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2018-04-27

筑波大出身の2人が 自己記録に“1cm”と迫ったことの意味は? ②中野瞳が兵庫で6m43。11年前よりも重要なこと

戸邉直人(つくばツインピークス)が4月22日の筑波大競技会男子走高跳で2m30を3回目にクリア。4年前に出した自己記録の2m31(日本歴代3位タイ)に1cmと迫った。同日の兵庫リレーカーニバル女子走幅跳では、中野瞳(和食山口)が6回目に6m43(+1.4)をジャンプ。2007年に出した自己記録の6m44(U20日本記録・U18日本記録・高校記録)に、こちらも1cmと迫った。種目も違えば自己記録を出してからの年数も違う。“1cmの意味”も違って当然だが、取材をすると「スピード」「楽に走る」など、共通点もあった。

変化を求め、深みを出す

 中野瞳(和食山口、当時・長田高2年)が6m44をインターハイ予選兵庫県大会で跳んだのが2007年。池田久美子と桝見咲智子が持っていた6m43のU20日本記録(桝見は高校記録)を1cm更新した。

 それから11年後に、自己記録に1cmと迫る6m43。記録的にはほぼ同じでも、中身はまったく違っていて当然だろう。中野本人にも違いを聞いてみた。

「跳躍もずっと変え続けて来ましたが、試合内容もあのときとはまったく違います。6回中4回はファウルで、6m44の次は5m台(5m89)でした。6m44は5回目でリレーを走った直後でしたし、助走の出だしで少しつまずいてしまいました。走り抜けるつもりで助走をして、まあいいやと踏み切ったら跳べてしまった記録です。それに対して今回の兵庫リレーカーニバルは、1本目の6m23から始まって、1本1本修正していき、6回目に出した6m43です。アベレージも過去最高でした」

 11年前の6m44は俗に言う“出てしまった記録”だが、中野は当時、100mで11秒82と高校トップクラスのスプリント能力を持っていた選手で、試合の3日前には「踏み切りのコツ」もつかんでいた。記録を出す背景は、しっかり持っていた高校生だった。

 しかし高校3年となった翌年から、中野は潰瘍性大腸炎をたびたび発症するようになる。トレーニングもそうだが、精神的にも自身を追い込んでしまうことが原因だったかもしれない。

 中野は学生時代、関東インカレでは優勝3回と2位が1回。2年時から3年連続6m18と、ある意味真似のできない記録を残したが、その6m18が学生時代のベスト。“インカレレベルの選手”に収まってしまった。

 しかし記録が停滞した原因は体調のことよりも、「どうやって跳んだのかわからず、再現性を持てていなかったこと」だという。

「良くなかったのは、1つのことを習得したら、それが身に付いたと勘違いをしてしい、すぐに次の新しいことに取り組んでしまったことです」

 大学院1年目に6m39と自己記録に5cmと迫ったが、そのときも次にやりたい技術に目が行ってしまい、翌年は6m13しか跳べなかった。大学院卒業後1シーズンは地元の兵庫に戻ったが、2015年のシーズン後に筑波にもどり、自ら小口のスポンサーを集めて競技を継続する環境を整えた。

 16年春には6m28の自己サード記録を跳び、東日本実業団では100mと走幅跳の2冠も達成。このときも良い方向に向かっていたが、上昇曲線を描き続けることはできなかった。

「さらに跳ぼう、跳ぼうと思って変えていました。変えないことは衰退だ、と。6m43と自己記録に1cmと迫った今、やっていくべきことは今やっていることを続け、深みを持たせて行くことです」

まだ始まったばかり

 中野が「今やっていること」の1つに、リラックスした助走がある。

 兵庫リレーカーニバルの動画を見ると、中野にしてはスピードが出ていないように見えた。これは2017年の冬から師事している村木征人氏(男子走高跳、棒高跳、三段跳で日本記録保持者を育成)のアドバイスで取り組んでいることである。

「以前は短距離みたいに前半から頑張って走っていましたが、今は前半を頑張りすぎず、リラックスした助走をしています。それでも兵庫の最高速度は、過去最速が出ていました。当初は自分の考えとまったく逆で戸惑いがありましたね。出だしの6歩の練習を繰り返して行うなかで、そうかもしれないと感じていましたが、今回の6m43で、これを続ければいいと確信が持てました」

 自己記録更新は時間の問題となってきたが、中野が見ているのはその先の、世界と戦うことだ。

「大学の頃は高校記録を持っているプライドもあり、記録を出さなければ価値はない、くらいに思っていて、自信を失っていました。でも大学院の頃から、6m44を超えたくらいでは世界とは戦えないと考え始めて、6m44を重く感じなくなりました。色々な方の話を聞いて、自分を客観的に見られるようになったのもその頃です。勝ち負けや記録だけの価値観だったら、競技は大学でやめていたでしょう。それよりも、自分の跳躍を作り上げていくことにやり甲斐を感じています。その過程に東京オリンピックや日本記録がある。今回の6m43をたくさんの方が喜んでくださって嬉しいのですが、自分の中ではまだ始まったばかりです」

 11年の間に中野は、1cmに一喜一憂する選手ではなくなっていた。

記録や過去の競技実績は陸上競技ランキング⇒ https://rikumaga.com/ 

文/寺田辰朗

自己ベストではなく、世界と戦うことを目指す中野(写真/毛受凌介)

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