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2019-02-07

【競泳連続写真:伝説の技術】北島康介(男子平泳ぎ)

※写真上=オリンピック2冠連覇を果たした2008年北京五輪の約1年前の北島の泳ぎを解説
写真◎ワンダン・ダワー

 日本が世界に誇るトップスイマーとして2000年代に大きな足跡を残した北島康介。4泳法の中では重心移動のタイミングがもっとも難しいといわれる平泳ぎにおいて、推進力を効率的に得るその泳ぎは、他に例を見ない“理想形”ともいわれていた。今回は2007年8月、日本で行なわれた世界競泳での写真を元に、2008年北京五輪でオリンピック2冠連覇への布石を打った時期の泳ぎを、北島をジュニア時代から育て上げた平井伯昌コーチ(現・東洋大/日本代表ヘッドコーチ)の解説でひもとく。

※本記事は「スイミング・マガジン2007年12月号」掲載内容を再編集したものです。

ストリームラインとキックの強さ

 北島康介の長所はキックの強さ、そしてキックを蹴り終わったあとのきれいなストリームラインに象徴されています。

 北島は足首が柔らかいため、キックの返しが実に速く、それが泳ぎ全体の加速につながっています。蹴り始めよりもフィニッシュ時に足首を返す際のスピードが速いのです。

 キック自体を見ると、脚全体を上体側にめいっぱい引いたときに足首は180度の角度で(力が抜けている状態です)、後方に蹴り始めながら足裏で水をとらえ、そして足首を返しています(写真7~10)。足幅は比較的広い方で、脚の引きつけが深いことも特徴的です。

 また、蹴るタイミングも素晴らしいものがあります。簡単な言い方をすれば、プルを終え、上体がしっかり伸びきったところでキックを打っている。上体を前方に伸ばしている状態は水の抵抗を極力受けない状態であるわけですから、泳速をより上げることにつながるのです。

 上半身の動きを見ると、キャッチについてはストリームラインの状態で、ちょうど頭上のあたりで行なっています。その際、多くの選手はすぐに頭が水面に出てしまうものですが、北島はなるべく頭の出るタイミングを遅くすることで、上体の起こしを抑えて、受ける抵抗を少なくしています。

 キャッチは小指側を上に向け(手のひらが外側に向くように)、それほど力を入れずに浅い(水面に近い)位置からプルへ入っています(写真1~3)。ちょうどスカーリングするような感覚といえばよいでしょうか。個人的には、プルの最初の段階ではそれほど泳ぎの推進力につながると考えていないので、軽い、浅いキャッチでも問題ありません。

プルから判断する泳ぎの良し悪し

 プルは北島の泳ぎ全体の良し悪しを見るうえで、ひとつの目安になります。例えばアテネ五輪のときは肩に力が入っているのがすぐにわかりました。プルのかき始めから手のひらが後ろに向いてしまうような感じだったのです。力が入ってしまうと、頭がすぐに上がってしまい、結果的に肘を引きすぎてしまう。そうなると、キックを蹴ったあとに身体の上下動(伸ばした腕が上下に揺れる)が生じてしまいます。全国中学やインターハイでよく見られるのですが、それは上半身と下半身の動きのタイミングが合っていない場合が多いと思われます。

 もっとも今の北島の泳ぎは、どんな状況でも自分に合った泳ぎができます。掲載写真の世界競泳2007での泳ぎは、初めて世界記録を更新したアジア大会(2002年)同様、浅い位置から入り、インナースカル(プルの中盤からフィニッシュ)で力を入れて身体を浮かせるようにしています。

 また、プルのフィニッシュは最後までかききらずに、手を前方に放り投げるようにして、上体をうまく倒しています。そしてリカバリーに入る段階でも、まだキックに入るために脚を引いていません(写真4~6)。これはプルによる加速の際に脚が泳速のブレーキになっていないことの証拠です。反対に、最初に述べたキック面からみれば、加速したときに手を完全に伸ばしきっているため邪魔になっていない(写真A、B/以下掲載)

 つまり北島の泳ぎは、上半身で加速するときには下半身が邪魔にならず、下半身で加速するときには上半身が邪魔になっていないということです。

写真A:リカバリーに入った段階でも脚が邪魔にならないように引いていない

写真B:Aとは逆にキックを打つ際には上半身を真っすぐに伸ばしている

タイミングは選手の感覚的な問題

 平泳ぎは4泳法の中でも上半身と下半身の動きを連動させるタイミングがもっとも難しい泳ぎといえます。そのため、すべての動作をピンポイントで説明することは非常に難しいものです。よく「脚を引くタイミングは?」と聞かれることがありますが、おそらく北島本人に聞いても、うまく説明できないかもしれません。なぜなら、選手の感覚的な部分が大きいからです。

 ですから私の場合は、泳ぎ全体の中でポイントを作り、指導しています。そのポイントとは、蹴り終わって脚がそろうときに肩甲骨から指先を前方に伸ばし、そして(水面になるべく出ないように)頭を入れるタイミングを強調することです。蹴るときと蹴り終わったときのタイミングを安定させるのです。世界競泳2007では脚の肉離れもあり、大会前は泳ぎがギクシャクしていましたが、そのとき、北島に強調して伝えたのもこのポイントでした。

