※写真上=金メダルを胸に、誇らしげな表情を浮かべる石井慧
写真◎JMPA
石井慧は全日本を2回取り、北京五輪で金メダルを獲得すると、あっという間にプロ格闘家に転向してしまった。今でも柔道界には戻っていない。柔道界に“大きな貸し”を作って去っていった。
国士舘高には転校生で入学。ものすごく練習熱心で、3年生の頃にはチームのエース。寝技が得意で、立ち技では大内刈りに威力を持っていた。高校時代に彼を指導した岩渕公一監督は振り返る。
「ある日、校庭を朝早く走っているやつがいるんです。誰だと思ったら石井だった。人が寝ているときに努力していた。だから、オリンピックで金メダルを取っても私は驚かなかった。たぶん彼なりに、密かに猛練習をしていたんだと思います」
08年選抜は左の大臀筋を負傷して欠場し、100kg超級は井上康生が優勝。だが、全日本では超級ライバルの棟田康幸と選抜100kg級覇者の鈴木桂治を破って2度目の優勝を飾り、北京の超級代表になった。
北京では66kg級の内柴正人が優勝したが、後は軒並み1~2回戦で敗退。日本柔道界は深い敗北感を味わい、現地でも惨敗の空気が漂っていた。ところが、最後に出てきた石井がタングリエフ(ウズベキスタン)を破って見事に金メダル。この途端、悲嘆に暮れていた首脳陣も何となく救われた感じを持ったのか、一転、日本柔道の誇りが守られたという雰囲気になった。
これは、優勝が超級だったということも大いに関係している。つまり、オリンピックで一番強いといわれる男は日本選手だった。日本が最重視していた階級を取ったことで全柔連、強化委員会の責任問題はうやむやになってしまった。石井は一人で、日本惨敗の空気をイーブンにしてしまったのだ(それが冒頭の“貸し”の意味である)。
現役時代はチャンピオンになっても「一本勝ちが少ない」「一本取ろうとしていない」などと批判されることもあった。そんな男が本番では5戦して、「一本」4、「指導2」1。文句の余地がない戦績で日本柔道の矜持を守った。
08年11月3日。プロ格闘家になることを理由に柔道界から引退した石井。その4年後のロンドン五輪、日本男子は金メダル0という大きな敗北を喫した。これは、北京の内実が石井の超級優勝でうやむやになり、敗戦の検証が行われなかったことに起因している。
文◎木村秀和
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