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田中希実。日本女子中距離界に衝撃を与え続けている小柄な女王。その専属コーチは実父・田中健智である。指導者としての実績もなかった男が、従来のシステムにとらわれず「世界に近づくためにはどうしたらいいか」を考え続けてきた。そんな父娘の共闘の記憶を、田中健智の著書『共闘』から抜粋しお届けする短期連載。
前回の『【連載】田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.10「連戦や転戦。タフなスケジュールは世界基準」』を読む
第11回目は、田中希実が5000メートルで26年ぶりに入賞の快挙を達成した2023年のブダペスト世界選手権での一幕。そのわずか数日前に、父・健智との父娘だからこその“ぶつかり合い”について。
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2023年8月19日、ブダペスト世界選手権が幕を開けたが、希実はどこか気持ちの置きどころが定まっていない様子だった。
私から見れば、彼女が不安になる意味が分からなかった。直前に長野・湯の丸で行った最終調整では、たむじょーと質の高い練習が積めていて、本番に向けて状態は申し分なかったはずだった。ところが、パリの事前合宿に入ってから、彼女の中で前年のオレゴンや春先のトラウマがよみがえり、情緒が不安定になってしまったようだ。
彼女の悪いクセは、練習が本番に直結していて、「この練習が完璧にこなせないと、レースでも上手く走れるはずがない」と思い込んでしまうことだ。本来なら、仮にタイムが伴わなかったとしても、一週間の流れや環境の違いを加味して「調子」を判断してほしいところだが、彼女はタイムという尺度だけで自らの調子の善し悪しを決めつけてしまう。湯の丸までは自信を持っていたはずが、パリでの合宿中は、本人が思い描いた練習がこなせない不安のほうが勝ってしまっていた。
彼女の感覚とタイムをすり合わせるために、事前合宿中にはあえてタイムを読まずに、1000メートル×4本を本人の感覚だけで走らせてみたのだが、私が求めていたタイムとほぼ遜色のない「誤差」の範囲で走り切ることができた。しかし、その誤差を前向きに納得できるか、はたまた後ろ向きに捉えるのかで気持ちの持ちようは大きく変わってしまう。当時の彼女は、ちょっとした"ズレ"も許すことができず、後ろ向きに捉えてしまったのだ。私は「一人でこのタイムを出せたのなら調子は問題ないよ」と諭したのだが…。身体の仕上がりは何ら問題なかったはずが、彼女は自ら自分の調子を崩してしまい、不安を抱いたままブダペストに入っていた。
初日の1500メートル予選。1組目に出場した希実は、シーズンベストの4分04秒36をマークしたものの、組6着でギリギリ準決勝進出。東京オリンピックでは自信を持って着順を取りにいけたのに、今回は滑り込みで何とか通過したという落差に対するショック。加えて、前年のオレゴンでは各組5着+タイム上位2人が決勝に進めたが、ブダペストからはプラス取りが無くなったことも追い打ちをかけ、彼女は「もう後がない」と追い詰められていたようだ。「行ける気がしない」。希実の口からはそんな後ろ向きの言葉しか出てこなかった。
そして準決勝を迎えた朝、日本選手団のコーチ陣の前でこう言ってしまった。
「オマエは決勝には行けないよ。心が乱れているし、今の時点でもうダメだ」
周りにいたコーチやスタッフは、「今から走るのに何を言っているんだ…」とあ然としただろう。希実は目に涙を溜めていた。彼女はおそらく自信のない自分に対して「大丈夫だよ。行けるよ」と前向きな言葉をかけてほしかったのだろう。だが、本人の気持ちがレースに向かっていない以上、鼓舞するより、現実を受け入れさせるべきだと思ったのだ。
私の視点から見ると、レースが上手くいくと思える日は、お互いに「こう走りたいよね」というレースプランのディスカッションが上手く噛み合っているときだ。そういう日は大抵、私が想像していたプランと本人のやりたいレースが一致して、予想通り、もしくはそれを上回るタイムや結果につながる。
だが、上手くいかない日は、そもそもこのディスカッションにズレが生じてしまう。準決勝の前は、明らかに後者の状況だった。私があえて「決勝に行けない」と言ったのは、ただ突き放しただけでなく、その言葉を受けて、本人が「乗り越えよう」と奮起するのでは―という淡い思惑もあった。しかし、現実はそう甘くない。
