢で、場所後の打ち上げやパーティなどの人気者だった。来日直後、乞われるままに披露した英語と日本語がチャンポンになった「ここに幸あり」は特に大好評で、しばらくその歌いっぷりやジェスチャーが他の日本の力士たちの間の流行になったほどだった。
「こんな声ではハワイのママが心配する。もう一度、きれいな声で歌を歌いたい」
と、ジェシーはこの事故から1年後、都内の大学病院で精密検査を受けたが、
「もう一度、手術して、1年間、ノドを絶対安静にしていたら、以前の声が出るようになります」
と言われて、あきらめることにした。
「仕方ないよ。オレはニッポンに歌手になるためじゃなく、力士になるために来たんだから。ノドをかばって相撲なんか、取れないもの」
と自分にムリヤリ言い聞かせて。
こんな血のにじむような猛稽古がようやく実を結び、初土俵から19場所目の昭和42年(1967)3月の春場所、ジェシーは待望の十両入りを果たした。いよいよ〝お関取〞だ。
ところが、身長191センチ、体重145キロと入門のときよりもひと回り大きくなってたくましくなった体を卸し立ての羽織と袴に包み、ほおを晴れがましさとうれしさでほてらしながら出席した番付発表翌日の「力士会」で、ジェシーは頭を思いっきりぶん殴られたような思いを味わった。
協会が次の夏場所から幕内の人数をそれまでの40人から34人に、十両を36人から26人に、幕下を100枚から60枚にそれぞれ大幅削減することを決定し、この日の力士会に通告してきたからだ。
ジェシーが岩に爪をたてて登る思いでたどり着いた十両は、10人がふるい落とされて18枚から13枚になる。
「オイ、ジェシー。お前は一番悪いときに上がってきたな。(十両の)ケツッポは、たとえ今場所8勝か9勝で勝ち越したって、来場所、十両には残れないぞ。どうしても残りたかったら、最低でも二ケタの10勝はしないと。ツイてないなあ」
と、周りの兄弟子たちに冷やかし半分に同情されたジェシーは、自分でも頭から血の気が引いていくのがわかった。
十両に上がるのもやっとだったのに、いきなり初体験の地位で10番も、11番も大勝ちできるはずがない。
「協会はオレにイジワルしている」
とジェシーは思った。(続く)
PROFILE
高見山大五郎◎本名・渡辺大五郎。昭和19年(1944)6月16日生まれ。米国ハワイ州マウイ島出身。米国名はジェシー・クハウルア。高砂部屋。192㎝205㎏。昭和39年春場所初土俵、42年春場所新十両、43年初場所新入幕。47年名古屋場所、外国出身力士初の優勝を遂げる。幕内通算97場所、683勝750敗22休。優勝1回、殊勲賞6回、敢闘賞5回。40歳になる1月前の59年夏場所限りで引退。61年2月に分家し、東関部屋を創設、横綱曙らを育てた。
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