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2021-02-27

【ボクシング】“これから”の選手たちを育てるために――夢をつなぐ伝統の新人王トーナメント

無観客で開催された2020年度の全日本新人王決定戦

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 2020年度の全日本新人王決定戦が2月21日、東京・後楽園ホールで行われた。同決定戦が越年するのは隔年で東京、大阪と交互に開催されていた最後の年の1997年2月以来、24年ぶりになる。

東西対抗は6対6で引分

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で昨年3月から国内の全興行がストップし、半世紀を超える長い歴史を持つ新人王トーナメントも当初は開催が危ぶまれた。それでもプロボクシングの未来のため、「これからの選手たちを育てる場を絶やしてはならない」と関係者が尽力。例年12月に行われてきたファイナルの舞台を2ヵ月先に延ばし、開催にこぎつけた経緯があった。

 興行再開の前提として種々の感染防止対策ルールや観客動員の制限が設けられ、例年より4ヵ月遅れの7月から東日本、中日本、西日本、西部日本の各地区で予選がスタート。最後に無観客開催に戻り、前日のPCR検査で2選手から陽性反応が出たため2階級が不戦勝になるなど、厳しい状況もあったが、選手たちは1~2ヵ月ごとに調整、減量、PCR検査、隔離、試合を繰り返してきた異例の7ヵ月を戦い抜き、全12階級で全日本新人王が出そろった。

 今年は東軍、西軍が6階級を分け合う結果となった。西軍代表は小島蓮(19歳、江見=ミニマム級)、冨田風弥(22歳、伊豆=バンタム級)、福永宇宙(23歳、黒潮=スーパーバンタム級)、高畠愛大(20歳、タキザワ=スーパーライト級)、中田勝浩(29歳、井岡弘樹=ミドル級)の5人がジム初の全日本新人王、能嶋宏弥(25歳、薬師寺=ウェルター級)がジム2人目とフレッシュな顔ぶれ。なかでも四国のジムから初の殊勲でもあった黒潮ジムは高知県高知市、江見ジムは岡山県北の津山市と、試合のたびに長い移動を強いられながら、福永は最多の5戦(5勝3KO)、小島は4戦(4勝)を勝ち抜き、見事にトーナメント制覇を成し遂げた。

離島から2人の優勝者

 東軍代表からは敢闘賞の狩俣綾汰(25歳、三迫=ライトフライ級)が沖縄・宮古島初、技能賞の久保春平(23歳、宮田=スーパーフライ級)が鹿児島・喜界島初と、離島出身の2人の全日本新人王が誕生。スーパーフェザー級の奈良井翼(21歳、RK蒲田)はジム2人目にして2人目のMVPに輝いた。また、平野和憲(31歳、KG大和=フェザー級)が2007年10月のジムオープンから4人目なら、老舗の帝拳ジムからは浦川大将(23歳=ライト級)が第2回開催(1956年)での第1号誕生から30人目、久保は“新人王メーカー”の宮田ジムから開設30年あまりで16人目だった。

 昨年12月で開設60周年の節目を迎えた三迫ジムからは、1969年の輪島功一から数えて狩俣がちょうど10人目。フライ級の宝珠山晃(24歳)と合わせて同時に複数の全日本新人王となると、3人の世界チャンピオンを輩出している名門ジムにして初めてになる。さらに2019年の優秀トレーナー賞に選出されるなど、すでに数多くのチャンピオンに携わっている加藤健太チーフトレーナーにとっては、トレーナー転身2年目となる2013年から3年続けて東日本新人王決勝で敗れており、狩俣が初の全日本新人王になった。

仲間を追ってプロ入り

 “◯◯初”、“地方”がキーワードとして目を引いた全日本新人王決定戦。狩俣の原点も、ボクサーとして恵まれているとは言えない地方の環境で腕を磨いた高校の3年間にあった。

「これからも宮古島を背負って、“あららがま魂”で頑張りたい」(狩俣)

 “あららがま魂”とは、“逆境に負けない不屈の精神”を表す宮古島の言葉という。宮古総実高時代、一緒に汗を流した宮古工業高の比嘉大吾(Ambition=元WBC世界フライ級王者)、川満俊輝(三迫=6戦全勝3KO)とともに恩師の知念健次監督から叩き込まれた。

 高校ボクシングで実績を残してきた沖縄だが、中心を担うのは沖縄本島の高校。那覇から海を隔てて300km離れた離島の宮古島から県、九州、そして全国へ。沖縄ボクシング界の礎を築いた故・金城眞吉さんの薫陶を受けた元インターハイ王者(1981年ライトヘビー級、沖縄水産高)で、元プロの日本ランカーでもあった知念監督の熱血指導に鍛えられ、高校3年時には比嘉、川満と3人でインターハイ出場を果たした。

