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2021-10-15

【連載 名力士ライバル列伝】心を燃やした好敵手・名勝負―横綱北勝海中編

昭和62年春場所後、23歳の若さで横綱に昇進した北勝海

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大横綱千代の富士の胸を借り、そして挑戦し、強くなった男たち。
元横綱北勝海、現日本相撲協会理事長の八角親方と、
元横綱大乃国の芝田山親方の言葉から、
それぞれの名勝負や、横綱としての生き様を振り返っていこう。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

自信を大きく崩された昭和63年春場所千秋楽

上位に上がれるかも、という“色気“が出てきたのは、やはり昭和61(1986)年春場所で初優勝してからですね。その前の場所、前半で7勝1敗と好調だったのが、後半いきなり4連敗してギリギリの勝ち越し。油断せずに一番、一番を取り切ろうという心掛けが優勝につながりました。14日目、旭富士関との一番で、一枚廻しを引いて突きつけるように寄っていきましたが、廻しの緩い相手によくやった私の得意パターン。一度出し投げで崩してまた寄っていこうとしたのが、タイミング良く決まりました。

初優勝で自信を深め、3場所後には大関。62年春場所の優勝で「九重部屋10連覇」になりました。私は10回のうち2回だけですけど、「これくらい稽古しているんだから、それはやるだろうな」という感覚ですね。三番稽古にしても、お互いにプライドがあるから最初の一番から決して力を抜かなかったし、それが毎日続くんですから、勝つだけのことはやっているという自負は、確かにありましたよ。

次の夏場所も全勝で勝ち進み、横綱の声も聞こえてくる。でも、自分の中では「離れて取る相撲だから、横綱を務めるのは大変だな」という思いは正直、あったんです。でも、そんな弱気が千代の富士さんに漏れ伝わって「上がってから考えろ」と一言。ああ、確かにそうだなと。余計な事を考えず、目の前の一番を一生懸命取り切ろうと、そこで思い直すことができたんです。

ただ、やはり横綱としての1敗は、それまでの1敗とは重みが違いました。結果を求められる立場ですから、変化されて負けても、仕方がないとは言えない。だから精神的にも、それまでのように立ち合い、思い切り突っ込めなくなるんですよ。

さらに、自信を大きく崩されたのが、昭和63年春場所、大乃国さんに本割、優勝決定戦と連敗して優勝を逃したことです。大乃国さんも双羽黒同様、右がすごく堅い。その上に、押し込んでも、押し込んでも、最後の一押しが通用しない。体が重いのに加えて柔らかさもあるので、たとえ上体が反っても崩れないんです。だから、土俵際で粘り強く、最後に突き落とされたりして負ける相撲が多かった。この決定戦は、まさに典型的な負け方でしたね。(談=元横綱北勝海、現八角理事長。続く)

『名力士風雲録』第20号北勝海 大乃国 双羽黒掲載

対戦成績
北勝海 14勝ー20勝 大乃国

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