12月8日まで行われた全日本選手権(A)で、昨年に続き優勝を飾った栃木日光アイスバックス。今週末からはジャパンカップが再開する中で、監督の藤澤悌史さんに今の気持ちを聞かせていただいた。大事なのは「規律」を守ること。選手はそれを試合で表現してくれた。――12月の全日本選手権では、2連覇を達成されました。昨年は、体力をもう一度鍛え直して…という「プチ合宿」をやって大会に臨んでいましたが、今年は日程の関係もあって難しかったと思います。
藤澤 去年はリーグ戦が中断した後に、全日本まで2週間くらい(17日間)あったんですよ。その時はフィジカル中心のアプローチをして、練習の強度も上げていったんですが、今年は試合が詰まっていた。でも、戦っていく中でチームの調子がよかったので(アジアリーグ2位・ジャパンカップ首位、12月1日現在)そのまま継続していけばいいと思いました。ただ、全日本は一発勝負です。もう一度、「規律」の面でしっかりやっていこうと選手には言ったんです。
――初戦が釧路厚生社に12-0、準決勝が東洋大学に6-0で、両試合とも完封勝ちでした。相手に対して敬意を持ちながら、妥協はいっさいありませんでしたね。これはできるようで、できないことだと思うんです。アジアリーグのチームは60分のどこかで、どうしても集中を欠く場面がみられる。「本当の本番」、すなわちアジアリーグ以外との試合では100パーセントの集中をしづらいと思うからです。
藤澤 特に準決勝で当たることになった東洋さんは、横浜グリッツさんを破って勢いに乗っていました。東洋さんはプレッシャーが速くて、こちらとしては「相手の時間とスペースを奪おう。そしてバックチェックをしっかりやっていこう」と選手に話していたんです。要は「規律」をしっかりやっていこうということで、それを選手はきちんと表現してくれたと思います。リーグ戦でも、規律よく戦っているうちは勝率がいいですから。
――規律で言うと、特にアジアリーグの序盤では、チームの「目線」がひとつにならなかった面もあるのではないでしょうか。夏は日本代表の五輪予選に7人も派遣していて、予選から帰ってきていきなり開幕戦を戦ったわけですから。
藤澤 昨シーズンの反省として、全日本は良かったのですが、やはり「規律」を守ることができていなかったんです。ムダなペナルティをしてしまったり、バックチェックに行かなかったり、簡単にやればいいのにつなごうとしてターンオーバーされてしまっていた。今シーズン序盤もそれが出てしまっていたのですが、試合を重ねるうちに、だんだんとできてきた。それで選手もはっきりと認識したと思います。
今季からイェスパー・ヤロネンコーチがスタッフに加わった。「コントロール・ブレークアウトが話題になっていますが、要は、エントリーこそ重要なんだということです」(藤澤監督)真来と健斗。あのシュートセンスは練習では教えられないものなんです。――決勝はレッドイーグルス北海道が相手。どういうゲームプランで臨んだのでしょう。
藤澤 絶対にロースコアのゲームにはなるだろうと、最初は思っていました。16分、PPでFW寺尾勇利のシュートで先制した。ウチとしては理想の形でした。
――3ピリの48分にレッドイーグルスに勝ち越しゴールを許しましたが、その次のシフトで同点に追いつき、さらに次のシフト、49分に3-2と勝ち越しました。
藤澤 あれはひじょうに大きかったです。点を取られてしまった時に、その次のシフトで点を取り返すことができた。しかも、その11秒後には、3点目を取ることができました。あの場面は、この試合のターニングポイントでしたよ。
――54分と55分、今度はレッドイーグルスに得点を許しました。スコアは3-4。バックスは57分にタイムアウトをとりました。
藤澤 まずは6人(攻撃)の話。それから選手に確認をしたんです。エントリーして、しっかりネットまで通して、人数も数的優位をつくっていこう、と。実際は、なかなかエントリーできなかったんですけどね。