スローペースで進んだ準決勝では、ラスト1周の勝負で通過ラインから4秒近く引き離され、1組最下位の12着でフィニッシュ。国内のレースでは一人旅になることが多い分、"仮想海外"をイメージした色々なレース展開を試させ、引き出しを増やしたつもりだった。ただ、それはあくまで希実一人で再現していたもので、海外の選手に揉まれながら実践する機会が足りていなかったのだ。
世界選手権前に出場したフィンランドのレースにしろ、アジア選手権にしろ、タイムこそ悪くなかったものの、中盤から独走になり、海外選手と駆け引きするような展開に恵まれなかった。準決勝敗退は、こうした海外での経験値の乏しさ、そしてメンタル面の不安定さが大きく作用した結果だったと思う。
1500メートルの敗退により、残されたのは5000メートルのみ。今年も何も残すことのできないまま終わるのでは―。オレゴンの苦い記憶が鮮明になり、ナーバスになっていたのだろう。希実の口からは、何をやらせても「むなしい」という言葉だけが漏れて、3日後の5000メートルに向けたまともな会話すらままならなかった。
そして、私も我慢できず、言ってしまった。
「チームを解散しよう。自分で一から作り直せばいい」
チームとは、私や妻を含め、トレーナーなどで構成される「チーム田中」のことで、希実のサポートのために、私が顔なじみのスタッフを集めて結成したものだ。彼女のプロ化に伴い、サポート体制やメンバーに若干の変化はあったものの、ブダペストまで残っているスタッフは皆、本人の挑戦する姿勢に共感するからこそ、この場まで連れ添ってきた。それなのに、選手本人から悲観的な言葉しか漏れないのなら、見守る私たちも苦しいし、気持ちもすり減ってしまう。
選手自身が悩み苦しんでいる時は、周りは黙って受け止めるべきなのかもしれない。しかし、私はコーチであると同時に、彼女の父親でもある。自分が相手の立場になり「不快」だと思うことは、例え本人がどれだけ追い込まれていようとも、ぐっとこらえなければならないことはあるのだ。
スタッフの気持ちも汲めずに、傷つけ合うだけなら、いったんゼロに戻して、彼女自らチームを作り直すべきなのでは―。私自身、彼女のために「良かれ」と思ってチームを作ってきたが、それが彼女の望むものに答えられないのなら、コーチの独りよがりになってしまう。このままの形を続けていても、彼女のためにならないのなら、本格的に解散して、別のコーチを探してもらうほうが良いのかもしれない。そんな思いから、口をついた一言だった。
これは私の悪いクセなのだが、希実とぶつかった時には寄り添うというより、どうしてもいったんは突き放してしまう。お互いに頑固な性格で、どちらかが先に折れることはほとんどできないのだ。本当はすぐにフォローを入れるべきなのかもしれないが、それは本人の甘えにもなるし、私自身も冷静になる時間を持つ必要がある。ブダペストでは「解散」という問題提起をして、私も、希実も今後のことを考える時間を作りたかった。
【田中希実の父親が明かす“共闘”の真実Vol.12に続く】(次回最終回)
<田中健智・著『共闘セオリーを覆す父と娘のコーチング論』第5章-プロ転向での成長-より一部抜粋>
2023年の世界選手権ブダペスト。1500メートルで準決勝敗退したそのレース直前に父・健智氏は「お前は決勝には行けない」と言い放ったという(Photo:Getty Images)田中健智
たなか・かつとし●1970年11月19日、兵庫県生まれ。三木東高―川崎重工。現役時代は中・長距離選手として活躍し、96年限りで現役引退。2001年までトクセン工業で妻・千洋(97、03年北海道マラソン優勝)のコーチ兼練習パートナーを務めた後、ランニング関連会社に勤務しイベント運営やICチップを使った記録計測に携わり、その傍ら妻のコーチを継続、06年にATHTRACK株式会社の前身であるAthle-C(アスレック)を立ち上げ独立。陸上関連のイベントの企画・運営、ランニング教室などを行い、現在も「走る楽しさ」を伝えている。19年豊田自動織機TCのコーチ就任で長女・希実や、後藤夢の指導に当たる。希実は1000、1500、3000、5000mなど、数々の日本記録を持つ女子中距離界のエースに成長。21年東京五輪女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞を成し遂げている。23年4月よりプロ転向した希実[NewBalance]の専属コーチとして、世界選手権、ダイヤモンドリーグといった世界最高峰の舞台で活躍する娘を独自のコーチングで指導に当たっている。
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