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2021-10-22

【連載 名力士ライバル列伝】心を燃やした好敵手・名勝負―横綱北勝海後編

兄弟子・千代の富士との猛稽古を土台に横綱へと駆け上がった北勝海

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大横綱千代の富士の胸を借り、そして挑戦し、強くなった男たち。
元横綱北勝海、現日本相撲協会理事長の八角親方と、
元横綱大乃国の芝田山親方の言葉から、
それぞれの名勝負や、横綱としての生き様を振り返っていこう。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

千代の富士さんとの稽古で強くなれた

昭和63(1988)年初場所、大乃国(元横綱、現芝田山親方)さんに本割、優勝決定戦と連敗して優勝を逃した次の夏場所で腰を痛め、名古屋場所からは3場所連続全休。冷凍治療をしながらの1日8時間のトレーニングは、階段上りの繰り返しなどキツいメニューばかりでしたが、やはり悔しさがバネになりました。

そして平成元(1989)年初場所、相撲勘は分かりませんでしたが、厳しいリハビリをしてきただけに、「自分ほど体力のある力士は他にいない」という自信だけはあった。初日から全勝で勝ち進み、14日目には大乃国さんを電車道。うまくハズにかかって一気に押し出す、私の人生の中でも会心の相撲でした。

千秋楽、本割で旭富士関(現伊勢ケ濱親方)に負けたときは、やはりあの場所の悪夢が頭をよぎりました。でも、絶対に勝つんだという強い気持ちと同時に、土俵に上がれるだけでも幸せだなという気持ちもあった。だから、思い切って自分の相撲を取ることができたんです。

巴戦を戦った平成2年春場所、左ヒザを痛めた翌3年春場所と、8回の優勝はどれも印象深いものばかりですが、「絶対に復帰するんだ」という強い気持ちでリハビリを乗り越えた、あの初場所の優勝は、まだ25歳だったけれど、「一つやり遂げたな」という満足感はありましたよね。

晩年は腰やヒジ、肩の故障と満身創痍。リハビリにしても、最初の故障のときは、100回やれと言われれば200回できたのが、どんどんこなす気力が失せてくる。それにショックだったのが、平成3年名古屋場所の大乃国さんの引退です。前の場所、千代の富士(元横綱、先代九重親方)さんの引退はそうでもありませんでしたが、大乃国さんがやめたときは、「ああ、自分たちの時代が終わったな」という感じが本当にしました。そして翌4年初場所、旭富士関が連敗し、「変なことを考えてないだろうな」と思っていたら、案の定、3日目に引退。取り残されてしまったなあという感覚は、正直ありましたよ。

無様な格好は見せたくない。強いイメージを残したまま土俵を去りたい。でも、一生に一度かもしれない観戦に来たお客さんに、土俵入りを見てもらうのも横綱の務め。本当は、春場所で2連敗した時点でやめるつもりでしたが、師匠(元横綱北の富士)が「ダメだ、休場だ」と。海外公演も予定されていたし、理事長の立場となった今では事情も分かるんですけどね(苦笑)。「あのとき、引退させてくれませんでしたよね」なんて、今では北の富士親方とも笑い話ができるけど、当時は「次の横綱が出てくるまで頑張らなければいけないかな」と、相当、悩みましたよ。

結局、28歳で土俵を去ることになりましたが、夢にも思わなかった横綱を29場所も務められたのは、やはり千代の富士さんとどんどん稽古をして、運動量を増やして、技術的にも精神的にも自信を深めることができたからこそです。そもそも、千代の山(元横綱)さんが亡くなるという出来事がなければ、私は“井筒部屋”の弟子で、横綱と同部屋ではなかったんですから運命ですよ。

千代の富士さんは私の「強くなってやる」という気持ちを感じ取ってくれたから、「来い!」と声を掛けてくれたと思うし、私も常に、力を抜かずにぶつかっていった。だから強くなれた。そんな弟弟子の存在も刺激に? 今となってはもう分からないですが、そう思ってもらえていたならば、ありがたいですね。(談=元横綱北勝海、現八角理事長)

対戦成績
北勝海 21勝-19勝 旭富士

『名力士風雲録』第20号北勝海 大乃国 双羽黒掲載

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