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2021-02-10

【プロレス】船木誠勝インタビュー「長州力さん、大仁田厚さんがかなりプロレスの形を変えた」

インタビューに答える船木誠勝

船木誠勝(51)はNOAH2・12日本武道館大会で拳王のGHCナショナル王座への挑戦を控えている。船木は強さこそがプロレスの象徴だった昭和プロレス育ち。プロレスが「時代とともに変わっていくのは仕方ないこと」と語るが、インタビューからは昭和プロレスの輪郭が浮かび上がってきた。
    ◇    ◇    ◇    
――強さと一言でいっても、いろんな強さがあります。
船木 でも、我慢強さは自分もついたなと思います。15歳からずっとプロレスをやってきて。昭和の時代は我慢することがすごく多かった。そういう意味では厳しいなかで育てられてよかったなって。じゃないと、昭和、平成は乗り切ってこれなかったと思います。令和になった今は、また違う生き方が待ってると思うんですけど、自分は50年それ(我慢すること)で生きてきたんで、正解だったと思います。
――船木選手が若手だった時代のプロレス界は、「いやならやめてもいいよ」って空気に包まれてました。
船木 そうです。ふるいにかけて残った者だけの世界でした。今は残すためにみんなが持ち上げてるって感じですからね。ほんとに変わったなって。でも、それは仕方ないと思います。プロレス自体が、そういう位置にまで落ちちゃったなって思いますね。自分が入門するころは、プロスポーツといえば野球と相撲とプロレスが並んでましたから。猪木さんと長嶋(茂雄)さん、千代の富士さんが並んで日本のヒーローでしたから。「最強」じゃなくなったら「最高」なのか? でも、「最高」じゃない気もしますし。プロレスってなにが一番なのか? 時代時代によって変わってくると思いますね。自分は「強さ」しか考えてなかったですから。そういうなかでは、いま生き残ってる中では最後かもしれないですね。
――あの当時のプロレスラーは、強さを求めてる部分が強かったですよね。
船木 それだけでした、正直。パフォーマンスとかって邪道でした。ただ、自分たちが入門したころから、すごく変わってきたんです。長州(力)さん、大仁田(厚)さんがかなりプロレスの形を変えたと思います。対極にいる2人なんですけど、昭和から平成で一番プロレスを変えたのはあの2人だと思います。その2人にあこがれてプロレス界に入ってきた人もたくさんいると思うんです。自分はタイガーマスク(初代、佐山聡)だけですから。
――初代タイガーマスクは、子供心には華麗な部分が目につきましたけど……。
船木 なんですけども、新日本プロレスに入門したころは、飛んだり跳ねたりの練習なんかご法度ですよ。ほんとに先輩たちがいないときにこっそり、道場で練習するぐらいで。試合で試して失敗しながら自分の技にしていくっていう時代でしたから。
    ◇    ◇    ◇
――平成から令和になるにつれ、プロレスラーの数は増えました。今や名鑑に1000人以上掲載されるほどですけど、似たようなタイプばかりに感じます。どこの団体を見ようとも、誰が試合をやってようとも、同じような展開が見られますし。
船木 そういう中では、拳王選手はほんとに貴重な存在だと思います。
――試合が始まって組み合ってという展開にしても、ただ形をやっているのか、その中で駆け引きをしてるのか……。
船木 そうなんですよね。闘いの形をしてるのか、形の形なのか。闘ってる形をしてるのか、技を一つ出したら一つもらうっていうやり取りをしてるのか。それだけでも全然違いますからね。

※聞き手:橋爪哲也
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