 北島自身がその点を意識してレースに臨んだ結果、万全なコンディションでなくても、好タイムを出すことにつながったと思っています。

 また、この1年、北島の泳ぎが崩れることはなくなりました。昨年8月からしっかり陸上トレーニングを行なったことが泳ぎに関係する筋力を強化し、その成果が出たといえるでしょう。北島にとっての泳ぎの理想形は2002年のアジア大会である程度、出来上がりましたので、それをベースに部分、部分を補足して調整する形で指導してきました。大きな伸びしろはないかもしれませんが、まだまだ補足的な強化によって伸びる要素はあるのです。

 ここまで述べてきたことは、北島のキックの強さを前提にしたものですので、すべての選手に当てはめて速くなるのかどうかはわかりません。その点は誤解しないようにしてください。

ストローク数はあくまで目安

 最後にストローク数の考え方について述べてみたいと思います。

 一般的に「ストローク数が少なければ、水の抵抗を最少限に抑えられ、泳速を上げられる」といわれています。しかし、それは必ずしも正しい理論ではありません。

 平泳ぎは1ストロークの中で、脚を引いたときにブレーキがかかります。その意味では抵抗を受ける回数が少なくなることは確かです。しかし、それによって泳速が下がる可能性もあるのです。

 北島が大学時代、ストローク数を減らすことでタイムが伸びたときがありました。200m用に試してみたら泳速が上がり、そのうえ疲労も少なく、得意の100mでも生かそうとしました。練習の中でイージー、ハードを繰り返しながら模索した結果でした。しかし、それはあくまで泳速を上げるための試みで、抵抗を抑えることを第一の目的としたわけではありませんでした。

 数字にこだわるあまりに、一番大切な「速く泳ぐ」ことにつながらなければ意味はないのです。北島の場合、キックが強いため、ストリームラインを長く取ることでも泳速が落ちません。その前提のうえでストローク数を考えます。逆にプル主体の選手は、ストローク数を減らしてしまえば加速する局面が少なくなるので、泳速は落ちてしまいます。

 ストローク数はあくまで泳ぎ全体のスピードを上げるための指針として考えることが大切なのです。

★選手プロフィール
[きたじま・こうすけ] 1982年9月22日生まれ、東京都荒川区出身。文京区立千駄木小―文林中―本郷高―日本体育大―日本コカ・コーラ。現役時代の専門種目は平泳ぎ。5歳から東京スイミングセンターで水泳を始め、ジュニア時代から全国大会で活躍。高校3年時に2000年シドニー五輪でオリンピック初出場(100m4位)。翌01年の福岡世界選手権の200mで銅メダルを獲得すると世界のトップスイマーへの階段を駆け上がり、2002年釜山アジア大会200mで自身初の世界新記録を樹立。2003年バルセロナ世界選手権では100、200mともに世界新記録で優勝を果たす。そして2004年アテネ五輪では平泳ぎ2種目において金メダリストに。その後も世界選手権をはじめ国際大会で活躍を続け、2008年北京五輪ではオリンピック2大会連続での平泳ぎ2冠(100mは世界新)、400mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。米国に生活拠点を移したのち、1年の休養を経て09年6月から競技を再開し、その後も国際大会で活躍。2012年ロンドン五輪に出場し、個人種目では100m5位、200m4位に終わったが、400mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。2016年まで現役を続け、4月の日本選手権(リオ五輪代表選考会)を最後に現役引退を表明した。4回のオリンピックでの通算メダル獲得数は金4、銀1、銅2の7個。
現在、2009年に設立した(株)IMPRINTの代表取締役を務め、スイミングクラブ「KITAJIMAQUATICS」や流水プール「AQUALAB」の運営を行う他、パフォームベタージャパンのゼネラルマネージャー、東京都水泳協会副会長を務めるなど、多忙な日々を送っている。
自己ベストは100m平泳ぎ58秒90、200m平泳ぎ2分7秒51。

インプリント

キタジマアクアティクス

https://kitajimaquatics.jp/

アクアラブ

パフォームベタージャパン

★解説者プロフィール
[ひらい・のりまさ]1963年5月31日生まれ、東京都出身。早稲田高-早稲田大。現役時代の専門種目は自由形。大学3年時からコーチングの道を歩み始め、卒業後は東京スイミングセンターで手腕をふるい、1996年から指導してきた北島康介を2000年シドニー五輪代表に育て上げ、2004年アテネ、2008年北京では2大会連続でオリンピック平泳ぎ2冠に導いた。2008年10月に日本代表ヘッドコーチ、2015年6月に日本水泳連盟競泳委員長に就任し、現在に至る。2013年からは東洋大監督として指揮を振るい、リオ五輪400m個人メドレー金メダリストの萩野公介(ブリヂストン)らをはじめ、多くの世界大会メダリストを育てあげてきた。

構成◎牧野 豊(スイミング・マガジン)

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