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2021-06-21

【ソフトボール】「今度は私が影響を与えられるような選手になりたい」 東京五輪日本代表の内藤実穂(1)

子どものころからのあこがれの舞台だという五輪へ挑む内藤実穂(撮影/牛島寿人)

五輪でのソフトボール競技は2008年の北京大会を最後に正式種目から除外されていたが、2020年東京五輪で追加種目としての採用が決まり、強化を進めてきた。ソフトボール・マガジンWEBでは、3大会ぶりとなる東京五輪で金メダル獲得を目指す15名の選手たちを、順々に紹介していく。

内藤実穂(ビックカメラ高崎/内野手)
子どものころに夢見た場所へ(1)

小学1年生のときにソフトボールと出合い、 高校は親元を離れて九州の強豪校へ。卒業後に進んだ実業団での日々は毎日が勉強の連続だった。 オリンピック選手になるという夢をかなえるために、そのときそのときで最大限の努力をしてきた。そして今、ついにその夢をかなえるときがきた(取材は3月29日、全文はソフトボール・マガジン6月号掲載)。


代表内定と母校の初V

──発表から1週間が経ちました(取材は3月29日)。今のお気持ちは?
内藤 オリンピック選手になることが小さいころからの夢だったので素直にうれしいです。こうして取材を受ける たびに、見られる立場になるんだということを実感しています。身の引き締まる思いですし、もっと強い自分をつくっていきたいです。
──内定を一番に報告されたのは?
内藤 両親です。「選ばれたよ。ありがとう」と思いを伝えたら、喜んでくれました。子どものころにソフトボー ルの指導をしてくれた父からは、「ここからだぞ。しっかりやっていけよ!」という言葉をもらいました。
──佐賀女子高の津上さおり監督にはご報告されましたか。
内藤 とても喜んでくださいましたね。「頑張れということは言わないから、身体に気を付けてケガをしないように。ただそれだけだよ」と言っていただきました。前監督の久保田(昭、故人)先生には、心の中で報告を。先生との出会いがあったからこうして実業団に入って、オリンピックのメンバーにも 選んでいただくことができたと思っています。先生も喜んでくださっていると思うので、あとは結果で恩返しを。
──先日のセンバツで、佐賀女子高は初優勝。ダブルでおめでたいですね。
内藤 私の代が3年になるときのセンバツでベスト4になったのが最高成績だったので、その上を行ってくれてう れしいです。ここ最近は佐賀女子から 実業団に進む選手も増えているので、 後輩の存在がいい刺激になっています。
──ところで、内藤選手にとって最初 の五輪の記憶は?
内藤 小学校4年生のときのアテネオリンピックです。テレビで見て、いつ かオリンピック選手になりたいと思ったことを覚えています。中学生のときの北京オリンピックは、決勝の山田(恵里、デンソー)さんのホームランにし びれましたし、三科(真澄、元ビックカメラ高崎コーチ)さんのツーベースヒットもかっこよかった。確かそれまでヒットが出ていなかったんですけど、大事な場面で決めていてすごいな、と。 あとは藤本(索子、元レオパレス21 )さんのエンドラン。あれは日本のお家芸というか、素晴らしいなと思って見ていました。
──五輪にはどんなイメージを?
内藤 未知の世界ですね。日本で開催されるオリンピックがどんな感じにな るのか、海外からの観客を入れないとなると、どんな雰囲気で試合をすることになるんだろうって、今はワクワク した気持ちのほうが大きいかもしれま せん。もちろん不安がないわけではないけど、不安に思っていることは今のうちからしっかりつぶしていって、自信につなげていきたいです(つづく)。

【内藤実穂PROFILE】
ないとう・みのり/1994年4月26日、大阪府生まれ。162cm65kg。右投右打。内野手。佐賀女子高-ルネサス・ビ ックカメラ高崎(2013年~)。ルネサス1年目の13年に世界 ジュニア選手権に出場し、金メダルを獲得。17年3月に初めてTOP代表に選出され、18年に世界選手権で銀メダル獲得。ビ ックカメラでは昨季より主将を務める。今季リーグ成績(5節終了時点):11試 合、43打席、9安打、2本塁打、8打点、0盗塁、打撃率.333

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