close

2018-11-20

【柔道】日本柔道オリンピック 金メダリスト列伝(第6回)

※写真上=金メダルを胸に、誇らしげな表情を浮かべる石井慧
写真◎JMPA

2008年北京五輪 100kg超級
石井 慧

柔道が初めてオリンピックの正式競技となった1964年東京大会から2016年のリオ大会まで、“柔道王国”日本は史上最多のメダルを獲得してきた。そして、その長い歴史の中で燦然と輝くのは卓越した技量で他を圧倒し、表彰台の頂点を極めた金メダリストたちだ。ここでは、54年前の各階級のレジェンドから直近の大野将平、ベイカー茉秋、田知本遥まで、『日本柔道オリンピック金メダリスト列伝』として1人ずつ紹介。今回は、2008年北京大会100kg超級・石井慧をクローズアップする。(※文中敬称略)

◆日本柔道惨敗の空気を一掃した
北京五輪超級での金メダル獲得

 石井慧は全日本を2回取り、北京五輪で金メダルを獲得すると、あっという間にプロ格闘家に転向してしまった。今でも柔道界には戻っていない。柔道界に“大きな貸し”を作って去っていった。

 国士舘高には転校生で入学。ものすごく練習熱心で、3年生の頃にはチームのエース。寝技が得意で、立ち技では大内刈りに威力を持っていた。高校時代に彼を指導した岩渕公一監督は振り返る。

「ある日、校庭を朝早く走っているやつがいるんです。誰だと思ったら石井だった。人が寝ているときに努力していた。だから、オリンピックで金メダルを取っても私は驚かなかった。たぶん彼なりに、密かに猛練習をしていたんだと思います」

 08年選抜は左の大臀筋を負傷して欠場し、100kg超級は井上康生が優勝。だが、全日本では超級ライバルの棟田康幸と選抜100kg級覇者の鈴木桂治を破って2度目の優勝を飾り、北京の超級代表になった。

 北京では66kg級の内柴正人が優勝したが、後は軒並み1~2回戦で敗退。日本柔道界は深い敗北感を味わい、現地でも惨敗の空気が漂っていた。ところが、最後に出てきた石井がタングリエフ(ウズベキスタン)を破って見事に金メダル。この途端、悲嘆に暮れていた首脳陣も何となく救われた感じを持ったのか、一転、日本柔道の誇りが守られたという雰囲気になった。

※巧みな試合運びでタングリエフに「指導2」で勝利した石井慧
写真◎JMPA

 これは、優勝が超級だったということも大いに関係している。つまり、オリンピックで一番強いといわれる男は日本選手だった。日本が最重視していた階級を取ったことで全柔連、強化委員会の責任問題はうやむやになってしまった。石井は一人で、日本惨敗の空気をイーブンにしてしまったのだ(それが冒頭の“貸し”の意味である)。

 現役時代はチャンピオンになっても「一本勝ちが少ない」「一本取ろうとしていない」などと批判されることもあった。そんな男が本番では5戦して、「一本」4、「指導2」1。文句の余地がない戦績で日本柔道の矜持を守った。

 08年11月3日。プロ格闘家になることを理由に柔道界から引退した石井。その4年後のロンドン五輪、日本男子は金メダル0という大きな敗北を喫した。これは、北京の内実が石井の超級優勝でうやむやになり、敗戦の検証が行われなかったことに起因している。

Profile◎いしい・さとし 1986年12月19日生まれ、大阪府茨木市出身。清風学園中-国士舘高-国士舘大。06・08年全日本選手権優勝、08年北京五輪100kg超級優勝。

文◎木村秀和

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事