 高校卒業後、狩俣は全国から有力選手を集めた関西学生リーグの新興校・芦屋大に進学するも壁に当たる。同い年の高校3冠・中嶋憂輝(角海老宝石=日本フライ級9位)とのレギュラー争いに敗れ、なかなかリーグ戦には出場できなかった。中嶋が階級を上げた4年時にレギュラーの座をつかむものの、初出場の国体は初戦負けと結果を出せず。一度はボクシングから離れた。

 宮古島に戻り、リゾートホテルで働いていた狩俣の心に火をつけたのは高校時代の仲間だった。2017年に比嘉がWBC世界フライ級王者となり、2018年には川満が鹿児島・第一工業大を経て、三迫ジムからプロ入り。再びグローブを握った狩俣は2018年12月の全日本社会人選手権で3位になり、比嘉、川満の後を追うように2019年6月にプロデビューした。

刺激し合う宮古島トリオ



狩俣が作製したオリジナルTシャツには「あららがま魂」と 「宮古島のシルエット」がプリントされている(写真/船橋真二郎)


 コロナ禍の2020年は、再び“同門”になった川満と競い合うように結果を残した1年でもあった。新人王初戦となる9月の東日本新人王準々決勝は、加藤トレーナーが「ミットで受けて、頭の芯に響くパンチ」と評した強打を爆発させて初回KO勝ち。川満は翌10月、高校時代の狩俣が九州大会で敗れ、熊本代表として全国では選抜準優勝、インターハイ3位の実績を残した野田賢史(帝拳)を壮絶な打撃戦の末、4回TKOで打ち破る。

 11月の準決勝も初回50秒の速攻劇で終わらせ、続く12月の決勝は相手の棄権により不戦勝で東日本新人王になった狩俣に、全日本に向けて強烈なエールを送ったのも川満だった。1月、試合2週間前に急きょ代役出場が決まった初の8回戦で、前回2019年度のライトフライ級東日本新人王を右のワンパンチでわずか48秒で沈めた。

「(川満の存在は)普段の練習から刺激でしかなかった」

 ルーツが同じ川満ともども、どこまでも攻撃的なボクシングが魅力だが、全日本新人王決定戦ではディフェンスの“粗”を突かれて、ギリギリの判定勝ち。敢闘賞は「まったく考えてなかったし、勝てたことだけでホッとしていたのでびっくりした」。これで戦績を川満と並ぶ6戦全勝3KOに伸ばした狩俣は、一足先に日本ランク入り(日本ライトフライ級15位)を決めたが、「自分はまだまだ」としっかり足もとを見つめる。 

「トシキとは、これからも戦友でありライバルの関係を続けて、一緒に強くなっていきたい」

 2人の励みになり、原動力となっているのが宮古島の高校時代、ともに切磋琢磨した元世界王者「ダイゴの存在」であることは言うまでもない。

今も世界王者の登竜門

 かつて「世界チャンピオンの登竜門」と言われた新人王も“小粒”になったと言われて久しい。が、昨年11月にWBO世界フライ級王者となった中谷潤人(M.T=2016年フライ級)、伊藤雅雪(横浜光=2012年フェザー級)、田口良一(ワタナベ=2007年ライトフライ級)、高山勝成(寝屋川石田=2001年ライトフライ級)の全日本新人王出身者、最後に悔しい思いを味わった選手たちから、福原辰弥(本田フィットネス=2009年ミニマム級西軍代表)、下田昭文(帝拳=2003年バンタム級東日本新人王、全日本は棄権)、河野公平(ワタナベ=2002年スーパーフライ級東日本新人王)、川嶋勝重(大橋=1997年スーパーフライ級東日本新人王)など、近年もコンスタントに世界チャンピオンが生まれている。

 また、道半ばで破れた選手たちからも、木村翔(花形=2014年ライトフライ級東日本準決勝敗退)、佐藤洋太(協栄=2005年スーパーフライ級東日本準決勝敗退)、小堀佑介(角海老宝石=2001年フェザー級東日本予選敗退)、佐藤修(協栄=1996年スーパーバンタム級東日本予選敗退)、西岡利晃(帝拳=1995年スーパーバンタム級西軍代表決定戦敗退)がのちに頂点を極め、西日本新人王初戦での初回KO負けをバネに這い上がった山中竜也(真正=2014年ミニマム級)の例もある。

 全日本新人王の栄冠に輝いた12名にとどまらず、可能性を秘めた選手たち。関係者が懸命に守り、つないだ“これから”に期待したい。2021年度の新人王戦も来年2月の後楽園ホールをゴールに定め、3月21日に愛知・刈谷市あいおいホールで行われる中日本新人王予選から、新たな戦いが始まる。

文/船橋真二郎 写真/BBM

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