――6人攻撃をかけた3ピリ残り40秒。FW古橋真来選手が、Dゾーンからニュートラルを駆け抜けてОゾーンにエントリーします。古橋選手に対して、レッドイーグルスの5人はいずれも5メートルの距離で近接して守っていました。5人の相手にカバーされた古橋選手は、エントリー後はいったん右レーンのFW鈴木健斗選手に預けて、それから相手ゴール前に走り込んでシュートディフレクション。バックスはゴール前にFW大椋舞人選手もいたので、2対1の状況でした。「エントリーして、しっかりネットに通して、数的優位をつくっていく」。まさに、タイムアウトで藤澤監督の言っていた通りになりました。
藤澤 真来に対して、レッドイーグルスがかなりタイトにトラップをかけていたんです。エントリーして、そこで健斗に預けて、真来がゴールに向かっていったのが大きかったと思います。真来がGKのスクリーンに入るか入らないかの微妙な場面を見計らって、健斗がシュートを打った。それがなければ、あの得点は生まれなかったと思います。
――古橋真来と鈴木健斗。練習で培ったものだけではない、生まれ持った「何か」を感じさせるゴールだったと思います。
藤澤 いやいや、あんまりほめちゃダメですよ(笑)。でも、特に真来は独特な嗅覚を持っている。読みもすごくいいんです。おいしいところを持っていく選手は、練習では教えることができないものを持っているんですよ。
――オーバータイムは開始20秒で決着がつきました。古橋選手がエントリーして、そのままゴール裏を運んで流したパックを、相手との競り合いに勝った鈴木選手が、左からたたき込みました。
藤澤 去年の準決勝でもレッドイーグルスにオーバータイムで勝っているんですが、相手のセットがその時と同じなんです。FWが入倉大雅、髙木健太、DFが佐々木一正だったかな。ウチのセットはその時とは違うんですが、真来、健斗、DFに佐藤大翔。特に代える必要はないと思って行かせました。
――レッドイーグルスとしては、2つ目にFW中島彰吾、高橋聖二、DF橋本僚をシフトする予定だったと思います。逆に言うと、取れるときに勝ちを取ったという意味では、「バックスらしい勝ち方」といえるのではないでしょうか。
藤澤 早い時間で決めたかったというのはありましたね。あの試合で真来にマッチアップしようとするならばラインを考えるべきだったという気もしますが、チームによって、いろんな考え方がありますから。バックスは優勝できる力があるチームだということは私ももちろん思っていましたし、バックスは何年も「あと一歩」という立場にとどまっていた。フィンランドのスタイルを取り入れたことで選手のスキルもアップしていましたし、あとは結果だけだったんですよ。それが連覇という形になった。そして何より「日光で勝てた」ことがうれしかったです。試合前に日光のファンの皆さんが、身震いするような声援を送ってくれていたんですよ。それに応えることができて、ほっとしたというのがありました。
今季は「アジアリーグの初優勝」を最大の目標に戦っている。全日本選手権に続いて、霧降アイスアリーナで夢はかなうだろうかバックスが誕生して今季で25周年。一番変わったものは「自信」。――今年はバックスが誕生して25周年です。藤澤監督は古河電工の最後のシーズン(1998-1999シーズン)に移籍してこられて、バックスの一期生でもありました。
藤澤 釧路で生まれて、東京のチーム(西武鉄道)に入って…。いま考えてみれば、不思議な「縁」ですよ。私は日光という街が好きだし、ここまでつないでくれたスポンサーの皆さん、ファンの皆さん、クラブ関係者には感謝しかありません。
――1998年のFW伊勢征広さんと藤澤さんの会話を覚えているんです。夏の練習が始まって、「週末はどこに行っていたの?」と伊勢さんが聞いたのですが、「湘南にサーフィンに行ってました」とガングロの藤澤さんが答えていたんです。私は内心「まだヨッチは東京を捨て切れていないんだ。1、2年でやめていく選手なのかもしれないな」と思ったんですよ。移籍が飛躍のきっかけになった藤澤さんにとっては本当に失礼な話なのですが、将来、チームの監督になるなんて、当時は思いもしなかったんです。
