close

2024-01-09

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第22回「苦労」その1 

現役時代の大関旭國は病気をしたとき、稽古ができなことが辛かったと語っている

全ての画像を見る
人生は自分の思うようにいかなくて当たり前。
砂を噛むような苦労はつきものです。
だから、この世はおもしろいんじゃないか、という逆説的な見方をする人もいますが、白と黒の二つしかない大相撲界で居並ぶライバルたちを押しのけ、大きな花を咲かすまでの苦労、辛さはとても言葉では言い尽くせません。
その苦労の中身も人によって実にさまざま。
これは力士たちの苦労、辛さにまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

稽古ができず……

力士にとって、勝てないことよりも辛いことがある。それは病気やケガで土俵に上がれないことだ。

親方や力士経験者の短命説がささやかれて久しかったが、バタバタと逝かれると「やっぱりそうなのかな」と思いたくなる。

それだけに、60歳の還暦や65歳の停年を迎えたときの親方たちの感慨はひとしお。今年4月に無事に停年を迎え、大相撲界を離れた直後の夏場所、手元を離れて友綱部屋に移籍したばかりの元愛弟子、旭天鵬(現大島親方)が平幕優勝したときは目に涙を浮かべて支度部屋に祝福に駆け付けた元大島親方(元大関旭國)が都内のホテルでおよそ300人を招き、還暦パーティを開いたのは平成19(2007)年2月18日だった。この10日前、相撲協会主催のある会で顔を合わせたとき、元大島親方は還暦を迎える喜びをこう語っていた。

「現役時代、膵臓炎で10数回も入院し、最長で28日間、絶食したことがあった。一番辛かったのは、病気そのものよりも稽古ができないことだったな。もう生きてるのがイヤになってね。病院の屋上に上がって、思い切ってここから飛び降りてしまおうかと思ったこともある。でも、フェンス越しに下を覗いたら、高くて目がくらみそうなんだよ。ここから落ちたら、さぞかし痛いだろうな、と思ったら足がすくんでしまって、結局、飛び降りられなかった。あの辛さに耐えて頑張ったから、この小さな体(最高時で174センチ、121キロ)で大関にまでなれたんだと思う。人間、やっぱり辛抱ですよ。でも、まさか還暦を迎えられるとは思わなかった。嬉しいな」

還暦どころか、平成24年4月15日には、その5年前に還暦パーティを開いた同じホテルで停年を祝う会も盛大に催された。出席者は還暦のときより100人も多い400人だった。死のすぐそばまで追い詰められた経験がある人間は強い。

月刊『相撲』平成24年9月号掲載

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事