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2023-09-14

「スピニング・トーホールド」秘話…テリー・ファンク人気爆発が試合後入場テーマ曲の元祖【週刊プロレス】

テリー・ファンク

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8月23日(現地時間)に享年79で逝去したテリー・ファンクさんの入場テーマ曲と言えば「スピニング・トーホールド」。入場テーマ曲の火付け役はミル・マスカラスの「スカイハイ」で全日本プロレスの1977年2~3月シリーズから導入。主に試合前の入場シーンで流された。

この成功を受けて、ほかの選手にも入場テーマ曲をかけることになり、人気外国人選手だった“ザ・ファンクス”ドリー・ファンクJr&テリーに「スピニング・トーホールド」が選ばれた。

「スピニング・トーホールド」は、実は既存の曲。ロックバンドのクリエイションがプロレス技のスピニング・トーホールドをイメージして制作した曲だった。

それまでテーマ曲は入場時のみだったが、1977年暮れの「世界オープンタッグ選手権(世界最強タッグ決定リーグ戦の前身)」最終戦=全日本プロレス12・15蔵前国技館大会では“ザ・ファンクス”優勝後のセレモニーで流された。その一戦でザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャーの猛攻で右腕からおびただしい流血をしながらも立ち上がり続けたテリーの人気が大爆発。優勝を収めて感極まったテリーの姿と「スピニング・トーホールド」がうまく重なり、歴史の1ページとなった。

現在では当たり前となっているプロレスラーの入場テーマ曲。試合後に流すようになったのはテリー人気が大爆発した1977年暮れのオープンタッグ選手権最終戦だった。

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週刊プロレスNo.2264 (2023年9月30日号増刊/9月15日発売) | 週刊プロレス powered by BASE

【巻頭スペシャル】フォーエバー!テリー・ファンク追悼グラビア【荒馬史】①1965〜1972年(昭和40〜47年)②1973〜1977年(昭和48〜52年)③1977〜1979年(昭和52〜54年)④1980〜1983年(昭和55〜58年)⑤1984〜1991年(昭和59年〜平成3年)⑥1992〜2000年(平成4〜12年)⑦2000〜2023年(平成12年〜令和5年)【クローズアップバウト】①1971年12・7札幌、VS ジャイアント馬場&アントニオ猪木(パートナーはドリー・ファンクJr)②1976年6・11蔵前、VS ジャンボ鶴田③1977年12・15蔵前、VS アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク(パートナーはドリー・ファンクJr)④1983年8・31蔵前、VS スタン・ハンセン&テリー・ゴーディ(パートナーはドリー・ファンクJr)⑤1993年5・5川崎、VS 大仁田厚【証言】天龍源一郎小橋建太大仁田厚グレート小鹿渕正信NOSAWA論外MEN’Sテイオー【追悼コラム】流智美〈プロレス評論家〉佐藤正行〈週刊プロレス前編集長〉【特別企画】テリーinアマリロ荒馬トリビア テリー・ファンクを深く知るための12エピソード技辞典「猛る、テキサスブロンコ殺法」オフショット&2011年のインタビュー再録オールカラー52ページ。【注意】発送後の返品・返金は原則不可とさせていただきます。送料は無料ですが、第三種郵便での発送となります。約1週間でのお届けとなります。土日祝日の配送がありません。また、事前に購入されても発売日にお届けすることは、お約束できません。ご了承ください。

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