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2021-04-12

「高畠で負けてから530日、最終選考会のことを考えない日はなかった」。東京五輪50km競歩の丸尾、悔しさを糧に涙の代表権獲得

2017年世界選手権50km競歩代表の丸尾。初の五輪代表の座をつかんだ

4月11日、石川県輪島市にて第105回日本選手権50㎞競歩が開催された。東京五輪男子50km競歩、3番目の代表の座を懸けたレースは、日本歴代2位の記録を持つ丸尾知司(愛知製鋼)が3時間38分42秒で優勝。2016年リオ五輪銅メダリストの荒井広宙(富士通)は7位となり、代表の座を逃した。


優勝 3時間38分42秒 
丸尾知司(愛知製鋼)

――野田明宏選手(自衛隊体育学校)と2人になった25kmからは、どんなことを考えていたのですか。

丸尾 同じくらいの余裕度で戦っているんだな、と(最初は)思いました。負けてしまうかな、と思ったときもありましたし、勝てると思う瞬間もありました。2人で良いレースを作っているんだな、と思っていたときもありました。

――野田選手にリードを奪われた35km過ぎは、どんな状況だったのですか。

丸尾 余裕をもって離れたわけではなく、本当にここで負けてしまうのかな、と思っていました。ただ、応援してくださる方たちが、「追いつけるぞ」とか、「時間をかけて追いつけばいい」とアドバイスしてくださり、「まだ終われない」と思って距離を詰めていきました。(40km手前で追いつき、41km過ぎに引き離したところは)自分の方に少し余裕を感じたので、思い切ってペースを上げました。

――フィニッシュ後に涙が見られましたが?

丸尾 高畠(2019年全日本競歩高畠大会で川野将虎に敗れて2位)で負けて530日くらいなんですが、(最終選考会のことを)考えない日はありませんでした。負けると思っていた日もたくさんあったし、勝てると思った日もたくさんありました。多くの方々のおかげでたどり着くことができ、泣きたくはなかったのですが、自然と泣いていました。

――東京五輪代表最後の1枠に内定した感想は?

丸尾 最後の1枠に向けて、高畠で負けてから厳しい戦いでしたが、何とか勝ち取ることができました。勝ち取ったからにはメダルを目指し、さらに気持ちを引き締めて練習をしていきます。


代表内定を決めるフィニッシュで、丸尾はこらえきれず涙を流した

 

7位 3時間50分11秒 
荒井広宙(富士通)

――レースを振り返って、今の気持ちは?

荒井 結果については課題が残ります。優勝しかないと思っていましたし、タイムも想定していたものより良くなかったので、悔しい気持ちですね。ひと言でいうと。

――13kmで前を追わなかったときの気持ちと、後半のプランをどう考えていたのかを教えてください。

荒井 前半は上げすぎないことを考えていました。4分20秒くらいを上限にレースを進めていて、後半(自身の身体が)動けば上げていくイメージをもって進めていました。しかし後半になる前に脚に……体に来てしまって、そのままズルズル後退しただけで終わってしまいました。

――この2年間、ケガがありましたがその影響は?

荒井 できればケガは言い訳にしたくありませんでしたが、こういう持久系のスポーツは、50km競歩は4時間近く歩きますし、いかに日々の練習を継続することが大切かを、今日の結果で身をもって感じました。この2年間は夏場に大きいケガをボーンとすることが多く、秋冬シーズンに向けて体をつくる大事な時期に、リハビリや故障を治すことを優先し、練習を積めませんでした。治って、秋冬に体をつくるんですが、他の選手に比べて出遅れることが2年間続いていました。それが今回の結果にもろに出てしまいました。

――リオ五輪後にモチベーションの低下や移籍など、いろいろな変化がありました。

荒井 あまりモチベーションに左右されないようにやっているタイプですが、リオ五輪は知らないからこそ頑張れた部分がありました。東京五輪は、良い部分も悪い部分も知ってのオリンピックになりました。モチベーションで影響を受ける部分もあるにはありましたが、それも合わせての選手生活です。うまくプラスに変えてやって来たつもりだったのですが。

――今後はどういう目標でやっていきますか?

荒井 来年やその先の世界選手権、次のパリ五輪になっていくと思いますが、このままでは終わりたくないと思っています。所属先が競技を続けさせてくれる限りは、もう1回復活といいますか、もう1回てっぺんに立ちたいとすごく思っています。

――昨日の会見で「レースはやってきたことの答え合わせ」だと話していました。珍しく序盤で集団の前を歩いたのは、その覚悟があった上でそうしたのですか。どんな思いでレース運びをしたのでしょうか。

荒井 前半レースを引っ張る部分が多かったですけど、ペースが落ち着いていましたし、風も強くなかったので、前を歩いてもそんなにリスクはありませんでした。積極的に前に出ようということではありませんでしたが、出たときは少し引っ張ろうかな、と思って前に行きました。

――50kmは国内大会では今日が最後になるかもしれません。改めて、荒井選手の可能性を広げた50kmWという種目への思いと、新しく行われる35kmWへの思いを聞かせてください。

荒井 もともと私自身、スピードがあるタイプではありませんでしたが、内田隆幸監督(当時・小松短大監督。現・愛知製鋼コーチ)から「オマエ50kmやってみろ」と言われて、最初はとても歩けないと思いました。しかし、日々練習するなかで少しずつ自信がついてきて、試合に出るたびに少しずつ記録も良くなっていって、気がついたらテグ世界選手権(2011年)に選ばれていた感じです。私の競技人生を広げてくれた大事な大事な種目でした。それが今回で終わってしまう寂しさはありますが、物事は時代とともに変わって行くのが世の流れだと思うので、次は35kmになりますがそこにしっかり対応して、新種目でも上位で戦っていける選手に、トップを取れる選手になっていきたい。


リオ五輪に続く、出場はかなわなかった荒井。世界選手権やパリ五輪に向けて巻き返しを誓った(撮影・寺田辰朗)

構成/寺田辰朗

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