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2019-03-23

【競泳】それぞれの決断――筑波大4年、岡野圭穂の思い

2019年春、大学卒業を機に競技生活に区切りをつけ、社会人として“新世界”に飛び込むトップスイマーがいる。女子自由形短距離で活躍した岡野圭穂。筑波大では主将も務め、日本水泳連盟が定めたインターナショナル標準記録を突破。そのレベルの大学4年生は来年の東京五輪イヤーを控え、卒業後も競技継続の道を選ぶ中、彼女はなぜ社会人として歩む道を選んだのか。

PROFILE
おかの・かほ
1996年4月21日生まれ、群馬県館林市出身。群馬県立中央中等教育学校→筑波大。2017年ユニバーシアード大会代表。

※写真上=2018年の日本学生選手権50m自由形で2連覇を達成。岡野は最高の形で競技人生を終えた
写真◎菅原 淳(スイミング・マガジン)

“インター”突破も、4年生3名が引退

 日本水泳連盟が定めている記録を指標にしたランク付け。大学生以上には『インターナショナル標準記録』がSからDまで設定されており、この記録を突破することがトップ選手の指標のひとつになっている。2018年度、この記録を突破したのが男女合わせて84名ということからも、そのレベルの高さは想像がつくだろう。

 その84名の中に大学4年生が16名おり、そのうち3名が現役引退の意向。3名は、女子100、200m背泳ぎで突破した寺本瑠美(神奈川大)、男子200m個人メドレーの西山雄介(山梨学院大)、そして女子50m自由形の岡野圭穂(筑波大)である。

 1年半後には東京五輪が開催される。日本開催のオリンピックは特別なものでもあり、このレベルを誇れば、競技を続ける環境は少なからずあったはずである。それなのになぜ…。惜しまれながらも競技生活にピリオドを打つ決断をしたその真意を聞きたい…。入社式を半月後に控えた3月、そのうちのひとり、岡野圭穂を訪ねた。

考えに考え抜いた上での決断

 高校時代、インターハイでの最高成績は50m自由形での5位だった岡野圭穂。しかし、大学に入ってから大きく飛躍し、3年時の2017年には初の国際大会となるユニバーシアード大会の代表になった。インカレは50m自由形で3年時、4年時と連覇。2018年度の日本ランキングは50mが7位なのに対し、100mは同16位と、やや苦手にはしているものの、それでも大学入学時から2秒65も伸びたことを鑑みれば、400mフリーリレーでの東京五輪も夢ではない位置にいたといっていいだろう。しかも、一生に一度来るか来ないかの日本開催。それを目の前にして、競技からきっぱりと退く決意をしたその理由は何だったのだろうか。

「視野を広げたい、もっと広い世界を見たり経験したいと思ったのが大きな部分での理由です。水泳ばかりの毎日を過ごしてきて、それはもちろん充実していましたし、誇れるものだというのはゆるぎない事実です。でも、ひとつのことを極める=視野が狭くなる、とも思えて、早く広い世界を見たいと思ったんです。ならば、そのチャンスが多い新卒というタイミングを逃してしまうのはどうなのかな、2年後にオリンピックに行けたとしても、私のレベルでは、この先40年続けられる仕事に就けるのだろうか…と思ったんです」

 そもそも大学入学時には4年生で水泳は終わりと決めていた。それでも2017年のユニバーシアード大会に出場したあと、一度だけだが卒業後も水泳を続けるか否かを考えたことがあったという。

「トップレベルの選手との遠征はとても有意義な時間で素晴らしい経験でした。自分の競技レベルが上がっていって、東京五輪の開催も決まっていましたから、家族や水泳仲間から『応援してるよ』とか『オリンピックも期待してるよ』と言われて、続ける選択肢も含めて真剣に自分と向き合って考えました。ちょうど3年生の夏過ぎのことです。でも考えたときに出てくるのが、すべて『誰かのため』で、自分自身が続けたいという理由が出てこなかった。誰かが喜ぶからという理由だけで決めてしまったら、いつか絶対に後悔する、と」

希望の会社に決まり、
社会人としての一歩を踏みだす

 そう思い直し、就職活動を始めた。3年生の秋には女子の主将に任命されたため、そうそう練習を抜けることはできない。あくまで練習が優先。だから就職活動は行きたいと思う会社に絞って進めていった。

「航空系が第一希望でした。理由は、視野を広く持って仕事をしていけると思ったからです。いろいろな世界を見ていきたい。それは飛行機でどこかに行くという意味ではなくて、さまざまな情報にアンテナを張って新たな世界に挑戦したい、自分自身の殻も破りたい、と思ったことにありました」

 見事、航空会社大手の全日本空輸(ANA)から内定をもらった。瀬戸大也をはじめ、関連会社も含めて多くのスイマーが所属するなど、スポーツに理解のある会社だったこと、さらには「選手個人だけでなく、連盟だったり東京五輪などの大会だったり、競技じたいの発展に対してもサポートしようという意思が見えたのも魅力を感じた理由のひとつでした。そんな会社なら、どんなことにも真摯に向き合っているはず。そういう会社の一員になって働きたい、と思ったんです」と、新たな世界を前に胸躍らせている。

 それでもやはり、引退直後はさびしさを感じた。

「毎日やることがなくて、改めて私は、ここまで水泳一本で来た人間だったんだと思いました。だからこそ、4月からは仕事を頑張って新たなやりがいにしたいと思います。就職か、現役続行かをめぐっては、人生における究極の2択をしたと思っています。大事だった水泳を捨ててこの仕事をする。私自身が覚悟をもって決めたことですから、水泳に向き合ってきたのと同じように、今度は仕事に邁進したいと思っています」

 職種は総合職での採用。実力主義の厳しい世界だ。内定式で同期となる面々と会し、「みんなすっごく優秀そうで…」と不安になったというが、この笑顔、そして水泳で培った忍耐力とスプリンター特有の思いきりの良さを武器に、社会という大海原でも活躍することだろう。

社会人としての第一歩を前に満開の笑顔の岡野。全国各地の空港が主な勤務地になるとのこと
写真◎スイミング・マガジン編集部

文◎桜間晶子(スイミング・マガジン)

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