藤澤 けっして優等生タイプではなかったし、チャラチャラしていましたからね。ただ、人との出会いは大事にしていたんですよ。いまだに長いお付き合いをさせていただいている人もいますし、クラブの人、たとえば土田英二さん(GM、西武鉄道FWからバックスへ移籍)がそうですしね。
――全日本2連覇の集合写真で、藤澤さんの右が土田さんで、左が衣笠伸正さん(バックス職員、元FW)でした。3人ともバックスOBで、苦労が多かった時代の選手です。
藤澤 いやいや、苦労はしていないですから(笑)。でも、ずっと同じ畑でやってきたホッケーマンですから、思いも共通しているものがあると思います。
――今のバックスを見て「変わったな」と思う点はどこでしょうか。
藤澤 この25年で「勝つ」可能性が増えましたよね。負けることもあっただろうし、失敗することもあっただろうけど、そのたびにクリアして成長してきた25年だったと思うんです。そして、みんなが「自信」を持って毎日を送っている。私生活や氷上練習、ドライトレーニング(陸トレ)を含めて、これをやりたいんだったらこうすべきだというのを考えられるようになったと思います。
――誤解を恐れずに言うと、古河の晩年は、会社だったり、チームメイトやスタッフの陰口をたたく残念なチームでした。職場の愚痴を言う人がいると、仕事そのものに悪影響が出るんです。思うところがあるならば、仲間や上司と相談すればいい。企業が廃部を決めた背景には、そうなるだけの理由があったと思うんです。
藤澤 どうしてもチームの状態が悪くなると「誰々のせいだ」となりがちですよね。それはチームとして戦っていく中で、じゃまなものになるんです。実際、バックスになった時にも、前からあった「流れ」があったんですよ。チームの雰囲気と言えばいいのかな。それは2017年にコーチとして入った時にも、少しあったんです。
――それが今、古河電工がアイスバックスのサポートをしてくれるようになりました。20年以上の月日が経って、歴史に埋もれていたものに「そのあと」が加わるようになりました。
藤澤 本当にそうです。一回はやめたはずなのに、もう一度スポンサーになってくれた。こういう例は、スポーツ界では聞いたことがありません。日光の市民の皆さんも喜んでいると思うんですよ。古河さんがアイスホッケーに戻ってきてくれた。やっぱり日光と古河電工、そしてアイスホッケーは密接な関係があるんです。私も本当にありがたいと思っているし、心強く感じています。
――全日本選手権を連覇した今、何を考えているのでしょう。
藤澤 アジアリーグで初優勝することです。それが一番の目標だし、優勝することだけを考えてやっています。チームはいい状態ですし、選手も自信を持っている。今も(インタビューの最中も)選手は体育館で、ドライトレーニングをやっているんですよ。もう、次に向かって動き初めている。私も気持ちを切り替えてやっていこうと思っているんです。
藤澤悌史 ふじさわ・よしふみH.C.栃木日光アイスバックス監督。1976年2月12日生まれ。北海道釧路市出身。釧路愛国小2年生でアイスホッケーを始め、釧路景雲中、釧路緑ケ岡高(現・武修館高)から西武鉄道に入社。FWとして活躍し、その後はカルガリー・カナックス、アラスカ・ゴールドキングスを経由して再び西武鉄道でプレーする。1998-1999シーズンに古河電工に移籍、その流れで翌シーズンから日光アイスバックスに在籍する。引退後は男子U16強化コーチ、女子日本代表のコーチ・監督を務め、2017年からアイスバックスのコーチ、2021-2022シーズンからは監督に。全日本選手権では2023年と2024年に優勝監督になっている。